第三話 アイアン・キングダム・トラジディ③
契約書と問診票の記入が終わると、店長は隅々まで書類に目を通していく。その間ずっと「うーん」と唸り声を上げていて、まるで魔法を使うことを渋っているかのようだった。
「ヘンリー氏や」
「はい」
「ここにいるアガタ氏の二ヶ月分の給料を持ってしても、ご両親にお会いできる時間はせいぜい二分やそこらですぞ。それでも、お会いしたいので?」
「たった二分であっても。会わせていただきたいです」
しばらく考えた後、ヘンリー君の考えを受け入れたのか、店長は短剣を握り、おでこに当てがった。目を瞑り、祈るようにして呟く。
「魂の交信」
その瞬間、床から天井に向けて風が吹き上げた。ツインテールが浮き上がる。
「うわあ!」とヘンリー君が叫ぶ。
「彼岸の扉、開門」
店長が目を見開くと、部屋一面に眩い光が拡散した。数秒後、光と風が止み、部屋に静寂が戻る。ヘンリー君の両隣に、男性と女性の姿が現れた。
「ここは……どこだ? 俺は一体……」
「父さん! 母さん! 僕だよ! ヘンリーだよ!」
「ヘンリー……? 信じられないわ。こんなに大きくなって」
「父さん、母さん、二人は今、魔法でこの世界に戻って来たんだよ! 時間がないんだ! 僕、二人に伝えたいことがあって!」
ヘンリー君は短剣を鞘から抜き、構えた。
「僕は今でも、二人がくれたこの短剣で修行をしてるんだ! 必ず二人の仇を討つよ! もっと強くなって、敵国の戦士達、全員倒して、復讐を果たすから!」
ヘンリー君は両目いっぱいに涙を溢れさせながら言った。
異変が起こったのは、その時だった。
「へッ、ヘンリー、お、お前……」
短剣の刃を見つめる父の体はガタガタと震え、母は頭を抱えてうずくまった。
「くっ、うぅ、だっ、だ、ダメだっ。ヘンリー……剣をおさめなさい。復讐など……うぅ!」
「あ、あぁ、恐ろしいわ……うっうぅ……」
「と、父さん? 母さん?」
「ヘンリー、お、俺達は、お前がその手を血で染めることなど……のっ、望んではいないっ。くっ……せっ、戦争はっ、うううううう」
父の震えは次第に大きくなり、揺れはソファからテーブルへと広がる。
「うぅ……うっ、うわああああああ!!!」
「きゃあああああああああ!!!」
両親の叫び声とともに、震えが一気に部屋全体へ広がった。
「父さん! 母さん! なんでっ! どうして!」
「これって、一体!」
店長は表情一つ変えず、腕を組んで見つめている。
「戦争恐怖症。死してなお、その恐怖は魂に刻み込まれたままであるか」
ゴゴゴゴゴと大きな音を立て、建物が揺れる。
「店長、どうにかできないんですか?!」
私は呼びかけるが、店長は動かない。
揺れは激しさを増す。
魂が暴走してる! 二人が彼岸に戻るまで、まだ時間もかかる! このままじゃ危ない!
「ヘンリー君!」
「は、はい!」
「なんでもいい! 二人の魂を落ち着けられるような、安心できるようなことを伝えてあげて! この暴走は、あなたにしか止めることはできない!」
「安心できるようなこと……!」
「二人は今、戦争の恐怖を思い出して震えている状態にある! だから、戦争を忘れさせられるような、とにかく急いで! このままじゃ危ない!」
激しい揺れの中、ヘンリー君は足を踏ん張り、叫び声をあげる両親の体に手を伸ばした。
「父さん! 母さん! 僕はただ、許せなかったんだ! 戦争が、敵国の戦士達が! 僕らの生活を奪った奴らが憎くて仕方がなかった!」
短剣を鞘にしまい、投げ捨てる。
「まだ街が平和だった頃、三人でよくシチューを食べたよね……温かくて、優しくて、お腹だけじゃなくて心まで満たされる、そんな感覚……。僕は、僕はあの幸せな食卓さえあればそれでよかった……それでよかったんだ!」
両目からボロボロと涙がこぼれ落ちる。
「ごめんよ……うっ、うう……こんなつもりじゃなかったんだ……復讐すれば、二人のためになるって思ってただけなんだ!」
「ヘッ、ン……リー……」
「母さん!」
「私達は、あな……たが、生きているだけで……」
「ううっ……お、俺達は、お前を、ま、ま、守るため……に……」
「父さん! 二人とも……僕はどうして……ごめん……ごめんっ!」
二人は正気に戻りつつあるのに、揺れが止まらない。何か、決定打になること、私にできること……!
「ヘンリー君のお父さん、お母さん! お二人のおかげで、彼は元気に生きています! もう二度と、復讐を果たすなんて間違ったこと、しないはずです!」
復讐を果たす。間違ったこと。自分で吐いた言葉に違和感を覚える。私だってアルベルトを殺した魔物に、できることなら復讐をしたいと考えていた。力がないから、実行しなかっただけだ。もし私が魔法使いだったら……。違う。今はそんなこと考えている場合じゃない!
「だから! どうか安らかに眠ってください! 彼はもう、絶対に大丈夫です!」
「うぅ……うっ、うわああああああ!!!」
「きゃあああああああああ!!!」
ダメだ! 鎮まらせることができない! このままじゃ!
「彼岸の扉、閉門」
店長が祈るようにして両手を組む。
二人の体が光に包まれていく。徐々に揺れがおさまる。
「はあ、はあ。父さん、母さん、僕……」
「ヘンリー。俺達は、お前の幸せを」
光が拡散し、二人の魂は彼岸へと戻って行った。
*
「ご迷惑をおかけしてしまい、すみませんでした。代金の肩代わりまでしていただいたのに」
店の前で、ヘンリー君は深々と頭を下げた。
「こんなことになるなら、会わない方がよかったんですかね。向こうで静かに眠らせてあげていた方が、よっぽど」
短剣に触れ、寂しそうに呟く。
私は何も言い返せず、ただその場で立ち尽くし、彼が帰って行くその姿を見つめることしかできなかった。
ラザロさんの言葉が脳裏によぎる。
「我々が眠らせた死者の魂を目覚めさせ、呼び戻すなど言語道断。倫理に反する行為であり、死者への冒涜だ」
「君のやり方は間違っている」
今日、私がやったことは、死者への冒涜……?
ヘンリー君の心を救うこともできなかった。それどころか、逆に深く傷つけてしまったかもしれない。
「アガタ氏や」
店長が言う。
「死者の魂は本来、彼岸に渡る前に苦しみから解放されます。それがラザロ氏の仕事、鎮魂。アルベルト氏やリーサ氏の魂が安定していたのもそのおかげ。ただ、例外もあるのですよ。ネマシーのような激しい戦争地域では、死ぬ前に魂に戦争の恐怖が刻み込まれる。この場合、今日のような戦争恐怖症を発症するケースも少なくない。だからこそ」
私の背中をそっとさする。
「戦争は無くさねばなりません」
今も世界のどこかでは、人間同士の争いが起こっている。争いが犠牲を生み、犠牲が復讐心を生む。世界中で繰り返されるこの悲劇を止めるためには。
20年前、世界に平和をもたらすため、魔王を討伐した勇者レオンは、今の世界をどう見ているのだろうか。
魔王がいないこの世界に、真の意味での平和が訪れることを切に願う。




