9くち 5
…
マシューが趣味のカードゲームのデッキ調整をしている最中に、バートは帰ってきた。
もう夕方だった。
キャップとサンダルを脱いで、にこにこして九畳間に入ってきた。
心成しか、肌が赤くなっている気がした。
「遅かったね」
「日本語が達者なドイツ人に誘われて海で泳いできた。スイスドイツ語で話したら、"ちゃんとしたドイツ語で話せ"って言われちゃったぜ」
「歩いて行ったの!?ここから海岸まで徒歩で二時間かかるよ!と言うかフットワーク軽っ!知らない人について行くなって教わったろ!」
「そうだった。マムには内緒にしてくれ。怒られちゃうぜ」
でも、日本語のアドバイスをくれたし、この街のオススメとか教えてくれたし、バドミントンして遊んでくれたし、恋人の話もしてくれたんだが楽しかったし、良いヤツだったぜ。
などと、聞いてもいないことをぺらぺらと心からの笑顔を浮かべてくっちゃべるバートを見ていると、仏頂面で言葉少なく針を繰るダンケの顔が浮かんだ。
まったくの正反対。一本の線の端と端に立って、決して相いれないような二人の兄。
それでも、ダンケがイングリス一族の影から抜け出すきっかけを作ったのも、日国家の一員になる決断をさせたのも、このバートだと言う。
二人は兄弟でもあり、相棒でもあるんだ。
不思議な話だ。
段々話口調が言い訳がましくなってきて、激しい身振り手振りが鬱陶しくなり、やかましいと一喝するとバートは黙った。
大袈裟に口を固く引き結び、神妙な面持ちでお手上げをした。
「まあ、今回は何事も無く普通に遊んできただけだから良いけどさ、昔から知らない人には警戒心を持て、誘いには乗るなって、父さんにも母さんからも口酸っぱく言われてきただろ?なんで遊んじゃった?」
「そういうのイマイチ分かんなくて、俺。知らないなら知ろうとしなくちゃ。日本で外国人の英語が聞けたのも嬉しくて」
「お前さ、それで昔誘拐されかけたんだから、本気でやめて。表面上だけ見てちゃだめだ。せめて薄皮一枚向こうを透かして見ろ」
J's患者はそういうもんだって分かっているんだけどさ。
警戒心が無くて人懐っこくて明け透けで、衝動的。
第一印象の善し悪し関係無く、誰に対しても喜んで駆け寄る。腰の銃に手をかけているような人間にだって、「おはよう、今日は良い日だ」と言って手を振るだろう。
注意しても、危機感の無いバートにはイマイチ理解出来ない。だから「知らない人には関わるな。危ない人もいるんだから」としか言えない。
でも、その"危ない人間"が分からない。見るからに怪しい人間を前にしても、実害を被るまで危険か否か、バートには判別出来ない。