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懊悩の淵  作者: 粘土
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タイトルの意味を知れ

ちょっと偉そうな書き方をしましたが、皆さんには能く御存知かと思います。

 現実に生きる者として、一言云いたい。『人はいずれ死ぬ』。これ首肯うけがわない者は何一つ成す事も出来ずに終わりを迎えるだろう。何故ならば、焦りと云う名の緊張感を持っていないからである。死と云う事象は必ずしも哀しいものでは無い。寧ろ、人が其々固有に持っている最大限の自由だからだ。何故死をいとう? 君に一つだけ約束された自由じゃないか。と、哲学をおもにする僕は常に考えていた。友人は其れを呆れた考えだと云った。けれども、其れは違うんじゃないか? そう云った友人にも等しく死は訪れる。ならば、僕の意見もく考えて見るき筈だ。固定概念、或いは、宗教に縛られているのではないのか? 考えも宗教も、人が産みだしたものだろう。ならば、何故生理学に目を向けない? 世界にエントロピーが存在するが如く、人と云う生物には生物としての限界が有るのは云うまでも無かろう。足掻きたいのか? 其れとも生きる事が辛いのか? 何方どちらにせよ生まれたからには死ぬんだぜ? 之以上は蛇足かな。あまり云いたくも無い事だしね。悪いが、僕は僕の路を行く。其の果てには必ず死が待っている。実際死にかけた事は十を超える。其れでも生きて居るのだから、之からも生き様と思うのは当たり前の事だ。其れを、特に問題も無く産まれた連中が『死にたくない。死にたくない』と云うのは自分が不公平な事を云っているのに気が付かないでいるからだ。死産と云う言葉を知っているか。きちんと生きて、生まれようと云う時に死をこうむる事だって有る。誰が死にたいものか。誰だって生きて居たい。けれども、そうは行かないのが世の中だ。そんな事にすら気の付かない者は愚か者だ。問いを掛ければ誰でも悠久の時を望むだろう。其れは解るが、そうは行かないのだ。限界が有るからこそ、僕等は必死に生きる。だからこそ、今と云う時間と其の現実が美しく思えるのだ。否定出来る者が居るなら説教をして遣ろう。誰かを想う事とは、いずれ訪れる死を思うからこそだ。そして、だからこそ、今と云う時間を、現実を大切にしようと思うのだ。死の間際に泪を流すのは、本当に生きた人か、或いは、現実を直視出来なかった者だ。正しいのは、何方か。云うまでも無く、前者だ。何故僕が『懊悩の淵』と名付け、書いているのか、之で判然はっきりしただろう。ネガティヴなのでは無い。ポジティヴだからこそ、暗い闇を描こうとしているのだ。たった一人、其れを勘違いしている人を知っている。名は明かさないが、そんな事にすら辿り着けなかったのかと残念に思っている。せめて、此処に来てこんな駄文を読んで呉れる人に感謝だ。之以上無い、感謝だ。君達に幸有れ。


生きている意味を知らずして、書き手とは呼ばせません。

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