311 縫界巡礼編 第十四話「門の向こうの神官 ― 闇の賢者、深層祭壇に待つ」part2
中央に巨大な深穴があり、その周囲を何重もの回廊と階段が取り巻いている。壁面には数えきれないほどの灯火が青白く揺れ、天井は見えないほど高い。各所に立つ石柱には、勇者召喚式と同系統の紋様が刻まれ、それぞれが赤黒い導線で中央祭壇へ接続されていた。
その光景を見た瞬間、サラが息を詰める。
「……こんな規模の祭壇、正教会の古記録にもありません」
「当たり前よ」
アリスは低く言う。
「正教会が記録する前に、隠された側の遺跡でしょうから」
だが、異様なのは構造だけではなかった。
祭壇の各段には、人影が並んでいた。
十。
二十。
三十――いや、もっといる。
全員が黒灰の法衣を纏い、顔の上半分を覆う仮面をつけている。仮面には目の位置にだけ細い裂線が入っており、まるで“世界の縫い目”を模したかのような不快な意匠だった。
彼らは誰一人として動揺していなかった。
こちらが門を越えて現れたというのに、逃げるでも、慌てるでもない。
むしろ――
待っていた。
「歓迎しよう」
その声は、祭壇の最上段から降ってきた。
男とも女ともつかぬ、中性的で滑らかな声。
しかしそこに宿る冷たさは、生きた人間のものだった。
アリスが視線を上げる。
最上段の半円壇に、一人の神官が立っていた。
他の者たちと同じく黒灰の法衣を纏っているが、その衣だけは裾と袖に古代文字の刺繍が施され、胸元には裂線を円環で囲んだ紋章が刻まれている。仮面は他の者たちよりも白く、滑らかで、顔のほとんどを覆っていた。ただし口元だけは露出していて、その唇には妙に穏やかな笑みが浮かんでいる。
「縫界の巡礼者たちよ」
その神官は両手をゆるやかに広げた。
「あるいは、世界の“誤差”を拾い歩く者たちよ」
「……気持ち悪い歓迎ね」
アリスが冷たく言う。
「おもてなしの趣味が終わってるわ」
神官は気を悪くした様子もなく、むしろ楽しげに首を傾げた。
「率直で結構。だが、君たちがここへ来ることは最初から予定に含まれていた」
ディネが露骨に眉をひそめる。
「へえ。じゃあ何? “ようこそ勇者一行”みたいなこと言いたいの?」
「勇者?」
神官は、その言葉にわずかに笑った。
「その程度の役割ではないよ。君たちはもっと重要だ。特に――」
仮面の奥の視線が、まっすぐアリスへ向く。
「君は」
その一瞬だけ、場の温度が一段下がった気がした。
サラが無意識に一歩前へ出る。ディネもまた、アリスの斜め前へ滑るように位置を変えた。ノームは杖を強く握り直し、白いアリスは黙ってその神官を見据えている。
神官はその反応を見て、少しだけ面白そうに笑った。
「なるほど。ずいぶんと大切にされている」
「大切に“してる”のよ」
アリスが即座に言い返す。
「受け身で語らないでくれる?」
「失礼」
神官は軽く頭を下げる仕草をしたが、そこに本当の敬意はなかった。
「ならば訂正しよう。君は、ずいぶんと多くの枝に愛されている」
その言い回しに、白いアリスの眉がぴくりと動く。
「……枝」
「そう」
神官は、まるで教師が当然の知識を教えるような口調で続けた。
「世界は一本の道ではない。無数の分岐、無数の失敗、無数の選ばれなかった結末によって、ようやく今の現実が成り立っている。ならば、その“捨てられた枝”に価値がないと、誰が決めた?」
「価値の話なんてしてない」
アリスの声が低くなる。
「あなたたちは、それを勝手に掘り返して、勝手に燃やしてるだけでしょ」
「違う」
神官の声は穏やかなままだった。
「我々は救っているのだ」
ディネが「うわ、始まった」と露骨に顔をしかめる。
だが神官は構わず続けた。
「選ばれなかった未来は、いつだって切り捨てられる。届かなかった願い、成れなかった姿、守れなかった結末。それらは現実に採用されなかったというだけで、まるで最初から無価値だったかのように忘れ去られる」
その声は、奇妙な熱を帯び始めていた。
「だが我々は違う。捨てられた枝にも意味を与える。失敗にも、喪失にも、敗北にも、もう一度“使われる機会”を与える。これは浪費ではない。救済だ」
「……本気で言ってるのね」
サラの声は小さかった。
神官は彼女を見る。
「もちろんだとも、聖職者の娘よ」
その一言に、サラの肩がわずかに揺れた。
だがアリスはすぐに一歩前へ出る。
「救済、ね」
彼女の口元に、冷たい笑みが浮かぶ。
「だったら教えてあげる」
その瞳には、はっきりとした嫌悪が宿っていた。
「人の痛みを材料扱いする時点で、それは救済じゃなくて趣味の悪い再利用よ」
祭壇の空気が、ぴんと張る。
神官は数秒だけ黙り、それから、ほんの少しだけ楽しそうに笑った。
「いい答えだ」
そして彼は、ゆっくりと片手を上げた。
すると祭壇各段に立っていた黒灰の神官たちが、一斉に杖を床へ突き立てる。
ごう、と低い振動が空間を揺らした。
中央深穴の底から、赤黒い光が一段と強く脈打つ。
「ならば、見せてあげよう」
神官の声が、地下祭壇全体へ響き渡る。
「君たちが拾い歩いてきた“ほころび”が、どのように一つへ収束するのかを」
その言葉と同時に、祭壇中央の深穴から、巨大な術式環がせり上がってきた。
一重。
二重。
三重。
幾重にも重なった古代環。
その中心には、まだ完全には形を成していないものの――
巨大な“角”のような影が見えていた。
ノームが息を呑む。
ディネの顔色が変わる。
サラが震える声で呟く。
「……まさか」
白いアリスが、硬い声で言った。
「始まってる……もう、“器”の形成が」
アリスはその中心影を睨みつける。
その輪郭には、かつて討たれたはずの大魔王ギエルの気配が、確かに混じっていた。
だが、それだけではない。
そこには別のもの――
もっと古く、もっと深く、もっと“神格化された悪意”のような何かが重なり始めている。
神官が、仮面の奥で笑う。
「ようこそ、最終祭壇へ」
その声は穏やかで、ぞっとするほど整っていた。
「ここは、大魔王神ギエル再臨儀式の、最後の舞台だ」




