アレナセイアの回想
父の容体が悪化したとき、夫は「父上にお会いしておいで」と言ってくれた。臨月が近かったこともあり、母のそばで出産することにした。
だが、死産だった。産まれた子は、泣き声を一度も発しなかった。
辛かった。夫もきっと落胆するだろう。母乳で張った胸が、さらに悲しみを呼び起こした。この乳を飲むはずの子は、もういない。
実家の女官であるマリエリナも半月ほど前に娘を出産していた。彼女は母乳の出が悪かったので、代わりに私が母乳を与えた。この子のおかげでずいぶんと慰められた。
姉妹のように育った気安さもあって、マリエリナに「この子が欲しい」とつい言ってしまった。
「大切に育ててくれるなら、喜んで」
と言って、彼女は笑った。
軽率な発言だった。仲が良いとはいえ、使用人が主家の娘の要求を拒否できるわけがないのだ。だが、私は彼女の厚意に甘えてしまった。彼女から娘を奪ってしまった。
「どんなことがあっても我が子として守り通す」
と彼女に誓って、彼女の娘を譲り受けた。その娘はアレナエリンと名付けられた。
マリエリナもヘイセイス家に呼び寄せ、アレナエリンを二人で愛し、大切に育てた。
マリエリナは五年前に病に倒れ、アレナエリンを頼むと言い残して息を引き取った。彼女のためにも、彼女の分も、アレナエリンを幸せにしたいと思った。
ある日、ポセワイゼスという男が逗留することになった。アレナエリンを見る彼の目つきに違和感を覚えた。あれは、メスを見る目だ。私は彼とアレナエリンが二人にならないように警戒した。
だが、あの日、恐れていたことが起こった。
ポセワイゼスが逗留している客室から、アレナエリンが飛び出してきたのだ。アレナエリンの様子は尋常ではなかった。そして、あろうことか、服が激しく乱れていた!
私の愛するアレナエリンが、大切な友人から託されたアレナエリンが、あの薄汚い男に汚されたというのか。私は逆上した。何も考えられなくなった。
「あの男を殺す」
その考えで頭がいっぱいになった。
部屋に戻って引き出しから小刀を取り出し、ポセワイゼスの部屋に向かった。だが、夫と息子の声がする。様子を窺っていると、二人が出てきた。
今なら扉が開いている。
客室は暗かった。寝室に居るのか。寝室をのぞくと、ポセワイゼスが血を吐いて倒れていた。
思わず悲鳴を上げてしまった。
誰が殺したのか。夫たちなのか。それともまさか……アレナエリンが? だとしたら、守らなければならない。
空の瓶が床に転がっていた。アレナエリンが飲ませたのだろうか? 考えている時間はない。後のことは、時間があるときに考えればいい。瓶を拾い上げると、部屋を飛び出した。
そこで監察使と名乗る男に遭遇した。私は、平静を装うことしかできなかった。
自分の部屋に戻ってから、小刀を持っていないことに気付いた。私は、空瓶だけを固く握り締めていた。
客室に戻ると、とても小刀を探せる状態ではなかった。
あの監察使が、服の留め具を拾い上げた。何ということだろう。アレナエリンが着ていた服に付いていた物だ。アレナエリンが乱暴されたときに、服から取れたのか。あの留め具は、アレナエリンが犯人であるという証拠になるだけではない。アレナエリンが乱暴されたことも意味する。あの子の名誉のためにも、あのことはなかったことにしなければならない。
アレナエリンの部屋に行くと、あの子は泣いていた。かわいそうに。辛かっただろう。私はアレナエリンを抱き締めてから、留め具の有無を確かめた。やはり、一つ足りない。
この服は、私とおそろいだ。本当はメリエリナの分も仕立てようと提案したのだが、固辞されてしまった。メリエリナはアレナエリンの姉だ。二人に差をつけたくなかったが、メリエリナはマリエリナと同様、あくまでも自分を使用人と規定して線を引こうとしている。
私の服から留め具を外し、アレナエリンの服に縫い付けた。これで、乱暴された痕跡は消せた。
問題は、留め具が欠落した自分の服と寝室で拾った瓶をどうするか。下手に隠すよりも、破壊するなり焼却するなりした方が安全だろう。発見されたら破滅だ。
……いや。だめだ。
あの監察使は得体が知れない。留め具から、アレナエリンを疑っている節がある。アレナエリンから彼の目を逸らす必要がある。
いざというときのために、「私の部屋で発見される」ようにしておこう。証拠があれば、私が犯人になることができる。アレナエリンを守るためならば、私が斬首されよう。アレナエリンを守れるなら、私の首など喜んで差し出そう。
なぜだ。なぜなのだ。薬の容器がない。これではアレナエリンを守れない。
動揺した私は、部屋を飛び出して一階に駆け降りた。一階にあると思った訳ではない。混乱していたのだろう。一体、どこを探せばいいというのか。
薬の容器はなぜなくなってしまったのか。分からない。誰かが持ち去ったのだろうか。
だとしたら、一体誰が……。




