第29話「先読」
鉤爪が、同時に振るわれる。
——その前に、琥珀の声が飛んだ。
『右! 心桜さん、右から来る!
菊乃さんは、後ろ!』
二人は、疑わなかった。
心桜が右へ身を翻し、鉤爪の軌道を刃で受ける。
菊乃は振り返らずに後ろへ半歩下がり、緑の花弁が空中で座標を変える。
男の方の踏み込みが、虚空を切った。
『——そこだ』
菊乃の花弁が男の四肢の間合を潰し、心桜の小太刀が女の腕の関節を浅く割る。
金属が外れ、鉤爪が地面に落ちる。
二人とも、幼い体躯のまま膝から崩れた。
「上の人……が……」
言葉は、そこで途切れた。
意識はない。
呼吸はある。立てる状態ではなかった。
静かになった山道に、荒い呼吸だけが残る。
琥珀は刀の柄を握ったまま、倒れた二人から目を離せない。
ひび割れた頬。
小さい手。
制服でも装束でもない、改造された子供の形。
『……こんな、子供にまで』
声が、震えている。
『里は、こんなことしてるの?
普通の子供を、こんなにして』
その言葉と同時に、琥珀の足元から黄色い花弁が舞い上がった。
綿毛に近い、細い花。
本人は気づいていない。
怒りに呼応するように、花だけが周囲をゆっくりと回っている。
心桜の目が、それを捉える。
『……琥珀。今、花が』
『え』
気づいて、琥珀は後ずさる。
花弁は消えない。
感情が強いほど、輪が広がっていく。
菊乃の眼が、細くなる。
『力が、感情に呼応している。
感知だけではない』
『止め方、分からない』
『今は、抑えるな。
出せ。ただし、暴走させるな』
琥珀は拳を握り、深く息を吸う。
花の輪が、少しだけ小さくなった。
完全には消えない。
怒りが、まだ胸の奥で燃えている。
『許されない』
『事実だ』
『事実でも——こんなの、おかしい』
心桜が、静かに琥珀の肩に手を置く。
花弁が、その腕のまわりでも小さく揺れた。
『分かってる。
私たちも、同じだよ』
琥珀は頷けなかった。
ただ、刀の柄を握り直す。
指先が白い。
黄色い花は、ゆっくりと地面に落ちていく。
頭の奥で、里の輪郭が初めて「憎いもの」として固定されていくのが分かった。
菊乃が、西を見る。
『休んでいる暇はない。
麓は、もう近い』
『……行きましょう』
琥珀の声は小さかったが、拒む色はなかった。
三人は、倒れた二人を残して歩き出す。
子供の形をした敵の姿と、自分の足元に舞った花の感触が、瞼の裏に残ったまま、山はさらに近くなっていた。




