第39話「整う」
灰色の棘が、連続で飛んでくる。
菊乃はそれをかわし続ける。
踏み込みを外し、間合をずらし、時折後ろへ下がる。
一見すると、押されているように見えた。
心桜が、琥珀を庇いながら叫ぶ。
『ねぇ、大丈夫なのそれ!』
『問題ない』
短い答えだけが返る。
ウスズミは笑いながら追い込む。
「逃げてばかりじゃ、つまんねえぞ!
花の血の長女、その程度か!」
棘の壁が正面から迫る。
菊乃はそれを横にすり抜け、また半歩下がる。
足元に、緑の花弁が音もなく増えていた。
一枚、二枚、十枚——。
戦闘の間中、彼女は領域の座標を静かに固定し続けていた。
琥珀の目が、それを捉える。
『……花弁、増えてる』
『空間を...測っているの?』
ウスズミの拳が、再び大きく振りかぶられる。
灰色の薔薇が爆ぜ、広間の半面を棘で埋め尽くす勢い。
その寸前、菊乃が足を止めた。
『準備は、整った』
次の瞬間、ウスズミの棘の軌道がすべて狂う。
花弁は空を切り、拳は虚を突き、踏み込みの軸が崩れる。
領域内の座標が、すべて菊乃の側に書き換えられていた。
「……あ?」
ウスズミの表情が、初めて固まる。
『【真翠菊】』
緑の花弁が一斉に刃へ変わり、ウスズミの武装を内側から剥がしていく。
棘は折れ、灰色の薔薇は座標を失って散る。
力押しのすべてが、空間の手の内で無力化された。
「……はは。マジかよ」
ウスズミは膝をついても、まだ笑っていた。
悔しさより、面白がる色が先に出ている。
「本家の力、伊達じゃねえな。
……子八根様に、少しは報せる価値あったか」
体が、前に倒れる。
意識は残っているが、もう立てない。
菊乃は花弁を収束させ、短く息を吐いた。
心桜が近づき、ウスズミを見下ろす。
『……生きてる』
『殺せ、とは言われていない。
動けなくすればいい』
琥珀は刀の柄を握ったまま、広間の中央を見ていた。
一瞬で形勢が逆転する様子を、また一つ目に焼き付けている。
姉の一人の戦い方は、派手ではない。
終わってから、初めて怖くなる種類だった。




