第42話「黒縛」
心桜が先に動いた。
小太刀が直線を描き、コクランの間合を削る。
一歩、また一歩。
序盤は、明らかに心桜が押していた。
なのに、コクランは不敵に笑っている。
「いい動きです。
美しい方は、戦い方まで綺麗なのですね」
『……調子いいこと言ってる場合?』
「ええ。まだ、本気ではないので」
その言葉と同時に、黒い花弁が広間を埋め尽くした。
『【黒の祝福】』
花弁が鎖のように伸び、心桜の手足を狙う。
縛り、固定し、動けなくする力。
心桜は紙一重でそれをかわし、頬を浅く掠められながらも距離を取る。
『……はあ、はあ。危ない危ない』
恐れながら、それでも笑っている。
指先は白い。
なのに、刃は下ろさない。
コクランの視線が、心桜の顔に貼りつく。
優雅な笑みの奥に、別の色が混じる。
「……気に入らない」
『何が』
「あなたの、その顔です。
何の努力もしていないのに、そうしていられるのが」
嫉妬だった。
丁寧語の下に、歪んだ感情が覗く。
心桜は、覆いのない方の眼でコクランを見返し、短く息を吐いた。
『……なにそれ。おばさん、やきもち?』
空気が、一瞬で変わる。
「——おばさん、ですって」
コクランの笑みが消える。
黒い花弁が棘になり、広間のすべてから心桜へ殺到する。
『ちっ……本気かよ』
かわしきれない。
拘束の鎖が足首にかかり、半身が固定される。
コクランが間合を詰め、手が喉元へ伸びる。
その寸前、心桜が覆いに指をかけた。
黒い布が上がる。
光るのは、前回とは違う質の眼だった。
圧が、世界を変える。
コクランの足が止まる。
伸ばした手が、途中で力を失う。
視界の奥で、自分が感じていたものが、別の色に塗り替えられていく。
恐怖が、美しい。
殺意が、美しい。
怒りさえ、美しい。
抵抗する理由が、内側から溶けていく。
逃げる必要もない。戦う必要もない。
目の前の桜色の女が、すべてを美しいまま終わらせてくれる——そう錯覚させる力が、瞳から流れ込んでくる。
「……な、に……」
コクランの声が、裏返る。
「これ……魔眼、ではない……。
違う……こんな、美しい、……嫌だ……」
嫌なのに、美しい。
恐いのに、抗えない。
自己の嫉妬も殺意も、美という名の膜に包まれて、動けなくなっていく。
「やめて……私の、心を……触らないで……」
膝が、床に落ちる。
黒い花弁は散り、鎖は力を失う。
コクランは床に両手をついたまま、肩を小さく震わせ——その拍子に、力なく横へ倒れた。
意識はない。
呼吸はある。もう起き上がる様子はなかった。
心桜はレースを戻し、肩で息をする。
笑いは出ている。指先の震えも、まだ残っている。
『……勝った。なんか、違う使い方だったけど』
菊乃が、短く頷く。
『瞳の力は、一つではないらしい』
琥珀は、刀の柄を握ったまま二人を見ていた。
もう一人の姉が、また別の終わり方を見せた。
恐ろしさと、安堵が、同時に胸を過る。
三人の足下で、黒い花弁だけが、音もなく散っていく。




