第3話 森に集う影、揺らぐ均衡
兄ボアは草原を駆け抜け、森の奥へと走り続けた。
胸の奥で渦巻くのは、悲しみと怒り、そしてどうしようもない喪失感。
(……仲間に伝えなければ)
木々が密集する森の入口に差しかかると、
複数の気配が兄ボアを取り囲むように現れた。
「ブヒッ?」
「ブヒヒ……?」
警戒の鳴き声。
兄ボアと同じ種族の、別の群れだ。
兄ボアは息を荒げながら、短い鳴き声で状況を伝えた。
家族が殺されたこと。
耳を切り取られていたこと。
巣穴の周囲に残っていた、人間の匂い。
群れのボアたちはざわめき、互いに鼻を鳴らし合う。
(……人間が、やったのか)
彼らもまた、近頃の森の変化を感じ取っていた。
木々が倒され、見慣れない道具の跡が残り、
冒険者の匂いが増えている。
その中心にいた大柄なボア――群れの長が、
兄ボアの前に一歩進み出た。
「ブオォォ……」
低く、重い鳴き声。
それは“確認”ではなく“決意”の音だった。
兄ボアは首を振らなかった。
否定できるはずがない。
家族の耳を切り取るのは、人間だけだ。
群れの長は周囲を見渡し、短く吠える。
「ブヒッ!」
その瞬間、群れの空気が変わった。
怒りが、恐怖が、悲しみが、ひとつの方向へと収束していく。
――人間への報復。
兄ボアは胸が締めつけられた。
本当は、復讐など望んでいない。
ただ、家族を守りたかっただけだ。
だが、もう守るものはない。
群れの長が兄ボアに近づき、
鼻先をそっと触れ合わせる。
(……お前の痛みは、群れの痛みだ)
そんな意志が伝わってくる。
兄ボアは目を閉じ、静かに頷いた。
群れのボアたちは森の奥へと動き出す。
向かう先は――人間の村。
夕闇が迫る森の中、
複数の影が音もなく進んでいく。
その足音はまだ小さい。
だが、この一歩が
人間と魔獣の均衡を崩す始まりになることを、
誰も知らなかった。




