第3話「魔眼」
夜。
指定した倉庫の明かりは落としてある。
菊乃は奥で待った。
足音がした。
軽い。警戒を隠していない。
ピンクがかった髪の女が、入口から踏み込んでくる。
片眼を黒いレースで覆い、短い刀を手に下げていた。
覆われていない方の眼は、普通の人間のそれと変わらない。
視線が合う。
『……誰?』
心桜の声は、軽くて、刺々しい。
菊乃は一歩も動かない。
『話がある』
『仕事の話じゃないでしょ、これ。荷物もないし』
心桜は笑ったまま、覆っていたレースに指をかけた。
黒い布が上がる。
その下にあった眼が、淡く光った。
視界が歪む。
欲望を煽るような、甘い圧が正面から来る。
足が前に出そうになる。刃を下ろしたくなる。
「従えば楽になる」と、心の奥を撫でるような感触。
菊乃は、それを横にずらした。
緑の花弁が一枚、静かに落ちる。
心桜の表情が、初めて固まる。
『……はあ?』
次の瞬間、心桜は刃を振り上げていた。
間合を詰める速度は速い。
裏の仕事で負け知らずだった手勢が、直線で菊乃の喉を狙う。
菊乃は下がらない。
花弁が二枚、三枚と舞い、刃の軌道だけが空を切る。
心桜の踏み込みが、座標をずらされて軸を失う。
次の斬撃も、その次も、届かない。
『何それ。攻撃が——』
『領域だ』
短い答えのあと、菊乃の側から一歩だけ間が詰まる。
心桜は反射で刃を返すが、柄が花弁に触れた瞬間、力が抜けたように弾かれる。
背中に壁が近い。
逃げ道は入口側だけだ。
心桜の覆いのない眼が、初めて本気の色になる。
今まで通じてきた魔眼も、斬撃も、この女には通じていない。
勝てない、と体が先に理解する。
『……ただ者じゃない』
笑いは残したまま、心桜は後ろへ跳んだ。
レースを戻し、入口の闇に溶けるように身を翻す。
『今日はやめ。また今度ね』
足音が遠ざかる。
追わなかった。
今追えば、余計に逃げられる。
菊乃は暗がりの中で、短く息を吐いた。
『……手強い』
だが、間違いない。
覆いの下にあった瞳の力は、幼い頃に見たものと同質だった。
次は、逃げ道を塞いで接触する。




