君を愛している・伍
ちょっとした切っ掛けで人は何かに気が付くのです。
今より少し前に、アマリリスが咲いた。宅配業者からの勧誘で買った花だ。一時は、クリスマスシーズンに部屋の中で、其の美しさを誇っていた。其れを庭に植え替えたのだが、待つ事も無く、あっという間に咲いた。凡そ五か月位だろうか。流石に其の成長ぶりには驚いた。
アマリリスと云うと、綺麗で、可憐な乙女と云った印象が有るが、実は彼岸花の仲間である。彼の赤く、美しく、儚いイメージとは程遠い。彼岸花は、死を迎えた者を送る花。そして、再び迎える花。彼岸とは、彼の岸。詰まり、あの世を意味している。そして、其れは、精霊会、裏盆会、又は盂蘭盆会のかけ橋であるからだ。諸説有るようだが、彼岸花は其の一例とされる。あの、独特の風合いが其れを連想させるのだろう。いや、現代でも死者を川に流す風習は他国に有る。此の国に於いても、火葬する費用の無い者達が川に流し、送っていたのであろう。故に、其の川辺に咲く彼岸花が死と、再生とを繋いでいるのだと、私には思われる。そもそもが、嘗ての送り方は土葬であった。自然に還すと云う意味と、其処に眠っているのだと云う利便性。其れ等を兼ね備えていたからであろう。……。詰まらぬ事を語ってしまった。
ともあれ、死者を送り、迎え入れる事の出来る花なのである。私は其れを三年間、買い求めた。決まって、二株。其れが意味する処は何か。私と、もう一人。定まらぬ視野に捉えた嘗ての少女か。余りに自虐的過ぎて、自身でも笑えて来る。もう、二度と会う事は無いのだから。ほんの少しの間であったが、確かに彼女と言葉を交わした。其れは、私にとっては言の葉を紡いだものだった。彼女にとっては、偶然出会う事に成った男との言葉の遣り取りでしか無かったであろう。然し、一方だとて、其れを必然的に美しき瞬間の遣り取りであると感じたならば、其処には確かな意味が有る。確かな価値が有る。そう信じる私は愚かであろうか。愚者の驕りであろうか。否。違う筈だ。生に意味を求めるのなら、其処に生じる凡ての幸と不幸を呑み込まねばなるまい。目を逸らす事など出来ない。事実、其処には大なり小なりの理が有るのだから。其れは簡単な事の様で難しく、視えない事にも目を光らせていなければ出来ない事だ。私にとっては、頗る愉快であるが、他の人にとっては非常に迷惑な事らしい。長い年月を経て、漸く解った事である。私は其れを哀しく思う。只、絶対に解り合えない訳では無い。たったの一つ、新たな視点を見付ければ好いだけなのだ。結果、幸せに成るとは云えない。然し、不幸せに成るとも云えない。みだりに判断す可き処では無いのが事実だ。只々、本人が何う思うのか。其処に尽きる。……。又、詰まらぬ事を語ってしまった。
詰まり、私は、美しきアマリリスに生と死を視たのだ。其れからの事は自身で見極めねばなるまい。今は美しくとも、やがて、醜く枯れ行く花の為に。
まだ、続きます。




