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299 縫界巡礼編 第八話「白影のアリス ― 選ばれなかった未来の入口」part2


石板の多くは割れていたが、中にはまだ読めるものもある。


アリスがそのひとつへ魔力を流し込むと、表面の古代文字が淡く浮かび上がった。


「……都市外周観測記録……位相安定値……封鎖措置……」


サラが別の板を覗き込む。


「こっちは……“保管対象移送履歴”ってあります」


「見せて」


二人でその板を確認する。


そこに刻まれていたのは、いくつかの識別番号と、短い移送記録だけだった。だが、その中にひとつだけ気になる記述がある。


対象:未来観測補助核 第二系列

移送先:中枢記録層・封鎖室B

備考:倫理審査保留、使用凍結


アリスの目が細くなる。


「未来観測補助核……?」


サラが息を呑む。


「未来を、観測するための装置……ってことですか?」


「たぶんね」


アリスは石板を見つめたまま答える。


「しかも“補助核”って言い方からして、単独機能じゃない。本体が別にある」


「倫理審査保留って、すでに嫌な匂いしかしないんだけど」


入口側からディネの声が飛んでくる。


「それ、つまり“やばいから一回止めよう”ってなったやつでしょ?」


「大体そういう理解でいいわ」


ノームが別の石棚の前で低く唸る。


「……こっちにも、妙な痕跡がある」


全員がそちらへ向かう。


そこには、石棚の一角だけ妙に新しい傷が残っていた。古代の風化とは明らかに異なる、数年単位の比較的新しい削れ跡だ。誰かが最近ここをこじ開け、何かを持ち出した痕跡に見える。


アリスが指先で傷をなぞる。


「新しい……」


「闇の賢者の連中かな」


ディネが言う。


「可能性は高いわね」


ノームが床の埃を見下ろす。


「しかも一度や二度ではない。複数回、出入りしておる」


サラが周囲を見回しながら、少し声をひそめた。


「じゃあ、ここって……本当に向こうの“通り道”なんですね」


「ええ」


アリスは短く頷いた。


「石都はただの廃墟じゃない。古代文明の観測機構と記録系統が、今も一部生きてる。それを連中が再利用してる」


そしてその事実は、昨夜の推測をさらに補強していた。


世界各地の“縫い目”は偶然ではない。


古代に存在した何らかの観測・制御網の上へ、後世の誰かが新たな儀式体系を重ねて使っているのだ。


つまり、これは単なる禁呪や宗教儀式の話ではない。


もっと古く、もっと体系立った“世界そのものへの干渉技術”の問題だ。


その時だった。


ふいに、広間の奥から小さな音がした。


――ころり。


まるで何か小さな石が転がったような音。


全員が同時に振り向く。


そこには誰もいない。


だが、広間の奥にある別の出入口――半ば崩れたアーチの向こうに、ほんの一瞬だけ、白い裾が見えた。


「また……!」


サラが声を上げる。


ディネがすぐに剣へ手をかけた。


「追う?」


アリスは一瞬だけ迷った。


その一瞬のうちに、広間の空気が変わる。


古代灯の光がふっと弱まり、次いで一斉に明滅を始めたのだ。


「っ、アリス!」


ノームの声が飛ぶ。


同時に、床下から低い振動が伝わってくる。


石卓の縁に刻まれた古代文字が、ひとりでに薄く発光を始めた。


アリスの顔色が変わる。


「まずい、観測系が起動する!」


「えっ、何それ!?」


「この区画自体が、侵入者観測の補助層だったのよ!」


「それ先に言って!?」


「今わかったの!」


その瞬間、広間の中央――石卓の上空に、淡い光の膜が幾重にも重なって立ち上がった。


それは結界ではない。


もっと嫌なものだ。


観測のレンズ。


誰か、あるいは何かが、ここにいる四人を“見る”ための古代装置。


しかもただ見るだけではない。


アリスは、その光の膜の奥に、次々と断片的な景色が映り込み始めているのを見た。


崩れた神殿。


血に濡れた石段。


燃える空。


泣いている誰か。


笑わないアリス。


そして――


三精霊の姿が、そこにいない未来。


「……っ!」


アリスが咄嗟に手を振るい、紫銀の障壁を展開する。


だがそれでも、一瞬だけ見えてしまった。


“ありえたかもしれない未来”の断片が。


しかもそれは、ただ見せられているのではない。


こちらの心へ直接、侵入してこようとしている。


「目を合わせないで!!」


アリスが鋭く叫ぶ。


「観測像に引っ張られる!!」


サラが反射的に視線を逸らし、ディネもすぐに後退する。ノームは地面へ術式を叩き込み、土壁を半円状に立ち上げて光膜の一部を遮断した。


だが、それでも遅かった。


アリスの視界だけが、一瞬、深く沈む。


目の前の広間が遠ざかり、代わりに別の景色が流れ込んでくる。


白い石の階段。


ひどく静かな空。


血の気配すらない、空虚な勝利のあと。


その頂上に立つ、白い衣のアリス。


誰も隣にいない。


誰も笑っていない。


何も失っていないようで、何も残っていない未来。


そしてその“アリス”が、振り返る。


――これが、あなたの先にある一つの形。


「……違う」


アリスは無意識にそう呟いていた。


その声は、広間の現実側で漏れたものだったのか、それとも観測像の中で返したものだったのか、自分でもわからなかった。


だが次の瞬間、彼女の右手を強く掴む感触があった。


「アリス!!」


ディネの声だ。


現実が一気に引き戻される。


視界が揺れ、古代灯の青白い光が戻ってくる。広間の中央ではなおも観測膜が明滅していたが、ノームの土壁とサラの水幕がその像を乱し、直接視認しづらくしてくれていた。


ディネがアリスの手を握ったまま、顔を覗き込む。


「大丈夫!?」


「……ええ」


アリスは浅く息を吐いた。


「少し、見せられただけ」


「少しって顔じゃないんだけど!?」


「平気よ」


そう言った声は、自分でも少し掠れているのがわかった。


サラが必死に水幕を維持しながら叫ぶ。


「これ、どうしたら止まりますか!?」


アリスはすぐに中央の石卓へ目を向けた。


観測膜の起点はそこだ。だが単純に破壊すれば、記録層全体に別の異常が波及する可能性がある。


「石卓の下に制御核がある!」


「壊すの!?」


ディネが問う。


「いいえ、位相をずらして眠らせる!」


「言ってることが難しい!」


「簡単に言うと、叩き起こした装置をもう一回寝かせるのよ!!」


「それ最初からそう言って!?」


叫び合いながらも、四人はすでに動いていた。


アリスが中央へ駆け、石卓の縁へ両手を叩きつける。紫銀の魔力が一気に流れ込み、刻印文字が逆流するように明滅した。


ノームが地盤を通じて下層の制御核位置を固定し、サラが水膜を細く束ねて冷却層を作る。ディネはその間、周囲に発生し始めた細かな観測像の残滓を次々と斬り払い、像の固定を阻害していく。


「今よ、ノーム!」


「うむ!」


「サラ、右二段階ずらして!」


「はい!」


「ディネ、三秒だけ保たせて!」


「無茶言うなあ!!」


だが、その無茶をディネはやる。


白い残像のような断片が何体も広間の端から立ち上がり始めていたが、彼女はそれらをまとめて蹴散らし、アリスへ届かせない。


そして三秒後。


アリスが石卓へ最後の術式を叩き込んだ瞬間、広間中央の観測膜がぐにゃりと歪み、次いで硝子のような音を立てて一斉に砕け散った。


光が消える。


振動が止まる。


静寂だけが戻る。


その場に残ったのは、荒い息と、崩れかけた土壁と、まだ細かく揺れる水幕の雫だけだった。


しばらく誰も動かなかった。


やがて最初に声を出したのは、やはりディネだった。


「……ねえ」


「何」


アリスが息を整えながら返す。


「この旅、やっぱり全然のんびりしてなくない?」


「今さら?」


「いや今さらだけど!」


サラがへたり込みそうになりながらも、少しだけ笑った。


ノームは石卓の残光を見つめながら、低く言う。


「だが、今ので確信した」


「ええ」


アリスもまた、崩れた観測膜の残滓を見つめていた。


「ここはただの通り道じゃない」


彼女の声は、疲れていてもなお鋭かった。


「石都そのものが、“選ばれなかった未来”を記録し、保存し、必要なら引き出せる場所だった」


そして今、その機構を誰かが再起動し始めている。


闇の賢者か、それともさらに奥にいる何者か。


どちらにせよ、これはただの廃墟探索では済まない。


なぜならこの地下の先には、まだあるからだ。


アリス自身の“ありえた未来”を、より鮮明に映す中枢記録層が。


そして、おそらくは――


その未来を“兵器”として利用しようとしている者たちの痕跡が。


アリスはゆっくりと立ち上がり、白い裾が消えた広間奥のアーチを見つめた。


その先はさらに暗い。


さらに深い。


そして間違いなく、今の比ではないものが待っている。


だがもう、引き返す理由はなかった。


「行くわよ」


彼女が静かに言う。


「この先に、“第二の縫い目”がある」


誰も異論は唱えなかった。


四人は崩れた記録広間を後にし、さらに地下深くへ続く回廊へ足を踏み入れていく。


その先で待つのは、ただの敵ではない。


ただの罠でもない。


そこに眠っているのは――


“もしアリスが違う選択をしていたら”という、もう一つの人生の残骸 だ。


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