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懊悩の淵  作者: 粘土
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今観える景色

 僕等は何時いつでも間違いだらけの路を歩いて来た。んな言い訳も出来ない。現実に、僕等は正しい路を選んだ事など無いのだ。若し、そんな人が居るなら、世界のてっぺんに居るだろう。

 僕等は間違いながらも生き、其れを糧とす可く努力しているに過ぎない。“神様”ですら間違えるのだから、其処に咎は無い。羽の生えた人間。最初に生まれた彼は堕落した。そして、其れが善と悪との指針と成った。

 其の後、生まれたとされる僕等は真実など知らず、事実のみを飲み込んで生きている。追放されたとされる『カイン』は本当に悪だったのか。庇護された『アベル』は本当に善であったのか。そもそも、親が咎人であるのだから、双方共に悪である筈だ。詰まり、僕等は生まれた起源からして、間違いを犯していたのだ。然し、本能と理性とは全く違う場合も有る。だからこそ、苦しむのである。我々、人間と云う生き物は。簡単には割り切れない感情を持て余し、然し、本能の示す欲求には抗えず、異性と云う不可思議な存在に光を求める。只、先述の通り、持て余した感情と、本能の求める欲求は、必ず相反している。其処に不和が起きる。詰まり、番っていようとも、其れは本来で無い事の方が多いのだ。加えて云うならば、其の事実が現実として認められるならば、必ず“免罪符”が要求される。天秤は等しく重さを測る。実際が実際で無い事も有る。『羽』と『心臓』が同じ重さで無いように。信じた未来が嘘偽りであってもおかしくは無いのだ。人は其れを否定したがるが、其れこそが真実なのだ。矛盾、青天の霹靂、暖簾のれんに腕押し。其れが人生だ。我々は、いや、人は、井の中の蛙大海を知らず、されど、空の青さを知る。其処が限度なのだ。其処が、境地なのだ。ならば、今観える景色を愛し、頂点では無い事も知り、其の上で歩いて行かねばならない。他人を呪うは千の悪行。己を誇るは万の無知。他人は他人。己は己。恥ず可き事無く生きるのが正しく、時折やって来る幸いは僥倖と思うのが正しい。何しろ、原罪を背負いし生き物なのだから。だから……。

 今観える景色を、大切に想う可きなのだ。


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