第三話 最初からお前の婚約者は俺だけだ
数日後、王宮の廊下を歩いていた。
レオンハルトとの茶会へ向かう途中、庭園から宰相と王太子付きの側近の声が聞こえてきた。
「殿下も懲りませんな」
「何の話です?」
「フォスター公爵令嬢の三人目の婚約者だった、ウィンフィールド伯爵令息の件ですよ」
思わず足を止めた。
「借金を抱えているところへ、返済を肩代わりすると誘いをかけた令嬢を近づけた件ですか」
「あの男は、まんまと食いつきましたからな。公爵令嬢と結婚すれば借金などどうとでもなったでしょうに」
「その後、殿下は伯爵家の事業から融資を引き上げ、潰れかけたところで安値で買い取ったとか」
「ご令息本人は、地方の鉱山へ送られたそうです」
柱の陰に身を隠すと、指先が震えた。
「五歳の時からフォスター嬢に一目惚れだったと聞いております」
「ああ。ずっとお心に決めていたと」
「にもかかわらず、ご自分から名乗り出ることはせず、お嬢様の婚約が決まるたびに相手を試すとは。実に回りくどい」
「結局、全員が引っかかった」
「恐ろしい御方ですな」
その後の会話は、耳に入らなかった。
全部、レオンハルトが仕組んでいた。
私が四度も裏切られたのは、彼が婚約者たちを試したから。
けれど、浮気をしたのは彼ら自身の意思だ。
では、誰を責めればいい。
その日の夜、私は執務室へ押しかけた。
「殿下。話があるわ」
「……聞いたのか」
「ええ。宰相様たちの会話を偶然」
書類から顔を上げた彼は、私の表情を見るなり何かを察したらしい。
「本当なの?私の婚約者が浮気したのは、全部レオが誘導していたから?」
否定はしなかった。
しばらく私を見つめた後、椅子から立ち上がる。
「本当だ」
「どうして、そんなことを」
怒っているはずなのに、頭の中は混乱していた。
傷つけられた。
騙されていた。
それなのに、四度の婚約破棄が、自分に魅力がなかったせいではないと知って安堵している自分もいた。
「五歳の時だ。国王主催の園遊会で、お前が転んだ小さな令嬢を助け起こした。自分のドレスが泥で汚れるのも構わず、泣き止むまで傍にいた」
「そんなこと……覚えていないわ」
「俺は覚えている。あの時から、俺はお前しか見ていない」
胸が強く鳴った。
青い瞳には、私しか映っていなかった。
「だが、俺は王太子だ。軽々しく想いを告げれば、家同士の問題になる。お前に断る自由がなくなるかもしれない。それが嫌だった」
「だから、黙っていたの?」
「ああ。そのつもりだった」
笑ってはいなかった。
「お前に婚約者ができるたび、頭では、それでいいと思った。お前が選んだ相手なら、俺は祝うべきだと」
「だから、金や女性を使って試したの?」
「ああ」
「もし靡かなければ、諦めるつもりだったの?」
すぐには返事がなかった。
「……そう思っていた」
「思っていた?」
「今となっては、本当に潔く諦められたかは分からない。相手を調べ続け、欠点を探し、お前が嫌いになるまで待ったかもしれない」
背筋を冷たいものが走った。
「もし、その相手と結婚していたら?」
「お前の結婚式で笑っていたかもな」
「その後は?」
「一生、王妃を置かなかった」
「そんなのダメよ!」
迷いのない返答。
「お前を傷つけてまで奪うつもりはなかった。だが、お前以外を隣へ置くつもりもなかった」
「なんで何も言わなかったのよ……」
「お前に言えば、困らせる」
「十分困らせてるわよ!四回も婚約が駄目になって、私がどれだけ悩んだと思ってるの。自分に魅力がないんじゃないかって、ずっと……!」
思わず声を荒げた。
けれど、視線は逸らされなかった。
「すまない。試したことは謝る。お前を悩ませたことも」
「それだけ?」
「だが、婚約者たちを破滅させたことは、謝る気がない」
思わず目を見開いた。
「お前を裏切った。俺が機会を与えなければ浮気しなかったと言うなら、いつか別の機会に同じことをした。婚姻前に分かって良かったと思っている」
「身勝手よ」
「分かっている」
「最低だわ」
「それも分かっている」
「……怖いとも思う。でも……」
腹が立つ。
勝手なことをされたと思う。
簡単に許してはいけないとも思う。
それでも、十年以上も自分だけを見ていたと言われて、嬉しくないはずがなかった。
「嬉しいとも思ってしまう自分が、一番腹立たしいの」
「エレイン」
「まだ許したわけじゃない」
「分かっている」
素直な返事にため息をつく。
「本当に分かっているのかしら」
「努力する」
「不安になる答えなんだけど……」
手が伸びてきたけれど、すぐには触れない。
私の返事を待つように、指先が止まる。
以前なら、そんな躊躇いは見せなかった。
迷った末にその手を取ると、次の瞬間、強く引き寄せられる。
「殿下、苦しい」
「すまない」
そう言いながら、腕の力はほとんど緩まなかった。
「愛している」
耳元で告げられた言葉に、胸が熱くなる。
「ずっと前から、今も、これからも。お前が誰かを選ぶたび、俺は祝うふりをした。だが、もう譲る気はない」
「馬鹿ね」
「否定はしない」
「なら、最初から自分で求婚すればよかったのに」
「断られたら、幼馴染でいることすらできなくなると思った」
顔を上げた彼に、初めて少しだけ弱気な表情が見えた。
胸にあった怒りが、ほんの少しだけ形を変える。
「私も、好きよ」
今度は彼が動きを止めた。
「いつからかは分からないけど。婚約が決まるたび、あなたに報告するのが嫌だった。破談になるたび、最初に会いたいと思った。あなたが他の令嬢と婚約するかもしれないと考えると、ずっと落ち着かなかった」
「それを、今言うのか」
「あなたも十年以上黙ってたでしょう」
「……そうだな」
額が触れ、目を閉じた。
触れた唇は、思っていたよりも優しく、離れた後も手は繋がれたまま。
「今度こそ、俺が最初で最後の婚約者だ」
「最初ではないわ。五人目よ」
「過去の四人は数えるな」
「記憶を改竄しないで」
「俺の中では、最初からお前の婚約者は俺だけだ」
「それはさすがに怖いわよ」
笑うと、ようやく口元を緩めた。
「安心しろ」
「何を?」
「もう二度と、お前に新しい婚約者候補が現れることはない」
「……それは、王太子妃になるからでしょう?」
「ああ」
穏やかな笑みが返ってくる。
その言葉を信じることにした。
少なくとも、今夜のところは。
後日、かつて私を傷つけた四人の元婚約者は、それぞれ事業の失敗や不祥事の発覚によって、社交界から姿を消した。
一人は遠方の鉱山へ送られ、一人は領地へ蟄居し、一人は爵位継承権を失い、最後の一人は国外へ逃れたという。
誰がそれを仕組んだのか、公に語られることはなかった。
ただ、王太子妃となった後、ある日何気なく尋ねたことがある。
「ねえ、レオ。私の五人目の婚約者候補は、本当に一人もいなかったの?」
「いた」
予想外の返事に、思わず目を瞬いた。
「いたの?」
「ああ。三人ほど」
「初めて聞いたわ」
「お前の耳に入る前に、全員辞退した」
「どうして?」
「俺が頼んだからだ」
書類から顔を上げ、穏やかに笑う。
私はそれ以上、聞かないことにした。
最後までお付き合いありがとうございました。
ちょっとヤンデレ気味な王太子との恋愛を書きたくて生まれたお話しでした。
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