天世・三
ならば、直ちに地獄へ行け。さもないと、己は心から怒る事に成るぞ。そう云うと、坊主は得意気に、拙僧が居なくなれば此処を管理する者が居なくなる。と応えた。何、そんな役目は己が引き受けて遣る。兎も角、貴様が気に入らないのだ。そう、判然云うと、唇を半分だけ吊り上げ、はてさて、其れ程、気楽に出来るものかな? と猶も嫌味ったらしく云う。益々気に入らない。生きる選択肢を奪われて居ながら、此処では絶対だと思っているらしい。全体、何を根拠に其の様な去勢を張るのだ。貴公の思う通りだ。拙僧は此処に居て、何万と云う魂を送って来た。天なり、地獄なりへと。即ち、拙僧の思う通りに成るのだ。其れは貴公にも当て嵌まる。地獄へ送られたいか。生意気な。女人禁制と云えども、拾うて来た小僧達に手を出して来た生臭坊主が。生意気な。貴様の咎は其処に在るのだ。そう説いても、坊主はやはりにやにやと笑っている。魚の白子を喰うた事が有るかね? 其れと同じ事だ。平然と云って退ける。断然、怒りが増して来た。こんな処で禅問答をする気は無い。神も仏も信じない己に、そんな問答は不要だ。其れは然り。では何故此処に居る事を認むるのか。其れこそ矛盾ではないのかね? 確かに的を射た答えだ。然し、此処が真に存在する証明が出来るものか。貴様は己の心に付け込んだ妖であろう。己が生きる事を選べるのが好い証拠だ。其処でやっと、坊主は黙った。当たらずとも遠からずとはそう云う意味だろう。正体を見せろ。坊主は観念したらしく、むくむくと膨れ上がって、二股の化け猫に成った。もっと遊びたかったんだがなぁ。と、先刻までとはまるで違う声で、まるで違う語調で云った。己は生きる。貴様を葬る。二度と悪さの出来ぬよう。花を活けて遣る。何が好い。真っ赤な彼岸花が好い。あれは美しい。淋しく無い。序に、鰹節も呉れ。あれを齧っていれば幸いだ。何が原因でこの様な辛苦を味合わせられたのか知らぬが、まぁ、好い。さんざ苦しめておいて随分な要求だが、然し、己にとっても中々に好い体験であった。居間に彼岸花。玄関先に鰹節を供えて遣ろう。どうだ。其れで満足か。ああ、充分だ。きっとそうして呉れ。きっとそうしよう。なれば、去れ。己に巣喰った猫又よ。……。
家人の声に気の付いた己は、むっくりと起き上がった。何うやら、死の床に在ったらしい。然し、直ぐに快方へと向かった。猫又との約束は判然と覚えていた。直ぐ様、彼岸花を居間に活け、玄関には鰹節を置いた。其れ以来、己と縁の有る者達に、理不尽な不幸は遣って来なくなった。無信教であった己は、其れ以来、猫を大切にする様になった。彼の体験が本当であったのか何うかは、未だに全く自身が無い。




