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懊悩の淵  作者: 粘土
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生きる事。死ぬ事。

実際、養豚場などでは連れて行かれる豚達の悲鳴が聴こえます。

 人は罪を犯します。気付かずに、犯しています。今、こうして生きて居る事も罪なのです。繰り返し申し上げますが、人とは生まれながらに“原罪”を犯しているのです。僕が其の際たる例です。不良品の、更に不良品でありながら、今も生きて居ます。生き物ですから、腹も減り、物を食べます。其れはかつて“命”だったものです。空腹の為に動物を飼い、『出来上がった物』を食べるのです。僕が我慢をすれば、死なずに済んだ生き物たちを食べるのです。子供の頃は何とも思いませんでした。けれども、大人に成って、働く様になってからはもう其の事実を無視出来なくなりました。何故なら、自分の命が何時いつまで続くか解らない事に気が付いたからです。人という生き物は、そんな事さえ忘れてしまった様です。“免罪符”と云う言葉が有ります。其れは、詰まりお金の事です。更に言及するなら、『スケープゴート』の事です。放牧していた羊や山羊やぎに、自らの過ちを背負わせ、野に放つのです。其れで自らの間違いや、とがを逃れようと云うのです。簡単に云えば、其処に“プロテスタント”が生まれたのです。先述の通り、免罪符とはお金の事だからです。僕は其れを哀しく思います。僕等は等しく生き、等しく死をたまわきなのです。何にも知らなかった僕は、大学に進学する事で其れを知り、悟りました。僕にとっては、とても不思議な事です。何時いつから僕等はそんな事を赦されたのでしょう。命とは等分に在るき筈なのに、人は其れをかえりみません。次の日を拝む為にする事なら仕方有りません。けれども、現状をかんがみるとそうではない事に気付きます。“彼等”は子供を育てる為だとか、食する者を満足させるとか、そんな事しか云いません。実際には、己の身の保証の為に皆殺しにしているにも拘らず。僕は之から殺されに行く生き物の声を聴いた事が有ります。皆、其れが解っているのです。ですから、最後の声を上げます。けれども、決まってしまった以上、育てて来た人は無視をします。仕事と云って割り切っています。そんな人には、やはり罪が有るのです。そうして、其れと知りながら口に運ぶ僕にも大いなる罪が有ります。今になって気が付いても、もう手遅れです。全体、何時いつから人はこんなにも偉くなったのか。いえ、何時いつから“それ”を自由だと思いこんでしまったのか。そんな事を考えると、とても哀しくなります。ましてや、人同士でそんな事を繰り返して来たのかと思うと、途轍とてつも無い絶望感に襲われます。どうか、皆さんはそんな事に納得しないで下さい。変わりの無い日常はしっかりと眼を据えて、現実を観て居れば、必ず遣って来ます。せめて、一時でも、生きる事と、死ぬ事を考えてみて下さい。うか、うかお願いします。

其の後の仕事をしていた自分が情けなく思います。

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