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懊悩の淵  作者: 粘土
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 またしてもエッセイで申し訳無いのだが、本日、厄払いに行って来た。幼少時代からの馴染みの御寺だ。本当なら、除祓じょふつを願いたい処であったのだが、そんな在野は殆ど居ないし、先ず以って、つても無い。従って、厄払いで済ませたのである。少なくとも、些末な効力も無いとは思えないので、其れを信じる事にした。教わった処方を自らの除祓とし、たまを鎮めようと云うのである。実際、私は以前、軽んじられていた命の模型を塩と水と、酒で弔っていた。其の頃に、思い当たる厄災は無かった。こじ付けと思うだろうが、当時は本当に“ナチュラル”であったのだ。

 さて、御本尊の目の前の境内。車から降りると、一匹の猫が居た。舌を鳴らすと直ぐに寄って来た。随分と人に慣れている。きっと、何時もこうして訪れる参拝者を迎えているのだろう。エサは貰っている様で、何も遣らなくとも寄って来る。其の時に、既に私は癒されていた。(余談であるが、私は猫が大好きなのだ)

 一頻り猫と遊んでから、今は殆ど遣われていない嘗ての石段を下り、ふもとの沢に行って見た。嘗ての記憶通り、沢は静かに流れていた。けれども、期待していた風景とは違っていた。辺りは其のまんまであったのだが、“沢蟹さわがに”が居ないのである。そろそろ彼等の現れる時期だと云うのに。田舎を知る子供達には御馴染みの彼等が、全く居ないのである。何時かは探さなくとも目に付いた彼等も、身を潜めねば生きては行かれぬらしい。まるで、正体を隠さなければ巧く遣って行けない“人間”の側面、いや、表っ面を射抜く現実を現しているかの様だ。其れは其れで好い。私達の傲慢を、命を賭して主張しているのだろうから。例えば、宗教、哲学、文学、音楽、掻い摘んで云う之等を、彼等は既に有しているのかも知れないのだから。命懸けでなくば、恐らく其の境地には達する事は出来ないだろう。……思わず、苦笑する。理由は、云わでも無いから、云わない。

 “下った”石段を踏みしめ、私は境内へと誘われ、御本尊に跪いた。


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