第25話「白刃」
気配が、上から落ちてきた。
木々の間を、白い影が滑る。
下級でも、巨漢でもない。
白い装束に身を包み、顔を布で覆った女だった。
手の中で、手裏剣が小さく光っている。
琥珀が息を飲む。
心桜も、即座には動かなかった。
刃に手はかけているが、足がまだ固まっている。
『……これも、上位』
菊乃の声に、張りがある。
「花の血……見つけた」
声は冷たく、通りが良い。
「子八根様は、お待ちだ。
逃げても、同じだ」
心桜が、ようやく刃を抜く。
笑いは薄い。警戒が先に出ている。
『長女だけにいいところ持っていかれたら、あたしの立場がなくなるもんね』
軽く言い放ったが、声の奥に緊張が混じっている。
すでに間合を測り始めている。
菊乃は動かない。
琥珀の袖を、短く掴んで後ろへ下げた。
『見ていろ』
白い影が動く。
手裏剣が三方向から飛来し、心桜は低い姿勢でそれをかわす。
刃で弾いた音が、夜の山に短く響いた。
「口だけは達者だ」
『そっちこそ。命令文句しか言えないの?』
「生け捕りで十分。
殺す必要は、ない」
『生け捕りって言い方、気に入らないね』
次の手裏剣と、心桜の小太刀が交差する。
速度で勝る相手に、心桜は間合を詰めきれない。
一撃ごとに布が揺れ、白い影が木の幹を蹴って距離を取る。
互角——いや、押されかけている。
琥珀が、思わず声を上げる。
『菊乃さん、助けてあげた方が——』
『よく見ていろ』
菊乃の声は、静かだった。
『あいつの強さは、瞳に宿る』
その言葉の直後、心桜が覆いに指をかける。
黒い布が上がり、その下の眼が光った。
圧が、空間を変えた。
白い影の足が、止まった。
手裏剣を握る指が震え、膝が折れる。
目が合い、視界の奥に欲望と恐怖が同時に流れ込む。
「従えば楽になる」「逃げられない」「終わりたい」——自分のものではない感情が、一気に内側を埋め尽くす。
「……な、に……この……」
言葉にならない声を残し、白い影は前のめりに倒れた。
気絶している。
呼吸はある。立てる状態ではなかった。
心桜はレースを戻し、肩を一度回す。
笑いは出ているが、指先がわずかに震えていた。
『……互角に見えて、最後はこっちの勝ちね』
菊乃が、短く頷く。
『千眼桜か、強い』
『当たり前でしょ』
琥珀は、二人の間を見ていた。
恐ろしさと、安堵が同時に胸を過る。
もう一人の姉もまた、ただならぬ力の持ち主だった。
自分の知らない世界の輪郭が、また一つ増えた。
白い影の口から、意識が落ちる直前に漏れた言葉だけが、夜に残っていた。
「血が……揃い始めている……」




