表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/17

16冊目 隠しごとの香り


「いや、おかしいでしょ!?」


 私は、がたんっと机を叩いてしまった。

 父上の権威なんて借りた覚えはないし、そもそも女子生徒ソフィーをいじめたこともない。ただ、あれは注意しただけだ。


「はい、姫様は間違っていません」


 シルフィードは、悔しそうに拳を握った。


「姫様は、ただ注意しただけのこと。悪く言われる筋合いなどありえません」


 しかし、現実に噂は広まってしまっている。

 ソフィーは「可哀そうな被害者」として男子生徒を中心に認知され、「監査官リコール」の署名運動まで始まっているらしい。


「男子学生って、多いのよね……」


 私は、深いため息をついた。

 女子学生は婚姻を機に中退してしまうことが多々あるらしい。上の学年に進級すればするほど、女子学生の割合は少なくなっていくのだ。その女子生徒のなかにも、ソフィーの親派がいるのだから、本格的に署名運動が加速してしまったが最後、私のリコールが成立してしまう恐れがあった。


「そもそもよ、ソフィーはアルフォンス兄様との接近禁止命令が出てるんでしょ? なんで、男子学生は接近禁止命令が出された令嬢に惚れてるのよ」


 私は、ここ数日間で抱いていた疑問を口にした。

 「接近禁止命令」なんて、王族に悪い意味で眼をつけられたことを意味する。良識のある学生ならば、ここで彼女から身を引くだろう。このままではソフィーの取り巻きとして認識され、自分の家に迷惑をかけてしまう恐れがあるからだ。


 しかし、それをする学生が少ない。あまりにも少なすぎる。


「アタランタ子爵令嬢に弱みを握られてるとか、でしょうか?」

「それにしても、数が多すぎるわよ。まったく、どうなってるの」


 私は額に手を当てながら、理由を考え込む。

 

 事前の調査が正しければ、ソフィー・アタランタの実家は成り上がりの子爵。

 たしか、ソフィーの祖父の代に金を積んで貴族へなったらしいが、それ以後、目立った活躍はない。むしろ、祖父の時代が絶頂期であり、ソフィーの父であり現当主になってから、業績は落ち込むばかりだ。ソフィーの代、もしくは、その次の代には没落し、再び平民に逆戻りしていることだろう。


「金もないし、権威もない家なのに、他の貴族の弱みを握ることができるとは考えられないわ。握ることが出来ても、せいぜい1,2件程度よ」

「では、姫様。アルフォンス王子様たちが傘下の学生に、アタランタ子爵令嬢を敬うよう強要……しているようには、みえませんよね」

「そうよね……どいつもこいつも、自分から惚れているように見えるわ」


 これといって、子爵令嬢に味方する理由がまったく思いつかない。

 媚薬でも盛ったのか?とさえ思えてくる。でも、ころっと媚薬にやられるとは考えにくい。有力貴族になればなるほど、毒殺を筆頭とした暗殺・陰謀の影が付きまとう。故に、幼いころから、毒に身体を慣らす訓練を行っているのだ。それは、媚薬でも同じこと。

 媚薬の効果で下手なハニー・トラップにはまり、家や国をめちゃくちゃにしたら取り返しがつかないからだ。


 ……まぁ、ある意味、アルフォンス兄様たちはハニー・トラップにかかってしまったと断言しても良いのかもしれないが……少なくとも、普通の媚薬程度で籠絡することはできないだろう。

 となると、他になにがあるのだろうか?


「あー、もう疲れた!」


 私は大きくため息をつくと、思いっきり立ち上がった。がたんっと椅子が音を立てるが、気にするものか。このまま座っていたところで、なにも妙案は浮かばない。むしろ、いらだちが募り過ぎて、頭が煮詰まってしまいそうだ。


「シルフィード、ガルーダ! 書庫へ行くわよ。お供しなさい」

「はい、かしこまり――え、姫様?」

「書庫よ、書庫! 気分転換!」


 もう、やっていられるか!

 

 こうなったら、ストレス発散だ。物語がないとはいえ、書庫は書庫。本特有の香りだけでも、たまりにたまった陰鬱な気分を吹き飛ばし、すっきりリフレッシュすることができるはずだ。


「……ここか」


 書庫の前に到着した。

 城の書庫よりも扉は薄く、鍵もかかっていない。


「たしか、学生が自由に出入りするため、常時開放になっているのよね?」

「ええ。ですが、試験前以外に利用する生徒は稀だと」


 シルフィードが、つらつらと教えてくれた。

 

 そもそも、調べ物を行う授業自体が稀だ。

 もちろん、ときにはレポートを執筆するための資料が必要になることもあるだろう。そんなときは、従者に命令して資料だけ探してこさせればよい。つまるところ、誰もが集中して勉学に励みたい時間――試験前以外は、書庫を利用する学生が少ないのだろう。


「まっ、物語がないんだし、当然よね」

「姫様?」

「なんでもないわ。入るわよ」


 扉を開けた瞬間、懐かしい香りが鼻孔をくすぐった。

 本特有の紙とインクの匂いが、胸いっぱいに広がっていく。


「あぁ、この香り……」


 感嘆の声が漏れる。

 目を閉じると、瞼の裏に懐かしい図書館が浮かんだ。





 通い慣れた図書館。

 天高くそびえる本棚。そこに並ぶは、世界各国から揃えられた玉石混合の物語の数々。そのなかから、埋もれた宝石を発掘する心地の良い時間。


「……姫様?」


 シルフィードの声と共に、ゆっくりと瞼を開ける。

 そこに広がっていたのは蛍光灯の輝く図書館ではなく、どこか薄暗い書庫だった。壁は手触りの暖かい木材ではなく、地下牢みたいな石の壁。ガルーダの背程度しかない棚に、幾冊かの本が行儀よくおさまっている。それも、物語性皆無の味気ない本ばかりだ。


「でも、これでいいの」


 窓から差し込まれた午後の陽光は、木造りのテーブルを照らしている。そっと指で撫でてみると、ほのかに暖かい。ここだけは、私の知っている図書館と同じだ。私は、ちょっと硬い椅子に腰を下ろした。


「少し、休憩させて」


 この時期、書庫を利用する学生は誰一人としていない。

 まさに、私の貸切りだ。うっとり瞳を閉じて、午睡に浸ろう。大好きな紙とインクの香りに包まれて眠れば、きっと――良い、夢が――……




「誰だ!?」


 そんな優しい癒し空間を引き裂く声が響き渡った。

 私は、驚きのあまり飛び上がってしまう。がたんっと椅子を鳴らしてしまった。


「どうしたの!?」

「そこに誰か隠れています」


 声の主は、ガルーダだった。

 右手を剣の柄に置き、腰を低く落としている。ぎらりと光った双眸は、まっすぐ本棚の角に向けられていた。


「……」


 さて、これはどうすればよい?


 そこにいるのは、学生か? それとも、密偵の類か? はたまた、私の命を狙いに来た暗殺者か?


「はぁ……落ち着いて本の香りを楽しむことも出来ないなんて……」


 私は椅子から立ち上がると、本棚に一歩近づいた。

 少しでも王女らしく見えるよう、私は胸を張り、できるかぎり背筋を伸ばした。


「書庫は、静かに本を読むための場所です。この空間を乱してしまい、申し訳ありませんでした」

「……」

「もし、よろしければ顔を見せてくださいませんか? あなたの顔を見て、お詫び申し上げたいです」


 私は勝負に出ることにした。

 もし……あの本棚の向こうに隠れる何者かが、素直に姿を見せれば問題ない。

 常識的に考えて、一般学生は王女自らの申し出を断れない。私は「もし、よろしければ出てきなさい」なんては言っているが、実際のところ「王女が謝罪するんだから、顔くらい見せなさいよ」と言っているようなものだ。むしろ、従わない方だ不敬罪である。


 つまり、相手が顔を見せない場合……それは、王女の言葉に従わない不届きものか、姿を見せられない事情があるかの二択だ。


「遠慮なさらずに、どうか……お願いします」


 私は、書庫の出口に目を走らせた。

 書庫の出入り口は、たった1つ。

 こっそり、そこから出ていくのは不可能だ。どうしたって、書庫を出るためには私たちの目を避けることができない。

 万が一、他の方法で――たとえば、窓から逃走を図ろうとするとか――こっそり逃げようとした場合、異変を察知したガルーダが動くはず。

 ……まぁ、それでも動き出さなかった場合は、私たちが書庫から出たふりをして、シルフィードにでも入口を見張らせておけばいい。あとで出てきた人物の顔を照会し、要監視リストにでも乗せておけばよいだろう。


「嫌なら構いません。私は、これにて失礼させていただき――」

「お、お待ちください」


 そろり、そろりと1人の学生が本棚の影から顔を覗かした。

 姿を現したのは、女学生だった。くるくるとした橙色の瞳と目があった途端、がばっと女学生は頭をさげ、最敬礼の姿勢をとった。


「4学年のアイリス・ウェンハムでございます。

 こ、このたびは、監査官様がいらっしゃるというのに、しょ、書庫に入ってしまい、まことに申し訳ありませんでした!」


 長い茶色の髪の毛が、床につきそうになるくらい頭をさげている。

 どうやら、密偵の類ではなさそうだ。普通の常識を持った一般学生だろう。


 ……貴族としての階級は分からないが。


「ウェンハム様、お顔をお上げになってください」

「しかし!」

「私は、さきほども申しました」


 柔らかな微笑みを心がけようと、にかっと口角をあげてみた。


「書庫とは、静かに本を読むための場所です。

 最初に乱したのは、貴方ではありません。非があるのは、この私です。貴女の空間を乱してしまい、申し訳ありませんでした」


 少しだけ頭をさげる。

 本当に、気持ち分だけ。こういう時、思いっきり頭をさげることのできない身分がもどかしい。


「い、いえ! 王女様! お顔をあげてくださいませ!」


 アイリスが慌てて顔をあげた。がくがくと、手も声も震えている。


「わ、私がいけなかったんです」

「そんなこと言わないでください。私が悪かったのですから」

「い、いいえ! 私が――!」

「アイリス・ウェンハム様!」


 このままでは、らちがあかない。

 この謝罪スパイラルを断ち切らなければ!


「そこまで言うのでしたら、1つ条件がありますわ」


 私はアイリスに一歩近づくと、軽く扇子を広げた。


「条件、ですか?」

「ええ。簡単なことです」


 私が微笑んでみせると、アイリスの顔がますます青ざめた。もう青を通り越して、白く染まってしまっている。そこまで怯える必要はないのに、と思いながら、私は彼女に要求を伝えた。


「貴方の家に伝わる物語をお話しして欲しいのです」

「――っえ?」


 アイリスは意表を突かれたように、ぽかんと口を開けた。

 大方、理不尽な要求をされるとばかり考えていたのだろう。しかし、蓋を開けてみれば、なんとも珍妙なお願いときたものだ。驚くのも無理はない。


「私、物語を聞くのが好きなの。

 よろしければ、貴方の家に伝わる話をお聞かせくださる?」 


 書の香りに包まれながら、物語に耳を傾ける。

 物語を読んだ充実感は味わえないが、これはこれで贅沢な時間だ。


「えっと、本当にそれでよろしいのですか?」

「それでいいのよ。ほら、お話してくださる?

 もし、時間がないのでしたら構いませんわ。私は、これで失礼させていただきます」


 ……とはいっても、無理に語らせるのは良くない。

 彼女だって、家の事情があるだろう。話せる物語と口外厳禁の物語があるはずだし、なにしろ、いきなり「なにか話せ」と命令されても「はい。私の家ではー」とペラペラ話せるわけがない。例えるなら、校長先生から唐突に「小学校で習った曲を歌え」と命令されても、ぽんっと謳えるわけないのと同じだ。


「い、いえ。話します! 待ってください」

 

 アイリスが、私の腕をつかもうと手を伸ばす。

 服の袖から、やけに白い腕が伸びた。


「あっ!」


 その腕があらわになった瞬間、アイリスは、しまった!と言わんばかりに手をひっこめる。

 でも、もう遅い。私は、気づいてしまった。


「ウェンハム様……その腕は、どうなされたのです?」


 アイリスの左手首に、まっしろな包帯が巻かれていることに――。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ