死の病
実際の出来事です。
酒を呑む。兎も角呑む。そうしないと、遣って行けないからだ。一度、食道の静脈瘤が破裂して、二千cc位の吐血をした。二日間我慢したが、救急で即集中治療室行きと成った。幸い、いや、不幸な事に、一か月程の入院で治ってしまった。あの時死んでいればと、幾度と無く思う。……。
私には何が出来るのだろう。さっさと死んだ方がマシなのに。未だに生きて居る事が辛くてならない。沢山の才能を持ち、然し、積極的に其れを発揮出来ない私には最早生きて居る価値など無いのではないのか。そう思えば思う程、不思議な事に、生きて居たいと、そんな欲求が募る。生きて居たとて、何が出来る? 先に挙げた沢山の才能をお披露目すれば好いのか? 下らない。そんな物は何れ忘れられ、誰の記憶にも残らないのだ。真実として、其れは泡沫の夢である。実現すれば、幾らかの交際は有るだろうけれども、其れが何を意味しているのか分からない。私は私が解らないのだ。一体何の為に生きて居る? 誰の為に生きて居る? ……まるで解らない。綴る文字さえ、言の葉と呼べるか何うか怪しい始末だ。何に成る? 誰に届く? 畢竟、只のマスターベーションだ。此処から出立して、何処に辿り着くのだろう。きっと、意味の無い地へと辿り着くのだろうが、其れでも期待してしまうからには、命を諦めて居ないからなのだろう。詰まり、色んな才能を持ち過ぎたのだ。器用貧乏と云うが、正しく其の通り。幾らかでも頑張れば、之まで何とか遣って来れた。其れが不可なかったのだ。どうせなら、何の能力も持たず、只々遣われる身分であれば好かった。然し、“違う”と云う事には徹底的に反する様な性格が災いして、何処とも居り合いが付かなく成った。之は、間違い無く私の所為だ。イエスマンに成れない私の所為だ。哀しきは、正義を知ってしまったからだと思う。……。
だからして、私は酒を呑む。恐らく、次に吐血すれば命は無いだろう事を知っていながらも。もう、何うでも好いとか、そんな逃げ根性では無く、決意をしているのだ。次が無ければ其れで終わり。其れなら其れで充分だ。沢山生きた。色んな事を楽しんだ。辛い事も笑顔で乗り切れた。其れなら、充分だ。私には、如何なる称号も要らない。只、産まれ、生きて、そして、死ぬ。其れが私には相応しい。皆有難う。次が有ったら、又会おう。
入院中は寝れなくて困りました。




