一期一会
何気に、箱庭の言の葉に近いです。
朝、寒さで目を覚ました。予報では雪が降ると云っていた。
億劫だが、布団を剥ぎ、カーテンを開けた。すると、其の通り雪が積もっていた。普段はまるで信用出来ない報せが、今日に限って当たっていた。
幸い、今日は休日だ。出不精な上に寒がりの私にとっては疑う間も無く、是非も無い事。然し、そうは云ってもやはり寒い。何だって今日に限って本当になるのだ。剥いだ布団に潜り込む。余りに寒く疲れが酷い。あっという間に眠ってしまった。
目が醒めると、もう昼近くであった。自分で自身を恥じる様な、然し、そんな必要など無いのだと、言い聞かせる。きっと、何方も間違いだ。思わず頭を掻きむしる。然し其れは、自虐でしかないのだ。
ふと、何時かの、梅雨の或る日を思い出す。雨は疎ましいが、本来で居られる夏に近い季節だ。私は公園へ出掛け、煙草を燻らせていた。何の気も無しに、辺りを見回す事も無く、空を、只、空を一心に見詰めていた。空には何の縛りも無い。柵も無い。凡てが自由だ。だからして、空を見上げるのは中々に心地が好い。灰色の空は雨の降る音、滴る音しか聞かせない。静かだ。余りにも静かだ。まるで時が止まっている様であった。不意に、其処へ足音が聞こえた。私は其れに気を向けなかった。自分には関係有るまいと思った。然し、驚いた。声を掛けられたのである。一見して女の子だと思ったが、彼女は成人であると云った。然し、そうとは思えない位に小さな娘だった。白金と云って好い程の綺麗な短髪で、美しい、ワインレッドの瞳を向ける彼女に、大いに感心した。
敢えて、其の時の会話は語らない。只、例えるなら、恋人同士の様であった。其処に私は不快を覚えなかった。彼女の雰囲気はしっとりとして、好い意味で実に大人の態度を以って接していた。少なくとも、私にはそう思えた。運命、と云う言葉が有るが、正にそうとしか云えないであろう出会いだった。灰色の雲の下、白銀の髪を持ち、然し、一際映える、優しい、赤い瞳。願うのでは無く、期待として、もう一度出会えたならと、記憶と云う思い出を反芻する。……いや、止そう。止めて置こう。奇跡は再び起こるものではないのだから。
床を上げて、ストーブを付ける。温かくなるまでは暫く掛かる。寒さを堪え、閉じた侭だったカーテンを少しだけ開き、空の様子を窺う。相変わらず、粉雪が降っていた。視界の届く範囲は既にすっかりと雪を被り、まるで世界の凡てが白に覆われたかの様だった。思わず溜息を吐きそうになった其の刹那。一匹の黒猫が走る姿が観えた。一瞬、目を疑った。特に驚く事では無い。然し、凡てが白の中に現れた黒は恐ろしい程に美麗で、点として観るならば、大きな穴から見付けた極々小さな宝石の様であった。然し、吐く息は白く、無邪気に戯れる姿は、まるで、そう、まるであの時の彼女にそっくりだった。
ストーブの温かさでは無く、体が熱くなるのを覚えた。其の時、気が付いた。あの時の出会いは、正に此の出来事と同じであったのだ。先を観ると云う事とは、少し違う。期待すると云う事とはやはり違う。一度きりの、奇跡。偶然。詰まり、一期一会。……
私はカーテンを閉め、思わず呟いた。「さよなら」




