亜人間
私には何うやら、社会に順応する能力が無い様だ。何時でも何処でもトラブルを起こしてしまう。基本的には社会に問題が有るのだが、然し、其れでも、私が咎を問われるのだ。詰まり、正義とは異なる“正義”が有り、其処に馴染めないのである。上等、上等と云って来たのだが、好い加減、歳を取った。余りにも老い過ぎた。不可思議なる“正義”に屈服する様になった。疎ましく、忌々しい事だ。
生きようと願うなら、其れも仕方の無い事だ。然し、不良品である私には選ぶ自由が、余地が無い。病院にも行かねばならず、役所へも行かねばならない。以前に書いた『灯』と云う小品に縋りたい気分だ。又、『かっぽれ』と云う小品に埋没したい。或いは、イカロスの様に、太陽を目指したい。即ち、死する事への憧れが、今私を侵食しているのだ。“侵食”と云うのは詰まり、生きようと思う気持ちと裏腹に、もう終わりにしようと思う心とが、入れ替わりに犇めき合っていると云う事だ。適うなら、“イデア”に行きたい。プラトンは死して神に成った筈だ。ならば、其処へ行きたい。バイブルに在る世界には行きたくない。地獄なら望んで行くが、罷り間違って天へ昇ってしまったなら、私の苦悩は増すばかりである。
ともあれ、現世は地獄だ。生き殺しのお手本だ。生きる上で苦悶を強いられる世界に希望など有ろう筈が無い。ライフ・サイズで生きられないのなら、何う遣って生きろと云うのか。生きろと云いつつ、死ねと云っている様なものだ。確かに、人は死ぬ為に生まれて来る。然し、其れまでの何処かで誰かを笑顔にする権利と、義務を負っている。其の為に必要な何かを人は必ず持っている。そして、気が付けば、其れを遣い、笑顔を咲かせている。其れで充分ではないのか? 一人が一人を幸せにする事が出来たなら、其れ以上を望むのは横暴と云うものだ。そうではないか? プロテスタントよ。世の中には芋を喰う犬も居る。とても満足そうに。命を懸けて、カニを喰う猫も居る。頗る大変そうに。彼等こそ、真実だ。私が生きる為に必要とするのは、たとい、公平でなくとも、努力の認められる世界だ。賂を咎める世界だ。少し、解り易く云おう。袖の下を咎める世界だ。……。
いやはや、愚痴を述べてしまった。何うか赦し給え。然し、君達はどっちが好い? 裏技で富を得る世界か、正直に生き、其の上で富を築く世界か。何方でも好いが、私は後者を選ぶ。




