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懊悩の淵  作者: 粘土
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真実

「真実が誠であるかは解らない。一つ、云える事が有るとするならば、其れは個の人生の終着点である死に因ってのみ語られるだろう。何故なら、生きようとする命が尽きる時、誰が傍に居るか、其れが解るからである。思い出して見ると、人の人生には誤りが多過ぎる。そんなものは結果論だと断じるには余りに人は愚かしい。先達にならえば、決して過ちなど犯さない。然し、やはり軽んじているのだ。生と云うものを。だからこそ、事実のみを抽出し、結果を観て、其れが真実であると誤認しているのだ。進化の過程を紐解いて見れば能く解る。人の歴史は矛盾だらけだからである。世界に存在する歴史を網羅しても、たった一国の字引を暗記して見ても、結果は変わらない。賢くなるだけである。詰まり、一様ではないのだ。命も、世界も。産まれると云う事を切掛けに、死に向う過程で何が出来たのか。或いは、何をようとしたのか。不平、不満、不遇。色々有るだろう。然し、其れは平等ではないにしろ、凡ての命に降り注ぐのだ。今、正に死に逝く者が居る中で、う振る舞えば好いのか。結果論では答えは出ない。仕方が無いと吐き捨てられるだけだ。其の時に、思う事は何か。其れを想う事が出来るのか。そう、問い掛けても、勘繰られるだけだろう。其処にこそ、目を向けるきなのだ。自らが、自身に問い掛ける事は何か。本当に仕方が無いのか。其れとも、出来得る事が有ったのではないか。そう考えるのが人としての、心の持ちようと一般なのである。牛歩で構わない。少しずつ、砂時計の砂の様にゆっくりと培って行くものこそが、所謂真実なのだ。単簡なる真実などポンチを読めば充分だ。其れで好いなら幾らでも真実は有るだろう。人生哲学、其れは畢竟人生観だ。他人を幸せにしようなどとは、露程にも思っていないのだから。まぁ、其れも好かろう。自身の幸せを他人に強請ねだらないのなら。本来なら、一々述べる可きでは無いが、実は簡単な処に答えは有る。子宮だ。其処に根付いた命。単細胞生物であれば、遺伝子を預かる自らの命である。そして、終局である死だ。生を受け、死へ至る処に真実など無い。従って、生とは真実を補完する為に有り、死と云う結末に立ち上げる実際的な、完成された真実に向かう過程でしかないのだ。生を引き摺る者達よ。目に映る物だけを、又、描いた未来にこそ真実をなどと穿った見方をするな。最初と、最期に観た物こそが真実なのだ。そして、其れを否定する矛盾を生に当て嵌めたなら美しい生を送れるだろう」

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