第五章 動き出す
いよいよ、事件が動き始めます。
伊勢志摩を舞台に、それぞれの思惑が交差し、少しずつ見えない糸が絡み合っていく。
そんな気配を感じれば、あの「おばちゃん探偵団」が黙っていられるはずがありません。
好奇心旺盛、噂話にも目がない。そして何より、長年の人生経験で培った鋭い嗅覚。
事件の気配を感じ取ったおばちゃんたちが、いよいよ動き出します。
幸子は、今朝はゆっくりとコーヒーを飲んでいた。
今日は午前中に松永のおばあちゃんへお線香をあげてから、瑞穂との打ち合わせのため、Hホテルへ向かう予定だ。
コーヒーを飲みながら、何気なく朝のニュースを見ていた。
「昨日、奥多摩の旧キャンプ場跡で、人のものと思われる白骨化した遺体が発見されました。骨の大きさから、児童のものとみられています。死因や死亡時期については、現在のところ分かっていません。現場から山田記者がお伝えします。山田さん、詳しい状況をお願いします」
「はい、山田です。こちらが白骨化した遺体が発見された現場です。現場は五年前に閉鎖されたキャンプ場で、先日の大雨によって大量の土砂が流れ込んでいます。遺体は、その土砂を取り除く作業中に発見されたということです」
「山田さん、遺体は――」
その先のニュースを聞きながら、幸子は何気なく画面を見つめていた。
「子どもか……かわいそうね。キャンプ場へ遊びに来て、事故にでも遭ったのかしら。それにしても、白骨化しているなんて……かなり前に亡くなったのかしらね」
幸子は、カップを口元へ運んだ。
このときの幸子は、まさかこの出来事が、ある人物の人生を大きく変える「停車場」であったとほ全く予想もしていなかった。
コーヒーを飲み終えると、幸子は地味めの服に着替えた。
エンディングノートと寄せ書きを紫の風呂敷に包み、翡翠の数珠をポケットにしまって家を出た。
松永家に着くと、数珠を取り出した。
玄関で弔問の挨拶をすると、ご遺体が安置されている座敷へ通された。
湯灌も終わり、薄化粧を施された松永のおばあちゃんは、昔の「星座のおねーちゃん」の面影を残していた。
幸子はエンディングノートと寄せ書きをご家族に手渡し、静かに線香を立てた。
――おねーちゃん、今ごろ銀河を白鳥に乗って、悠々と飛んでいるわね。
そう心の中でつぶやき、手を合わせる。
家族にあらためてお悔やみを伝えると、幸子は松永家を後にした。
今どきの家族葬とのことで、長居は無用だ。
幸子は上着を脱いで手に持つと、そのまま駅へ向かった。
駅前の喫茶店「貴婦人」に立ち寄り、上着を預けると、電車に乗った。
向かう先は、瑞穂との待ち合わせ場所――Hホテルだった。
Hホテルの「鳳凰の間」は、最新の美容家電を目当てにしたマダムたちで大賑わいだった。
こうしたイベントでは、若い女性やインフルエンサーを招いて派手にPRすることも多い。だが、瑞穂はあえてそれをしなかった。
昼間に開催し、時間にもお金にも余裕のある、ハイスペックな奥様たちをターゲットにしたのだ。
「この時代、中途半端はダメ。どっちかに振って徹底的に準備する。それでこけたら、自分の見る目がなかったって反省するわ」
そう言っていた。
奥様方には、銀座の老舗に特注した和菓子を手土産に。
「こちらは販売していない特別な一品。今回イベントにお越しいただいた方のために、特別にご用意いたしました」と聞けば、マダムたちの心はしっかりつかめる。
一方、マダム予備軍には、Hホテルのアフタヌーンティーのチケットを用意して、購入意欲を高める。瑞穂の商売は、なかなか抜け目がない。
幸子は少し気後れしたものの、持ち前の図々しさで、何食わぬ顔で受付を済ませ、会場へ入った。
どのブースでも、見目麗しい販売員が、マダムたちに丁寧に商品を説明している。会場は盛況だった。
すると、ひときわ賑やかな二人のマダムが、楽しそうに美容器具を試していた。
「なあ、これ見てみ。顔に当てるだけで、リフトアップするんやて」
「ほんま? ほんなら私、五分くらい当てたら二十年前に戻れる?」
「それは無理やろ。機械がびっくりして壊れるわ」
二人は顔を見合わせ、声を上げて笑った。
「でもなあ、最近の美容家電はすごいな。昔なんか、パーマ液で手ぇ荒れて、ドライヤーいうたら重たいだけやったもんな」
「そうそう。昔のドライヤーなんか、髪乾かしてるだけで腕が筋トレや」
「今は『髪を乾かしながら美しく』やて」
「うちらは『髪を乾かしたら疲れ果てる』やったけどな」
「ほんまや!」また二人で笑う。
そこへ、最新型の美容機器を手にしたスタッフが近づいてきた。
「こちら、お顔の筋肉に微弱な電流を流して、引き締め効果が期待できる商品です」二人は顔を見合わせた。
「微弱な電流?」
「痛ないん?」
「個人差はございますが、刺激はそれほど――」
「ほな、あんた先にやってみ」
「なんで私やねん!」
「美容師は新しいもんに挑戦せなあかんやろ」
「いやいや、美容師以前に、私は人間や!」
スタッフまで思わず吹き出した。
少し離れたところで見ていた幸子も、思わず笑った。
――さすが、関西のおばちゃん。
私たちも四人集まれば相当なものだけど、あの二人もなかなかだ。
幸子は感心しながら会場を一周した。
ラウンジでコーヒーでも飲もうと会場を出ると、先ほどの元気なマダム二人とばったり出会った。
「あんた、ちょっとええ?」
「はい?」
「なあ、会場の入り口で写真撮ってもらってもええ?」
「このイベントに来たついでに、東京見物でもしよ思うて来たんや」
「こんな豪勢なイベントやとは思わんかったわ。記念に写真撮って帰ろ思うて」
幸子は笑ってスマホを受け取った。
「もちろん、いいですよ」
数枚写真を撮る。
「おおきに!」
女性はスマホを受け取り、満足そうに画面を確認した。
「私らな、美容学校の同級生やねん。もう四十年近い腐れ縁や」
「腐れ縁って言わんといて。私ら、切っても切れん仲やで」
「一緒やないかい!」二人がまた笑う。
「それにしても、たいそうなお土産ももろたし、ええイベントやったわ」
「東京まで来た甲斐があったな」
「ほんまや」二人は楽しそうに手を振りながら、会場を後にした。
そのとき、受付に来ていた瑞穂が幸子に気づいた。
「本日はお越しいただき、ありがとうございます」
瑞穂は、スタッフらしく深々と頭を下げた。
「ええ買い物させてもらいました!」
女性は笑いながら答え、そのまま去っていった。
「幸子の友達?」瑞穂が尋ねる。
「ううん。会場でも元気で目立ってたけど、偶然ここで会って写真を頼まれただけ。でも、すごいパワーね」
「まあね。私たちも四人集まれば相当なパワーだけど、あの二人も負けてないわね」
瑞穂は笑った。
二人はリュックが待つラウンジへ向かった。
ラウンジに着くと、リュックが幸子に気づき、ソファから立ち上がった。
「リュック! お久しぶり! 日本へようこそ」
「幸子、こちらこそ。久しぶりに日本を満喫しているよ」リュックが笑う。
「リュックは日本に着くなり、ビール、ビールって大騒ぎなのよ。日本のビールは最高だって、どこへ行ってもビールよ」
瑞穂が呆れた顔でテーブルを指さした。
そこには、高級なグラスに注がれたビールが置かれている。
「ビールか……私も飲もうかな?」幸子が言うと、
「幸子まで? おととい痛い目にあったくせに。喉元過ぎれば熱さを忘れるタイプね」そう言いながら、瑞穂は笑った。
「じゃあ、私もビールにしよう」結局、二人ともビールを注文した。
三人がソファに腰を下ろすと、スタッフがタイミングよく注文を聞きに来た。
やがて、それぞれグラスが置かれた。
「ところで、翔はどうしているの?」
幸子が尋ねる。
「今、ラオスに派遣されているわ」
「僕は翔に半年以上会っていないんです。時々、テレビ電話で話すくらい。寂しいですよ」
リュックが少し肩を落とす。
「あら、私だって会ってないわよ」瑞穂は笑った。
「でも、あの子、こんなこと言うのよ。『パパはお金を使って増やすための投資。私は人に技術を教えて、人に投資している』って」
「生意気でしょう?」
そう言いながら、瑞穂は嬉しそうだった。
そんな二人の姿を見て、幸子は微笑んだ。
そして、正直なところ、ほっとしていた。この結婚には、少しばかり幸子も責任を感じていたからだ。そもそも、この二人の結婚を後押ししたのは、最後は幸子の占いだった。素人だから責任は持てないと何度も断った。
それでも、「とにかく、うまくいくかどうか占ってほしい」と無茶を言われ、仕方なくカードを引いた。
出たのは――
「恋人たち」と「運命の輪」。
幸子自身、
――本当にこれ、信じていいの?と思った。
さらに、二人の結婚によってもたらされるものを示すカードには、**「ペンタクルのエース」**が出た。
新しい事業を始めようとしていた瑞穂にとって、悪いカードではない。
むしろ、新しい可能性が芽生えるタイミングを示しているようにも見えた。
けれど幸子は、自分はあくまでも「停車場」。
どの列車に乗るのか。どのレールを選ぶのか。
それを決めるのは本人だ。そのポリシーだけは、占いを始めた頃から変えていない。だから最後は、瑞穂に委ねた。
瑞穂が心配していたのは、翔のことだった。
リュックが、翔という人間を理解してくれるのか。幸子は、そこだけははっきりと「大丈夫」と言った。
なぜなら――
翔は、瑞穂の生き写しだからだ。
「……と、まあ」
幸子はグラスを眺めた。
「だいぶ話が本題からそれちゃったわね」
三人のビールは、もうすぐ二杯目に突入しそうな勢いだった。
幸子は笑った。
「このままだと、酔っ払って肝心の話を忘れそう。そろそろ本題に入りましょうか」瑞穂とリュックも顔を見合わせる。
三人の表情から、笑みが消えた。
ここからが、本当の話だった。
まず、幸子が口火を切った。
「かしのきの里の件、詐欺ではないけど、問題のある案件って……?」
「そうね。問題山積みの案件よ。リュックから説明するわ」
瑞穂がそう言うと、リュックが口を開いた。
「そうですね。結論から言いますと、『かしのきの里』をサーナルリゾート開発という会社が管理・運営することは決まっています。また、ネーミングライツの権利を得るために、樫の木グループが出資したことも事実です。そして、伊勢志摩のリゾートホテルをサーナルリゾート開発が買い取り、介護付き有料老人ホームへリノベーションする計画があることも事実です」
幸子は首をかしげた。
「なんだか、普通の話に聞こえるけど……。それなのに、どうして問題山積みなの?」
リュックは続けた。
「まず、樫の木グループのネーミングライツについて、トラブルがあります」
リュックはそう言って、ビールを一口飲んだ。
「樫の木グループって、社会貢献にもかなり力を入れている企業よね?」
瑞穂が確認する。
「そうです。アスリートの支援や、引退後の雇用支援などにも取り組んでいて、スポーツ業界では絶大な信頼を得ている企業です。そこへサーナルリゾート開発から、『地域の高齢者のための介護付き有料老人ホームを設立するので、出資してほしい』という話が持ち込まれたですね。」
「なるほど。樫の木グループなら、そういう話には乗りそうね」
幸子が頷く。
「社会貢献に取り組む企業としてのイメージアップにもつながるという説明を受け、出資を決めたようです。そして、ネーミングライツの権利も得て、施設には『かしのきの里』という名前が付けられることになり順調にプロジェクトが開始されたと思ったようですが・・・」
「そうね・・何も問題なさそうだけど?」幸子が合いの手をいれる。
「まあ、プロジェクトが動き始めて、樫の木グループ側が事業計画を詳しく確認ら、会長があることに気づいたんですね。」
「何に?」幸子が身を乗り出す。
「『これは、本当に地域のための施設なのか?』と」
「入居費用?」瑞穂が尋ねる。
「その通りです。計画を見ると、入居費用がかなり高額だった。誰が見ても、一般の高齢者向けというより、富裕層向けの老人ホームに思えた会長が疑問を感じたらしいのです。」
「会長は『これでは地域のためではなく、富裕層向けの投資先ではないか。地域活性化にもつながらない』と、かなり憤慨したそうですよ。」
「それは、最初に聞いていた話と違うわね」幸子が腕を組む。
それに続き瑞穂が
「樫の木グループが期待していたのは、地域の高齢者が安心して暮らせる場所だったんでしょう?」
「瑞穂そうですね、スポーツ選手の引退後の雇用先としても活用できるのではないかと考えていたようです」
「それなら、リハビリや健康づくりにスポーツの専門知識を生かせるものね」
瑞穂が頷く.
「ところが、実際の計画は違ったようで」リュックが苦笑する。
「リハビリテーションは名目上のものに近く、施設のアクティビティもゴルフやテニスなど、富裕層向けのものが中心で・・」
「ゴルフ?」幸子が思わず聞き返す。
「まあね」
「ゴルフなんて、老人ホームに入ってから急に始めるものでもないでしょう。そもそもゴルフ場をつくったって、利用する人は限られるわよ」
瑞穂が呆れたように言う。
「そうよ、かえってぎっくり腰がいいところよ」幸子も頷いた。
「樫の木グループとしては、スポーツ選手の知識や経験を生かして、利用者の運動機能の回復や向上につなげれば、本人だけでなく家族にも喜ばれると考えたんでしょうね」
「その通りです」リュックは頷いた。
「樫の木グループは、地域活性化の一環として、若い人材の雇用促進も重要な課題だと常々考えていた。だからこそ、話が違うということになり・・」
「それで、サーナルリゾート開発に苦情を申し立てた?」幸子が聞くと
「はい」リュックはグラスを置いた。
「ところが、返ってきた回答・・」
「なんて?」
「『契約書に“高額”という言葉はありません』」
「……うわ」幸子が顔をしかめる。
「さらに、『“地域”とは書いてありますが、“伊勢志摩の地元住民”とは限定していません』と。顧問弁護士を通じて、そう回答してきたみたいで・・」
「言葉の隙間を突いてきたわけね」瑞穂が呟く。
「そういうことです」リュックが言った。
「会長は、契約を破棄したかったでしょうね」
瑞穂があきれ顔でいうと
「ええ。でも、社長は反対して・・理由は損失が大きいすぎるとして、経営上の判断で、契約書がある以上、簡単には破棄できないということです。」
リュックが首を振った。
「最終的には、契約期間中は『かしのきの里』という名称の使用を認める。ただし、それ以上の協力はしない。そして、契約更新は絶対にしない」
「それだけ?」幸子が尋ねると
「もう一つ条件を付けたそうです」
「何?」瑞穂が聞く
「地元の雇用促進につながる仕組みをつくること」
「なるほどね」幸子が頷く。
「そして、もともと三年間だった契約期間を二年間に短縮して、和解金を支払うことで、双方が合意したというわけです」
リュックは、そこまで一気に話すと、ふっと息を吐いた。
「喉が渇きました。おかわりを頼みましょう」
「そこ?」幸子が思わず笑う。
スタッフがすぐにビールを運んできた。
リュックはグラスを持ち上げ、一口飲む。
「うーん。美味しいですね」満足そうなリュックを見ながら、幸子は思った。
――サーナルリゾート開発も、知名度の高い樫の木グループを敵に回したくはない。それに、このトラブルが表に出れば、プロジェクトのイメージが悪くなり、今後の投資にも影響する。そして、契約期間は残り一年。
その間に新たなスポンサーや投資家を見つけなければ、資金繰りが厳しくなる可能性もある。幸子は、ようやく全体の輪郭が見えてきた気がした。
「で、続きは?」幸子が急かす。
「はい」リュックはグラスをテーブルに置いた。
「サーナルリゾート開発は、急いで新たな投資家を探しているようです。そのため、私たちのような投資の専門家にも、事前に打診があったのでしょう」
「つまり、私たちに話が来たのも偶然じゃない?」瑞穂が尋ねる。
「そういうことです」リュックは頷いた。
「さらに、小口で投資する人たちを集めるためのPRも、すでに始まっていると思います」
幸子は黙ってビールのグラスを見つめた。
「かしのきの里」――。
名前だけを聞けば、誰もが安心できる場所を想像する。
けれど、その名前の裏側では、いくつもの思惑が動いている。幸子には、そんな気がしてならなかった。「なるほど……」
「さらに、もう一つ大きな問題があります」リュックの表情が変わった。
「対象となっているリゾートマンションには、まだ住民がいます。そして、その人たちが退去を拒んでいるのです。」
「お金の問題?」幸子が尋ねる。
「いえ。金額の問題ではないそうです」リュックは首を横に振った。
「『ここは私たちの終の棲家だ。それを奪うのか』と抗議し、住民たちは団体をつくっているようです」
「それは厄介ね……」
「しかも、その抗議団体の代表が、そのマンションの管理組合の理事長であると同時に、土地の所有者でもあり、大変ですね・・」
「えっ?」幸子が目を丸くする。
「それは、かなりややこしいわね」
「そうなんです」リュックは苦笑した。
「住民と地権者が絡むトラブルは、時間もお金もかかります。この手の開発計画は、途中で頓挫することも珍しくありません」
そして、少し間を置いて続けた。
「仮に契約まで進んだとしても、肝心の高齢者が入居できるまでに何年もかかれば……その頃には、入居を予定していた方が亡くなってしまうこともあります」幸子は黙ってリュックを見つめた。
詐欺ではない。
けれど――「だから安心」とも、とても言えない。
一つの計画の裏側に、いくつもの思惑と問題が絡み合っている。
幸子は、そんな気がしてならなかった。
瑞穂が続けて
「実はね、この伊勢志摩開発には、別のプロジェクトも進んでいるらしいの。それには議員も絡んでいて、相当大きなプロジェクトみたい。これは咲代情報よ。しかも、プロポーザル方式で事業者を募集していたから、公式に公表されている情報なの。大手不動産会社が事業を受託したらしいわ。
だからこそ、このサーナルリゾート開発が進めているプロジェクトにも、何らかの影響が出るんじゃないか――というのが、咲代の見立てよ」
「そうなんだ……」幸子が頷く。
すると、瑞穂はすかさず窓の外を指さし、にこりと笑った。
「咲代は今ごろ、空を飛んでるわよ」
「えっ?」
「また何か面白いものを見つけたんじゃない?」幸子も思わず笑った。
次章では郷田咲代の登場 咲代の笑顔の裏の顔はいかに・・・




