コンビニでアルバイト
日本に帰国してほどなく、飲み会があった。透は いつものメンバーで飲んだ。そして、他の二人も動き始めていた。人生はあっという間、、、さて、どうなっていくのだろう。
日本へ帰国
そして、その年の八月、透は無事に渋谷区のアパートへ戻ってきた。長いようで、あっという間だった アメリカでの日々。荷物を部屋に置き、ようやく 日本に帰ってきたという実感が 少しずつ湧いてきた。
そんな日の夕方だった。玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けると、そこには吉成が立っていた。
「おう、帰ってきたな」
「はい」
「飲みにでも行くか?」
その一言が、透には嬉しかった。アメリカから 帰ってきたことよりも、こうして以前と変わらない仲間が 待っていてくれたことが、何より嬉しかった。
「はい。行きましょう」
透は笑った。
「じゃあ、長谷川も呼ぶか」
こうして三人は 久しぶりに顔をそろえ、近くの居酒屋へ向かった。生ビールが運ばれてくると、吉成が待ちきれないように聞いた。
「で、どうだった? アメリカ!」
透はグラスを持ったまま、少し考えた。
「はっきり言いますと……楽しかったです」
「そうか」
吉成は満足そうに笑った。
「お金かけたからな」
「それは言わないでくださいよ」
三人の間に笑い声が起こった。しばらくして、吉成がふっと表情を変えた。
「実は、俺も報告がある」
「何ですか?」
「王室ホテルを辞めることにした」
「えっ?」
透は思わず聞き返した。
「いつですか?」
「今年の十月まで働く。それで終わりだ」
吉成は、迷いのない口調で言った。
「その後は……役者を目指す」
透は一瞬、言葉を失った。冗談ではない。吉成の目は、今まで見たことがないほど 真剣だった。
「本気なんですか?」
「ああ。本気だよ。お金も貯まったしな。ホテルの残業、どれだかやったか。」
吉成はグラスを 見つめながら続けた。
「ホテルの仕事が 嫌になったわけじゃない。でもな、一度くらい、自分が本当にやりたいことに挑戦してみたいんだ」
「役者……ですか」
「そうだ。まだ何のツテもないし、簡単な世界じゃないことも 分かってる。でも、やらないまま諦めるのは嫌なんだ」
そう言って、吉成は照れくさそうに笑った。
「十月まで働いて、そこからは 全部そっちに賭けてみる」
その言葉を聞いた透の胸に、熱いものが込み上げた。
「かっこいい……。さすが、吉成さんです」
「そう言うなよ。恥ずかしいだろ」
吉成は笑った。だが、その笑顔の奥には、これから始まる新しい人生への 強い決意があった。
その横で、長谷川が黙ってビールを飲んでいた。
「長谷川は?」
透が聞くと、長谷川は笑った。
「俺は辞めないよ」
「そうか」
「でも、俺にも報告があるぞ」
「何だ?」
長谷川は少しもったいぶるように間を置いた。
「今、付き合っている人がいる」
「おー!」
透と吉成の声が重なった。二人は顔を見合わせ、ニヤニヤと笑った。
「どんな人だよ?」
「俺より三つ上。同じホテルの客室課の先輩、二十四歳」
「へえ!」
「こんな俺でもいいって、言ってくれている」
その言葉に、透は思わず笑った。青森弁が好きなのかな。
「そうか……」
そして、三人を見渡した。
「みんな、青春してるな」
その言葉に、吉成も長谷川も笑った。三人の笑い声が、居酒屋の店内に響いた。その夜、三人は昔の話をしたり、これからのことを 話したりしながら、大いに笑った。それぞれが、自分の人生を歩き始めようとしていた。吉成は、役者という未知の世界へ。長谷川は、今の仕事を続けながら、新しい恋へ。そして透は、アメリカで得た経験を胸に、これからの人生へ。
だが――。この時の三人は、まだ知らなかった。やがて、それぞれがまったく違う道を 歩んでいくことになるなど。
ただ、この夜だけは。三人とも、同じテーブルを囲み、同じ酒を飲み、同じように笑っていた。
それは、三人にとって忘れられない 青春の一夜だった。
コンビニでバイト
透は、仕事を探し始めた。アメリカから 帰ってきたばかりだったが、いつまでも 休んでいるわけにはいかなかった。
「どうせなら、家の近くがいいな」
そう思いながら アパートの周辺を歩いていると、ふと一軒のコンビニが目に入った。――そういえば、ここなら近い。透は店の前で少し立ち止まった。
「とりあえず、聞いてみるか」
店に入り、アルバイトの募集について 尋ねてみる。すると、夜間の時間帯なら 募集しているという。
「それなら、できます」
王室ホテルを辞めた滝口透は、渋谷のコンビニで働き始めた。深夜のコンビニは、二人体制だった。透は、だいたいいつも同じ人と組んだ。
平井和男。
透より十歳年上で、昼間は劇団の稽古や舞台に立ち、夜になると、こうしてコンビニで働いていた。
「平井さん、役者なんですよね」
ある夜、透が聞くと、
「まあね。売れてないけど」
平井は、いつものように淡々と答えた。嫌味がない。自慢もしない。年上なのに、腰が低い。
レジに客が来れば、丁寧に「いらっしゃいませ」と声をかけ、客が途切れれば、黙々と商品の整理をする。その姿を見ながら、透は思った。――さすが、役者さんだな。人との接し方が、どこか違う。懐が深い。相手のことを否定しない。何を言っても、一度受け止めてから返してくる。
二人で働く時間が増えるにつれて、透と平井は少しずつ親しくなっていった。平井も、透のことを悪く思ってはいないようだった。深夜の店内。客のいない時間になると、二人でいろんなことを、ぽつぽつと話した。平井和夫は八王子出身、今は、遠いので恵比寿に住んでいる。
そして、演劇のこと。仕事のこと。これからのこと。そんな話をするうちに、透は平井という人間が、ますます好きになっていった。
――こんな人当たりなら、敵を作らないだろうな。そう思った。役者としては、まだ売れていない。だから、夜はコンビニで働いている。三十歳を過ぎている。それでも平井は、芝居を諦めてはいなかった。昼は演劇。夜はアルバイト。そんな生活を続けながら、自分の夢を追いかけている。透には、それが羨ましかった。ホテルを辞め、自分もまた、新しい道を探している。
けれど、まだ何をするのか、はっきりとは決まっていない。そんな透にとって、平井の生き方は、少しまぶしく見えた。ある夜、仕事が終わる頃、透が言った。
「今度、機会があったら、平井さんの劇、見に行きます」
平井は少し笑った。
「ぜひ、来てよ」
「はい」
それだけの会話だった。深夜の渋谷。客のいなくなった店内に、冷蔵庫の低い音だけが響いていた。透は、ふと思った。東京には、本当にいろんな人がいる。ホテルを辞めなければ、平井和男という人にも、きっと出会うことはなかった。人生は、仕事を辞めたことで 終わるのではない。むしろ、辞めたからこそ始まる出会いもある。透は、そんなことを 少しずつ感じ始めていた。
また、新しい人との出会いが 透を待っていた。役者の平井さんだ。そして、この後、いよいよ クライマックスへと 向かう。




