第15話「鼻唄」
西へ向かう道は、すぐに細くなった。
街の明かりが減り、住宅の密度が落ち、山の気配が濃くなる。
京都の西端に差し掛かる頃には、砂利が靴の裏に当たるようになっていた。
前を歩く菊乃は、ほとんど喋らない。
心桜は隣で欠伸を噛み殺し、琥珀は後ろで刀の位置を何度も直している。
琥珀の肩は、出発のときから上がったままだった。
装束の袖が合わず、折り返した布が腕に食い込む。
腰の刀は歩くたびに当たり、そのたびに体がわずかに強張る。
呼吸も浅い。
昨日まで通学路を歩いていただけの体が、今は見知らぬ山道の空気を拒んでいる。
沈黙が続く。
その空気に耐えきれなくなったのか、琥珀の口から、小さな鼻唄が漏れた。
低い声。
抑揚は少なく、子供の頃に誰かから聞いたような、古いメロディ。
おしおのやまの やまおくに——
本人は、気づいていない。
肩の力を逃がすための、無意識の癖に近かった。
心桜が足を止める。
『……今の、何』
『え』
『その歌。今、口ずさんでた』
琥珀が口を閉じ、遅れて自分が鼻唄を歌っていたことに気づく。
顔が少し赤くなる。
手は、まだ刀の柄から離れていない。
『ごめんなさい。つい……。
昔から、緊張すると出るみたいで』
菊乃も、振り返っていた。
表情は変わらない。だが、眼だけが静止している。
『もう一度、歌え』
『え……』
『歌詞が聞こえた。続けろ』
琥珀は戸惑いながらも、もう一度口を開く。
声は最初より小さい。
意識すると、かえって喉が乾く。
おしおのやまの やまおくに
ちいさなはなが ねむってる
つきがしずむ そのかなた
モネの蓮が うかんでる——
そこで言葉が途切れた。
『……ここまでしか、覚えてません』
心桜が、前髪を耳にかけるふりをして小さく息を吐く。
『……聞いたこと、ある』
『私もある』
菊乃の声が、静かに重なった。
『母親が、歌っていた』
三人の間に、短い沈黙が落ちる。
山の風が、細い道を抜けていった。
琥珀は刀の柄を握り直す。
指先が白い。
鼻唄の続きは出てこない。
なのに、胸の奥で、何かが一つだけ繋がった気がした。
『……この歌、何かの手がかり、ですか』
菊乃は空を見ず、西の山の連なりを見た。
『手がかりになる。
少なくとも、今は』
心桜が、短く頷く。
『感触だけより、ずっとマシだね』
否定でも、皮肉でもない。
ただの確認だった。
琥珀は二人のやり取りを聞きながら、もう一度だけ、歌詞の端を口の中で復唱した。
おしおのやまの やまおくに——
肩の力は、まだ抜けていない。
それでも、足を止める理由にはならなかった。




