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5-5 村で得た経験値

     ◇


 いつまでも玄関で話していないで――と、キリのよいところで男爵夫人に諌められ、一同は近くのラウンジへ移動する。


「さぁこっちよ、ミーア。ここは広いから、またあとで邸内を案内するわね」

 その間も、なにくれと伯爵夫人が世話を焼いてくれるのは、ミーアを気遣ってのものだろう。

 平民上がりの養子、そんな自分が慇懃ですらある敬語を使うためか、堅苦しさをはずそうとしてくれている――そんな気がした。

「……ありがとうございます、伯母さま」


 エイプリルさま、あるいは伯爵夫人と呼ぶべきかもしれないが、求められているのはこちらの呼び方だろう。

 それを聞いて笑みを浮かべるのは伯母であり、対する義母は複雑そうに、義姉を見つめていた。

「ミーア、エイプリル義姉さんには、なんだか素直じゃないかしら……」

「ふふっ、残念だったわねルフィーナ。この子はもう、私のものよ!」


 どちらのものでもありません――などと言えるわけもなく、姉妹で奪い合われるお人形のような扱いで、ミーアは二人の間に座らされる。

 レティシャのほうを見やると、そちらは伯父とリュナンに挟まれ、ご満悦の様子なのでひと安心だ。

 どちらの子とも引き離された男爵は、悲しげだったが――それはともかく。


「お暑うございましたでしょう。まずはこちらで、ひと息お入れくださいませ」

 料理人と侍従らが用意してくれた、冷たい飲み物が供される。

 渡されるグラスひとつ取っても名品であり、高い技術がうかがえた。


 また、温度管理についても、気になるところではある。

(さすがに冷蔵庫はないはず……となると、氷室か?)

 切りだした氷を深く掘った穴、あるいは高地の洞窟などで保管し、冷蔵庫のように使うという、古来よりある保存法だ。

 おそらくは近く、敷地内のどこかに、保存庫があるのだろう。


(うん……おいしい。そういえば領地では、あまり冷たいものはなかったな)

 気候的にも氷冷は難しく、できても海水を利用する水冷というところか。

 地下を利用すれば、もう少しマシになるかもしれない。

 そんなことを思いながら、またグラスを小さく傾ける。


「ああ、これはいいな――身体の奥から冷えて、すっきりするね」

「お砂糖みたいに、こってりとした甘さでないのもいいわ。飲みやすいもの」

 そんな話をする大人たちに頭を下げつつ、運んできた侍従のひとりが、視線をかがめて子供たちに話しかけた。

「こちらのお飲み物に使われる二種類の材料――お坊ちゃま、お嬢さま方には、おわかりになりますか?」

 ちょっとした余興、というところか。


 隣同士の二人は目を合わせ、声をそろえて答える。

「えっと……メロンだと思います」

「うん、メロンだわ……もうひとつは、わかんないわね」

「ふふ、よくお考えくださいませ」

 メロンを正解のひとつと言わないあたり、なかなか意地の悪い問題らしい。


(さて、どうしたものか――)

 ほのかに口に残る食感からして、果肉を直接すりおろした果汁のようだ。

 甘い香りはメロンを思わせるが、やや薄い――そして、酸味も感じる。

 頭の中には、黄色い皮と白い果肉が想像されていた。

 それに添えられるように、小振りな緑皮の柑橘類も。


 ふむ、と小さくうなったミーアに、侍従がニコリと目を細めた。

「お嬢さまは、いかがでございましょう?」

 意地悪――というより、この場合は引っかけというべきだろう。

 こういう甘い野菜もあると、子供たちに学ばせる機会というわけだ。

(まぁ、メロンやスイカも野菜だが……こちらでの分類はわからないな)

 答えるべきか迷いつつも、ミーアは素直に口を開く。


「――瓜ですね、おそらくまくわ瓜。それと、青柚子が絞られています」

 名称については、村にきていた行商の品や、港町で見かけた商品などでも確認しているため、間違ってはいない。

 黄色いものから緑のものまで、いくつか品種はあるが基本的には、平民でも食べられる安価なメロン、という扱いで売られていた。

 レティシャやリュナンが食べたものは、おそらくマスクメロンのような、高級品種なのだろう。

 ちなみにプリンスメロンなどは、まくわ瓜と西洋メロンの交配種だそうだが、この世界で研究が進んでいるかは不明だ。


「……瓜には身体を冷やす効果がありますから、夏場にはよく食べられますね。こうして冷やした形でいただけると、なおのこと効果がありそうです」

 なぜか反応がないため、やむなくそう言葉を続けるミーアだが、これで不正解なら、少し恥ずかしいところである。


 ややあって、驚いた様子の侍従が、感心したようにうなずいた。

「お見事でございます。まくわ瓜のほうは、どちらかでお召し上がりに?」

「ええ、村に行商がきていましたので。そこで口にしていなければ、わからなかったでしょう」

 前世で口にした、とはさすがに言えない。


 そのように答えたところで、横合いから伯爵の声が届く。

「そうか、ミーアはアルーヌ村にいたのだったな。よければ、村の話を聞かせてもらえるかね。伯爵領にとってあの地は、とても大事な場所なのだよ」

「はい、もちろんです」


 アルーヌ村の主産業は言うまでもなく農業、それも小麦の生産だ。

 村全体で収穫をおこなうほどに規模は大きく、村はもちろん、伯爵領で消費しきることも難しいだろう。

 すなわち、あの村は王国全土の穀倉地帯でもあるということ。

 位置関係的にも要地なのは間違いないが、国の食糧庫でもあるのだから、伯爵家としては常に気にかけておきたいところだろう。


「ここ数年は、大きな天候の崩れもなく、小麦の収穫は例年どおりだったかと。ただ、一部の農作物においては――畑によりますが、実りがまばらでしたね」

 これについてミーアは、十中八九で連作障害、次点で花の段階における受粉の有無、あたりが原因だろうと考えていた。

 村でもそうした研究はされており、小麦のほうは輪作によって回せていることから、畑については、育てる作物の順序を誤ったのだと見られている。


「ですので、今後は区画を増やし、正しく実る順序を検討していくことになるかと。究明できるまで、一部の畑を休ませることにはなりそうですが」

 一時的な収穫の減少はあれど、年々の安定感は増していくはずだ。

 そうした話を進めていくと、伯爵は興味深そうにうなずいている。

 まさかミーアから、そこまで詳しく聞けるとは思っていなかったのだろう。


「たしか、ミーアはまだ10歳だったはずだが……村では、教会で勉強しているころではなかったかな。いや、もちろん収穫期には手伝っていたと思うが」

「はい、おっしゃるとおりです。ただ、そうした際に、村の方からお話を伺うことはできますから。そこで聞いたことの一部を、覚えていたまでです」


 もちろん、話せるのは農作業のことばかりではない。

 大きく崩れることはなかったが、こまかな天候の変化は、農作業や収穫に影響をおよぼす。

 それらの推移や、村規模での対応について。

 また、農業において切って離せない問題として、害獣駆除にも話はおよんだ。


「連作に影響が薄い作物として、サツマイモの生産が多かったかと思いますが……どうやら森のイノシシなどが、それをずいぶんと気に入ったようで」

 それらに対応する罠の設置や、村ぐるみで狩っていたことなどを話し、それとなく、狩りに対して忌避感がないことを伝えておく。


「行商や、町に出ての買いだしくらいしか、肉の調達ができませんから。イノシシは害獣ではあったものの、村では貴重な食材になっていました」

「ふむ……解体はどうしていた? なんなら、職人を派遣してもかまわんが」

 たしかに、町の肉屋や解体業者でもなければ、正しく肉を処理し、正肉を作って、保存などに気をつけるのは難しい。

 かつてはそれで苦労したと、手伝いの合間に聞いたことがある。


「現在では役割を担う家がいくつかあり、独自の方法かもしれませんが、広く引き継がれており、問題はないかと。私もそこで、学ばせていただきました」

 ですから私も狩りに、ぜひ狩りに同行を――。

 目に光をたたえて訴えたが、通じたかどうかはわからなかった。


 それ以外にも、村の燃料――つまりは、例の木炭についても話をする。

 あれは国中で広く使われているが、村のものはとりわけ質が高いらしく、産業のひとつとして数えられていた。

 また、木炭を使ったあとにできる灰は、畑の肥料にもなる。

 連作の影響が大規模でないのは、そうした作用があるからだ。


「なるほどな――すばらしい報告だったよ、ミーア」

 村の内情を、住人による生の声で確認でき、伯爵は満足げにしている。

「お役に立てたのでしたら、なによりです」

「本当にな、そのまま報告官として雇いたいほどだ」


 現地の内情を調査し、領地に報告するのが、領主の雇う報告官だ。

 領地はそれを中央――つまり国や、王宮の官僚へ伝えるという義務がある。

 報告の精度が高ければ高いほど、国全体が助かるということだ。


 穀倉地帯でもある伯爵領については、特にそうだという。

 食料自体は各商会が、男爵領ではハンク商会が中心となり、海外からも多くの食材、保存食を集めていることもあり、飢饉があってもすぐには影響がない。

 しかし世界情勢によっては、多量の兵站が必要になる事態もあるため、穀倉地帯の内情は不可欠だ。

 伯爵領はそれらの把握、調達、および武技の研鑽が役割となっている。


 そうした伯爵の言葉に耳を傾け、貴族としての責務や領地経営について、男爵とともに聞き入っていると、伯爵の袖をレティシャの小さな手が引いた。

「……伯父さま。私たち、外へ遊びに行ってもいいですか?」

 その退屈そうな顔、なにかを訴える視線――。

 レティシャだけでなく、リュナンまでそんな顔をしていることに気づき、伯爵は不覚だといわんばかりに頭を掻く。

「お――おお、すまんすまん。つい興が乗ってしまってな」

「本当よ、あなた。ミーアやハンクが聞いてくれるからって、そんな眠たくなるようなお話ばかり……」


 伯母がたしなめているうちに、男爵夫人が娘たちを呼び、支度を整えさせた。

「これでいいわ。すぐに日が落ちるだろうから、あまり遅くならないよう、遠くに行かないようにね?」

「お母さま、ありがとうっ」

「レティのことは、お任せください」

 それぞれの世話役と護衛をともない、二人は足早にラウンジを飛びだす。


「ほらご覧なさい、よっぽど退屈だったのよ」

「私たちだってそうだものねぇ。兄さんは昔から、そういうところがあるわ」

 妻と妹からたしなめられ、伯爵は呵々と大笑した。

「はっはっは、ミーアとハンクが熱心なものでなぁ。アーネストが王都に行ってからは、誰も聞いてくれんようになったし」

「んまー、私のせいにしないでちょうだいっ」

 ポカポカと肩を叩く夫人をなだめつつ、伯爵はミーアを見やる。


「悪かったね、ミーア。遊びたいなら、一緒に行っておいで」

「たしかに、二人を見守りたい気持ちはありますが――」

 そんなミーアの言葉に、男爵夫人が少し気遣わしげな視線を向けたが、そうした意味で遠慮するのではない。

「婚約者同士の語らいを邪魔するような、野暮なことはしたくありませんので」

 ミーアはそう告げて、やわらかく微笑んだ。


 加えて、子供と語らいたがる大人たちに、配慮したということもある。

 経験上、年配の親戚にはわりと、そういうところがあった。

 もちろん、伯爵の話を聞きたいのも事実だが。


 それはともかく――ミーアの言葉に、夫人たちはまぁとうれしそうな声をもらし、伯爵はニヤリと笑った。

「ずいぶんと大人びているとは思ったが……いやはや、ミーアはいっぱしのレディだったようだ」

「とんでもありません。まだ若輩の身です」

 ミーアの無骨な返答に、伯爵の笑みが苦笑へと変わる。


「たしか引き取ってから、まだ三ヶ月ほどだろう? よくもまぁ、これだけ教育したとは思うが……無理をさせとらんか?」

「かわいい娘に、そんな押しつけをしたりしませんよ」

 心外だとばかりに男爵が返せば、夫人も頬をふくらませる。

「そうよ! ミーア、この中年オヤジになんとか言ってやってちょうだい」

 兄を捉えての暴言も、当人は気にしていない様子で、愉快そうに笑っていた。


「お母さまのおっしゃるとおり、私は大変よくしてもらっています。この性分についてもご理解いただいており、ありがたいかぎりです」

 無理をした様子もなく返すミーアに、伯爵はふむと小さくうなる。

「まぁ村の報告もあるし、昨日今日こうなったとは考えられんわな。生まれながらに実直でまじめ――というと、アーネストと同じタイプなのかもしれん」

「ああ、それは少しわかる気がするわね」

 ミーアのほうが百倍くらいかわいいけど――と、伯爵夫人。

 先ほども聞いた名前だが、その言いようからも立場の想像はついた。


「アーネストさまとおっしゃるのは、伯爵家のご長男でしょうか」

 リュナンからも聞いていた、父親に似て武技が達者だという、伯爵家の長男。

 出迎えのときから、その人物がいないことは気になっている。

「そういえば、話しておらんかったな」

「……申し訳ありません、触れてはいけないお話でしたか?」

 ミーアがそう口にすると、一同はドッと笑いを響かせた。


「違うちがう、そういうことじゃないわ。アーネストはもう働いているから、ここにはいつも、遅れてくるっていうだけの話よ」

「わかっていることだから話題にしなかったけれど、ミーアには伝えていなかったと思ってね」

「そ、そういうことでしたか……すみません、とんだ邪推を」

 恥じ入って赤い顔を伏せるミーアの頭を、両夫人がよしよしと撫でる。

 その光景に、伯爵がククッと喉を鳴らした。


「そんな発想がまず出るところなど、ますますあいつに似ているな。どうだ、性格が似た者同士、アーネストの嫁になるつもりはないかな?」

「ミーアはまだ10歳ですよっ、なにを言いだすのですかっっ!」

 男爵が即座に断ろうとするのを、伯爵夫妻がニヤニヤと眺める。

「なにを言うか。レティなど婚約させたときは、まだ5歳かそこらだぞ?」

「女の子の男親っていうのは、過保護なものなのよ。ねー?」


 断固阻止、というスタンスを崩さない男爵に、夫妻はなおも説得するふりを見せており、男爵夫人もクスクスと笑っていた。

(ああ……お父さま、完全にからかわれていらっしゃいますよ)

 ミーアはやむなく、実父の名誉を守るため口を開く。

「申し訳ありませんが、お顔を拝見したこともない方ですので、ご返答いたしかねます。ご容赦ください……特に、お父さまには」

 その言葉がトドメとなったように、三人はさらに大きな笑い声を上げた。


(そもそも、年齢差がすごいことになると思うのだが……この世界、というより貴族の間では普通なのか?)

 学園には14歳になる年に入学し、そこで三年間を過ごすため、卒業するころには16歳になっている。

 その卒業パーティが、社交界デビューの第一歩になるのだとか。


 そうして卒業したあとは、さらに高等な、各分野の専門教育を受けられる機関に進学するか、就職するかという進路選択だ。

 ご長男――アーネスト氏が新卒なら、16歳か17歳になるが、いつも遅れてくるという話からして、すでに何年も働いていることだろう。

 確認したところ、すでに武官としての勤務三年目で、19歳らしい。

(9歳差か……貴族としては、普通かもしれないが――)


 現代感覚では、そこそこの年齢差と扱われるだろうし、いまの年齢で見れば、大学生と小学生である。

(これは……完全に事案だな)

 いや、決めつけるのは早計か。

 貴族の婚約に制限はないが、婚姻については16歳からと定められている。

 ミーアが16歳になるころには、彼は25歳だ。

(社会人と高校生……なら、なくもない……いや、やはり事案かな)


 現代感覚と、この世界の貴族感覚。

 二つの比較に頭を悩ませていると、ようやく笑い終えた面々が、息を整えながらもミーアに話を振ってくる。

「冗談はともかくとしても、学園に上がるころには、そういった話が聞こえてきてもおかしくないのよ?」

「そうねぇ。卒業くらいには、大半が婚約者を作っているくらいだもの」

 卒業パーティでのエスコート役に、婚約者をともなう生徒は多いらしい。


「そうはおっしゃいますが……平民上がりの娘に、そのようなお話が届くとは思えません。お父さまが画策でもされないかぎりは、ですが」

 以前のように牽制するが、男爵が口を開くより早く、夫人たちが声を上げる。

「なに言ってるの! ミーアはもっと、自分の見目を自覚するべきね!」

「そうよ! ミーアほどかわいければ、すぐに見初められてしまうわよ!」

 仲間ができたせいだろうか、男爵家にいるときより、男爵夫人からの圧力――もとい愛情が、増しているように感じられた。

「そ、それは買いかぶりというもので――」

 思いもかけない攻勢に気圧され、声を震わせるミーアに、怒涛の追撃が浴びせられていく。


「いいえ! これはけして、身内の欲目なんかじゃなくてよ!」

「貴族の淑女たるもの、美しきは美しいと認めなくてはいけないわ!」

「そうよっ、特にこの黒髪ブルネット! なんて艶やかなのかしら!」

「それっ! 前々から聞きたかったの、どんな手入れをしているのっ?」


「わっ、あわっ、あのっ……ま、待ってください……」

 ミーアの目は二人から逃れ、男性陣へ向けられるが、現実は厳しかった。

 あきらかになにも話していないのに、二人は深刻な話をしているかのように向かい合い、どうやら救いの手になってくれそうにない。

(そんな、ご無体な!)


「どうなの、ミーア! 教えてちょうだい!」

「はっ、サラはどこ! あの子なら知っているわね!」

「おやめくださいっ! 話しますっ、お教えしますのでっ!」

 大事な侍女まで巻き込んでは、主として失格だ。

 ミーアは慌てて酢リンスの説明をし、効果なども事こまかに話す。


 現在は、ハンク商会が輸入した洗髪液――いわゆるシャンプーや、香油などが貴族社会には広く浸透しており、男爵家で使われているのもそれだ。

 それらと酢リンスの相性も考え、使うべきシャンプーや石けんについても、ミーア個人の調べにはなるが、いくつか紹介することも忘れない。

 その他の注意事項としては、お酢をしっかりと薄めて使うこと、流し残しのないようしっかりとすすぐこと――。

 あとは、ハーブやフルーツの皮などを併用することで、ほのかな香りづけも可能であること、といったところか。


 ちなみにこれらについては、当然サラにも教えており、また彼女を通じ、レティシャの侍女であるライラも知っていた。

 ミーアが把握しているのはその二人だけだが、実際は屋敷のメイド全員が知るところとなっており、実践されている。

 香油などはまだ高価で、基本的には貴族令嬢や、夫人しか使えない贅沢品らしく、酢リンスはたちまち、メイドたちの愛用品となった。

 そのおかげか市井では、男爵家のメイドは髪がきれい――などと、噂されているとか。


 ミーアの説明を熱心に聞き入っていた夫人たちは、勢いこそおさまりはしたものの、その手はミーアの髪をすくい、真剣に精査している。

「なるほど……香油は肌になじまないこともあるし、こっちのほうが使いやすいかしら……併用はしてもいいの?」

「もっと詳しく知りたいわ。今夜のお風呂、一緒に入りましょう?」

「あの、もう……許して、ください……」

 疲れきったミーアが窓の外を見ると、いつしか空は、茜色に染まっていた。

(ああ、もう――いったい、どれだけ話していたのやら……)

 こっそりと考えていた、馬油の話までしなくて本当によかったと、心の奥底で何度も胸を撫で下ろす。


 そんなミーアを見かねたわけではないだろうけれど、管理人のトップであろう侍従のひとりが、夕食の支度が整ったことを伝えにきた。

「おや、もうそんな時間か」

「ルフィーナ、子供たちも戻ってくるし、そのくらいにしておこう」

 伯爵、そして男爵がそう言って、夫人たちを連れて行ってくれるが、ミーアの恨みがましい視線は、男二人の背に突き刺さる。

 バツが悪そうにこちらを振り返り、目で謝ってくれるが、ごめんで済んだら警察はいらないのだ。

(お父さま、伯父さま……お恨み申し上げますからねっ……)


 そんなミーアの恨みと疲労は、帰ってきた義妹と従弟の微笑ましいデート報告を聞くまで、薄れることはなかった――。

 >そっとしておこう

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