常識
之は完全な私小説である。其の上で読んで欲しい。
つい先日、私は車に轢かれた。特に異常も無かったので保険を遣うのを断った。然し、次の日から胸の筋肉に耐え難い痛みを覚えた。然し、断ってしまった以上、補償を求める訳には不可ない。仕方が無いから一週間の休みを貰ったのだが、其れでも一向に良くならない。医者は宣言した。少しばかり我慢すれば治ると。処が何うだ。全くだ。まるで良くならない。警察は余計な事を云うし、私を轢いた奴は、心配処か逆切れだ。そもそも、病院に運ばれた時に“どヤンキー”を連れて来たのだから、全く謝罪の意思が見られない。何とか、物損事故で済まそうとしていた。無論、そんな連中に負ける程、私は弱くは無い。然し、私は家族への報復を懸念し、承諾した。柵と云う物が何れ程詰まらない物かと、其の時に悟った。たった一人であったなら、其の場で『勘弁して呉れ』と云うまで打ちのめす事は簡単だった。其処に柵と云う厄介な物が付き纏うのである。いっそ、私は一人で居たい。ムカつく奴は容赦なく痛め付ける。余りに気に入らなければ、喉を潰し、殺す。殴るにしても、先ず、顔でも無く腹でも無く、胸骨を狙い、そして、砕く。私には其れだけの力が実際に有る。即ち、気に入らなければボコって終わりなのだ。無論、倫理の範疇でだ。
我慢の末に大胸筋に思い切り力を入れたら、肋骨が三本折れた。因みに、柔道なら、初段以上、空手なら、二段以上、キックボクシングなら、ムエタイチャンピオンと同等の技術と能力を持っている。素人に負ける道理が無い。……いっそ、一人だったなら。いや、後悔先に立たず。詰まり、今私は之までに無い程猛っている。私に危害を加えた者を殺したくて仕様が無い。クソッタレの常識さえ無ければよっぽどそうしているだろう。こんな意味の無い文章を書くのは其れを晴らしたいが為である。
もう少し若ければ。そう思わざるを得ない。暴力と、正義の力とは違う。そんな事も解らない奴等が起こすのが戦争で、理解している者が行使する力は、そんな低俗なものではないのだ。護る可き人を護る為に遣うのだ。いや、其れは人に限らない。護る可きは神羅万象の息吹に身を任せる者達だ。
忘れては不可ない。力とは暴力とは限らないと。でなければ、ジャンヌ・ダルクさえ暴徒に成るのだ。デモクラシーとか、プロパガンダなど何うでも好い。こんなカオスとも呼べる世界で、又は、社会で只一つ正しいのは、君達の精神だ。心だ。信ずる可き力を恥じては不可ない。“ルール”に従うなら、罪も無く殺される事も有るからだ。流石に、容認出来まい。
東京の禿げが好い例だ。自身の従者を第三者と云い張る彼は、きっと頭が悪いのだろう。そして、其れに反論出来ない奴らも其の仲間だ。まぁ、之は余談であるので気にしないで欲しい。ともあれ、君達の持っている力は、大切な者や、大切な物を護る為に有る。たった其れだけ忘れなければ、君達は世界に対して誠実であると云えるのである。




