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懊悩の淵  作者: 粘土
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生きる

タイトル通りです。

 君達は自殺ってものを考えた事が有るだろうか。私には有る。左の手首を三十針と、右の手首を十針縫った。其れも、親にせまられて、である。此の哀しきさが何処どこから来るんだろうね。きっと、生まれ落ちた其の時に決まっていたのさ。社会と云う名のコンプレックスに従って生かす事にはしたけれども、結局持て余していたのさ。美しきかな。人は人をゆるしてしまう。だから、ゆるされた人は生きなくてはならない。嗚呼。あの海と、山とよ。帰るき場所は決まっているのに、これもまた社会の取り決めに因って、もう帰る事が出来ない。いつくしむ物とは何ぞや? もう、二度と帰れない家を思い、眠れない夜を過ごす。世に対して自信は有っても、所謂いわゆる“イエスマン”でなければ通用しない。例えば、一兆円程持っていれば話は別なんだけれども。世は金か。否、違う筈だ。昔でところの、隣近所での塩や、醤油しょうゆの貸し借りとか。みなみなして生きて行こうと思って居たじゃないか。簡単に云うと前に挙げた例でのきもは、人は塩が無いと生きて行けないって事だ。そんな遣り取りにも互いの心が通じて居た。もっと、さかのぼれば、朝にはシジミ売りが往来を行き来し、昼にもなると、茶屋で甘酒を呑ませた。シジミは大変内臓に好いし、甘酒は呑む点滴とまで云われた。其れがうして、こんなしみったれた世の中になっちゃったんだろうね。何処どこかで踏み違っちゃったのかな。私はイエスマンには成りたくない。何時でも意見して現状の改善を願う。そうして、実際遣って来た。けれども、やっぱり云う事を聞く人間の方が重宝される。其の人達のアイデンティティを疑うよ。信じるのは間違いだ。どうせさもしい余生を送るに違いないのに、今在る現実にしか目を向けない。そうして、そう云う人達は“今”と云う現状にも気付いていない。そして、突然“クビ”だと云われて困惑するのだ。解っていないから。結局の処、マジョリティかマイノリティで切り裂かれるんだろう。マジョリティとは、かつて産まれ、多くに広まったマイノリティである事も知らずに。ノーベル賞をあてがって見れば解るでしょう。評価されるのは、究極のマイノリティであると云う事に。其れを人に見せるか否かは当人次第。芸術などでも、阿呆が、アウトサイダーアーティストなどと称して、コンペにも出さず、雑誌の応募にも出さずに気取っている。自分が一番だと。馬鹿たれが。“実際”の評価が怖くて応募しないだけだろう。……お話が大分ズレてしまった。取り敢えず私はアウトサイダーアーティストが嫌いだとだけ知っておいて欲しいんだ。と、云う訳で、話を元に戻そう。

 詰まりは、自分自身がう在りたいのかと云う質問なのだ。別に応えて呉れなくとも好いが、安易な人生を送るか、苦労してでも、自身を貫くかと云う事に帰する。私は生きて居たい。然し、死にたい。何方どちらも有り得るのだ。其れは家族に起因する問題なので、君達には関係の無い話かも知れない。只、何時いつか決着を付けなければならない日が来る事は知っておいて欲しいな。考えて置かないと絶対に後悔するから。……私としては以上だ。

 嗚呼。あの海へ帰りたい。あの海へ還りたい。今正に、そう思い、願っている。

反対も有りしや。

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