第27話「目前」
夜が明ける前に、敵意は一度遠ざかった。
琥珀が身を起こし、首を振る。
『……行ってしまった、みたいです。
こっちには来ない』
『感知が当たった、ということだ』
菊乃は短く言っただけで、荷物を肩に戻す。
心桜は欠伸を噛み殺しながら立ち上がった。
『夜中に追い払えたなら、上等だね』
『追い払ったわけではない。
避けただけだ』
三人は暗い道を再び西へ取る。
山の輪郭が、夜が白むにつれてはっきりしてくる。
空気の匂いが、昨日までと明らかに違っていた。
湿った土。
甘い花。
そして、どこか鉄に近い臭いが薄く混じっている。
琥珀が、袖で鼻を覆う。
『……変な匂いがします』
『里の影響だ。
外縁に近づいている』
『侵食、みたいなやつ?』
『名前は分からない。
だが、普通の山の空気ではない』
心桜は覆いのない方の眼を細め、前方の稜線を見る。
『小塩山、だろ。
ずいぶん近くなった』
『ああ。麓まで、もう半日もかからない』
道の脇に、また青い花が咲いていた。
一輪ではない。点々と続き、黒い花弁のものも混じっている。
実在しない色が、自然のようにそこにある。
琥珀は刀の柄に手を添えたまま、足を速めることも落とすこともできない。
肩は上がったままだ。
なのに、昨日より「どこへ向かっているか」だけは分かっていた。
『……本当に、この先に里があるんですか』
『歌と、生存者の言葉と、この空気が一致している。
ある』
菊乃の答えに迷いはない。
心桜が、琥珀の隣に並ぶ。
『怖かったら、言って。
無理しなくていいから』
『……大丈夫です。
大丈夫、だと思う』
三人の影が、白み始めた道の上で短く伸びる。
小塩山が、目前にあった。
入り口はまだ見えない。
だが、山そのものは、もう逃げられない距離まで来ていた。




