第20話「記憶」
夜だった。
三人は道を外れた木陰で火を焚かず、そのまま座っている。
山の空気は冷たく、遠くで梟が鳴いた。
菊乃が、先に口を開いた。
『貴様たちには、話しておく必要がある』
心桜と琥珀の視線が、同時に向く。
菊乃は炎のない闇を見たまま、言葉を続ける。
『十六年前。
私は母親と、お前たちと一緒に、何かに追われて走っていた。
夜の山道だった。
足元は悪く、息は上がり、母親の手が熱かった』
琥珀が、膝の上で手を組む。
『……逃げる、ように』
『ああ。必死だった。
目的地は分からない。
ただ、後ろから来るものを振り切ることだけを考えていた』
心桜は覆いのない方の眼で、菊乃の横顔を見ている。
『途中で、母親が止まった。
私の手を離し、お前たちを私に預けた。
「行け」としか言わなかった。
振り返ると、母親はもうこちらを向いていなかった』
『残った、ってこと?』
『ああ。
私たち三人を逃すために、残った』
沈黙が落ちる。
風が葉を動かし、また止む。
菊乃は、懐の紙切れに触れないまま続けた。
『敵が口にしていた「花の血」「回収」。
あれは、おそらく私たちに流れている血を指している。
特殊な血筋だ。
母親も、同じ血を持っていた』
琥珀の声が、小さく裏返る。
『……だから、狙われるんですか。
普通に生きてただけなのに』
『普通に見えていただけだ。
血は、最初から同じだった』
心桜が、膝に肘をつき、顎を載せる。
『……高い背中と、花の匂い。
あれ、母親だったんだ』
『断片だろう。
貴様は三歳だった。琥珀はそれ以下だ。
覚えていなくて当然だ』
『覚えてないくせに、嫌な感じだけ残るの、ずるいね』
皮肉ではなかった。
心桜の声は、どこか疲れていて、少しだけ柔らかい。
琥珀は刀の鞘に指を這わせ、すぐに離す。
『お母さんは……今も、そこにいるんですか』
『分からない。
だが、計画は進んでいる。
残った以上、無事である保証はない』
三人の間に、また沈黙が落ちる。
答えは出ていない。
なのに、昨夜までより言葉の輪郭だけが、少しはっきりした。
心桜が、夜空を見上げて短く息を吐く。
『……話してくれて、ありがと。
姉さん候補』
煽りではなかった。
ただ、受け取ったという印のような呼び方だった。
菊乃は頷かず、西の闇を見た。
『休む。
明日も、動く』
『はい』
琥珀の返事は小さく、確かかった。
母親の話は、まだ消化しきれていない。
それでも、知らされないまま歩くよりは、マシだった。




