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懊悩の淵  作者: 粘土
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社に集う物

 年の終わりに火を焚くやしろに、人には見えない連中が居る。害を成すモノではない。甘酒や御神酒おみき蜜柑みかんや、善哉ぜんざいなどを貰って、一年の労を互いにねぎらっている。本当ならりんの音や、木魚の音、蝋燭ろうそくの明かりと、線香の香しさ、焼香を望むのだが、其れだけで充分と皆笑う。彼等の遣える土耕神や、荒神、道祖神は、今は休んでいるからだ。地藏達は供え物が増えるのを笑う。喜びでは無く。基本的に、彼等は無縁仏なので、人が来るだけで満足なのだ。無論、そうでない物も居る。神に仕える者も居る。然し、地藏は地藏。互いに仲違いの無い様付き合っている。彼等の中には、稀に神として祀られる物も有るが、其れは本当に極稀だ。祀りとはそう云うものだ。昔からの言い伝えを守るのは、祭りとは即ち、祀りであると理解する為だ。本来は其れを伝える可き宮司や、住職は、敢えて伝えぬ事で、人に其れを悟らせようとしているのだ。

 年の始まりは地方に因って違うが、春夏秋冬、其々に在る、陰陽おんよう五行に則って定められた土用、土用の虫干しを見張るのが、彼等の一つの役目だ。陽にて陰に納まる。陰にて陽に納まる。細やかながら姿を現す者達は、私達に何かを告げようとしているのだ。慌てず騒がず、好く視る可きなのだ。凡そ彼等は、私達の負なり、正なりの感情、念から産まれた物なのだから。其処に人の文化が加わって、護るなり、罰を与えるなりと云う事が可能に成ったのだ。特に、水、酒、塩、拝みが必要なのは、まるで私達の弔う可き人達に実に好く重なる。酒や、拝みは兎も角、水と塩は生き物が生きるのには絶対的に必要な物なのだから。

 ともあれ、彼等を疎んじる事は好く無い。陰ながら支えて呉れる物も居るのだから。好く、無縁仏に関わるなと云うが、其れは間違いだ。彼等は、凡てではないが、子供の様に、慕って呉れる事が多い。やっかまれる事も多いが、彼等に悪意は無い。自身の興味の有る事に陶酔する事で昇る者も在る。私は唄を唄う。心を込めて。私の中に居るのなら、同じ心持ちに成る筈だ。そうして、私は生きて来た。其れがきっと正しいと信じて。之からもきっと。何時か何か感じたならば、そうすれば好いだろうと、そう、思う。


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