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懊悩の淵  作者: 粘土
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何時か観た夢

何時か書いたホワイトガーデンの続編です。

 霧が流れている。此処ここには河も無ければ、盆地ですら無いのに。山も無い。海も無い。何にも無いのだ。以前書いた物を思い出す。とても幻想的で、美しき世界だと。今に成って見れば鬱陶しいだけだ。然し、嫌いには成れない。其れが不思議でならない。“恋せよ乙女。命短し”と云うが、其れは歳の頃であって、本来の命では無い。乙女で在るなら幾らでも相手は居るだろう。然し、私にとっては其の命其のものが短いのだ。故に、疎ましいと思えないのだろうか。森羅万象。凡てのことわりだ。其れを肯定するならば、神の存在など無意味では無かろうか。人の命の尺が決まっている様に。

 そんな事を考えつつ、酒を買いに行く。命の尺が削がれるのを知りつつ。然し、私にはそんな事は関係の無い事だ。いずれ人は死ぬ。其の事を宣告されたなら、最早遠慮は要らぬだろう。正に今こそ自由気儘じゆうきままだ。

 買って来た酒を呑みつつ大好きな漫画を読む。とても子供向けでは無い物だ。かと云って、大人でも理解し難い興味深い物だ。ヒントとしては“一両、二両”と数える頃の話だ。明治よりも昔の、脇差どすに生きる者達の話だ。

 其れは如何いかにも潔く、生きるか死ぬかと云う世界だ。大きな傷を負えば、即死に繋がる様な世界だ。太刀の頃では無く、打ち刀の頃の話だ。間合いが狭く、立ち合いにも一寸の隙も見せられない時代の話だ。一両、(現在で云うと約十三万円)の時代に生きる無宿むしゅく渡世人とせいにん旅人たびにん、或いは堅気の旅芸人達の生きた時代の、もの哀しくも美しいいろどりを描いた描き物である。うあれ、其れを読んでいると気が落ち着く。嗚呼ああ、私も其の時代に生きて見たかったと思わせる物だ。言葉遣いに少しく違和感を感じるが、そんな事はうでも好いと思わせる筋書と、画力を持っている。其処に、霧が登場する。其れは作者の意図した物で、私の云う霧とは違うのだが、然し、同一の物として感じざるを得ない。美しくとも、怪しくとも、霧は霧。同じ物だ。天秤に掛けて観れば解る。同じ質量で釣り合っている。其処で、漸く気が付く。『やぁ、霧とはこんな物なのか』と。かつて書いた“ホワイトガーデン”。思い出す。あの時の気持ちを。今とは違う心を。……

 私は、まだ生きて居る。何時いつか又、あの時の様な気持ちに成れるだろうか。


冬目 景さんのファンなんです。僕も絵描きなので。

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