6-1 夫人たちの玩具
三日ほどを、別荘や周辺の散策で過ごし、乗馬なども経験した。
思えばそれは、ミーアが伯爵家や使用人たちになじめるようにと、意識して用意された時間だったのだろう。
もっともそれがなくとも、なぜか初日から伯爵夫妻にずいぶんと気に入られてしまっていたミーアは、特に夫人が放そうとしてくれなかったが。
男爵たちは少しばかり書類仕事もこなしていた様子だったが、やがてそれらにも一段落ついたのだろう。
周辺散策だけでは飽きがきてしまった子供たちのため、明日は湖に出かけようか――と、そういう話が決まった。
…
林の奥に広がる湖は美しく澄み、木洩れ日をキラキラと跳ねさせている。
それを取り囲むように広がる木々は、ただ自然のあるがままに置かれるのではなく、適度に人の手を加えられ、芸術的な調和が整えられていた。
湖まで続く林道にしても、左右の木々や繁みが、主張しすぎないバランスで残されており、自然が人を招いているようにさえ見える。
まるで神がそうしつらえたような、幻想的な光景だった。
湖畔を囲む林の陰には、いくつかのコテージもあり、一日どころか数日は過ごせるくらいに設備が整っている。
そのコテージのデッキでテーブルにつき、ミーアは憤慨していた。
原因は、伯爵と男爵の不在である。
もちろん、両者に甘えたかった――などという、子供じみた感情ではない。
(アーネストさまがいらしてから、というお話ではなかったのですかっ……)
彼らの不在理由は仕事などではなく、別方向の森に出かけたことにある。
長男がきてからおこなう予定だという狩りの下見に、数人の従者を連れ、二人だけで行ってしまったのだ。
ぜひお供させてください、とせがんでいたミーアを残して――。
「――あらあら、ずいぶんと険しい顔ねぇ、ミーア?」
「まぁ本当! これは甘い物が足りないのかしら、それともお紅茶?」
刺繍を手元に置きつつも、特に進める気配なく歓談していた夫人たちが、左右からミーアの頬をつついてたずねてくる。
「お、おかまいなく……ただ、お父さまたちに立腹しているだけですので」
それぞれの夫に対する不満があったのか、ミーアの言葉に両夫人はパァッと表情を明るくし、喜び勇んでミーアに紅茶を注いだ。
「わかる、わかるわぁ……男っていうのは、そういうところがあるの! 男には男の世界があるとか、なにかと言い訳してねぇ――」
「そうそう、そうやってけむに巻こうとするのよ。こういうときにこそ、夫婦の時間を大事にしろって、いつも言っているのに!」
それは娘、あるいは姪に聞かせてよい愚痴なのだろうか。
自分の憤りも忘れたミーアは、やむなく両夫人の愚痴をなだめる形になり、嘆息しつつ湖のほうを見やる。
愛しの義妹は、婚約者とともにボートに乗り、二人の時間を楽しんでいた。
それはそれは仲むつまじい様子であり、いま目の前から語られている、愚痴だか惚気だかわからない話よりは、素直な幸せが感じられる。
(あぁ……癒やされる、心から)
よし、心の栄養補給、終わり――。
レティシャたちに感謝しつつ、ミーアは困った義母たちに向きなおった。
「えぇと……お母さまたちは、狩りに同行されることはないのですか?」
本来なら、淑女たる二人が同行することないと思われるが、伯爵家は武門の家柄である。
当主の妻に当主の妹、どちらも武をおさめていてもおかしくはない。
そんなミーアの疑問に、二人は愚痴をやめ、ホホホと軽やかに笑った。
「なるほど――そういえばミーアは、狩りに行きたがっていたものねぇ」
「そのために、二人はわざわざ下見になんて行ったんだわ。いつもだったら下見なんてせず、勢いだけで狩りに出かけてしまうくせに」
しょうのない人たちね、などとあきれたように笑っている。
その瞬間、ミーアはすべてを悟り、背中が冷えるのを感じた。
「それは、つまり……私が同行するのに不備がないよう、ということですか」
ミーアが身を小さくしてつぶやくと、二人の目が嗜虐的――もとい、うれしそうに細められる。
「そういうことねぇ。さすがはミーア、伯爵と男爵から寵愛をたまわるだなんて、まさに傾国の美女というところかしら」
「我が娘ながら、すばらしい才能だわ。その調子よ、もっと大勢の男をころがしてやりなさい。それで、一番いい男を選ぶのよ」
二人の夫がこの場にいない、その責任がまさか自分にあろうとは。
たしかに――ミーアも多少は慣れているとはいえ、狩りはもちろん、野生動物との遭遇にしても、普通に考えれば危険極まりない。
そこに愛娘、もしくは姪を連れていくことを考えれば、万が一がないよう、万全を期すのは当然のおこないだ。
それを先んじておこなった二人に、あろうことか憤っていた不明を恥じるとともに、予定されていた団らんを妨害した申し訳なさに、苛まれてしまう。
「まぁまぁ、どうしたのかしらミーア? 楽しくお話しましょう?」
「あらいけない、お茶が冷めてしまったわねぇ?」
「あの、その……もう……許してください……」
頭を抱えて縮こまるミーアは、両夫人にとって格好の玩具だった。
二人が怒っていないことなど、口調と態度を見ていればわかる。
男爵や伯爵の行動についても、見るからに愉快がっていた。
「まぁ――私たちもレティも、狩りについて行きたいだなんて、思ったことすらないものねぇ。ちょっと悪いことをしたかしら?」
「そんなときに、こんなかわいい子がおねだりしてきたら、兄さんもハンクも張りきってしまうに決まっているわ。ミーアったら、お手柄よ?」
「は、はい……いえ、その……私は、果報者です……本当に……」
ミーアが声を小さくしてそう伝えると、二人はうれしそうに微笑む。
というのもおそらくは、二人の言葉が本音でもあるからだ。
それは、騎士道精神の一種とでもいうべきだろうか。
女性から狩りに行きたい、狩りを見たいとせがまれたなら、スマートにエスコートし、できればいいところを見せたいというのが男心だろう。
しかしながら自分たち――夫人たち自身は、そういった男の行事にさほど関心がなく、お好きに狩ってらっしゃい、と放置気味だったようだ。
そんな夫たちの矜持をくすぐったミーアに対し、感謝と敬意を抱いてくれている――ような気がする。
(そう……だと、よいのですが……あの、それでお願いします……)
いたたまれなくなるミーアと対照的に、二人は逆に、狩り自体にも興味が湧いてきたらしく、妙にいきいきとしてきた。
「村でも狩りをしていたと言ってたけど、剣はそのために覚えたの?」
「でもたしか、狩りでは弓を使うのではなかったかしら。ハンクが、うまくできないって、しょげていたはずよ?」
なるほど――やはり狩りに際しては、弓が主流のようだ。
村では罠や、集団で槍を使うようにしていたが、貴族の狩りといえば弓と巻き狩りだろう。
少し気を取りなおしたミーアは、そんな説明を交えつつ、剣を握る理由についても触れる程度に語る。
もちろん、いくつかの情報は伏せることになるが。
「私が最初に剣を握ったのは、いじめっ子を撃退するときでした。彼が原因で頭を打ちましたので、そのお返しにと……まぁ、剣というより木の棒でしたが」
前世の記憶が戻った当時のことを思いだし、頬がほころぶ。
その反応を勘違いしたのか、二人の目がキラリと光った。
「なるほど――それは男の子ね?」
「え……はい、男子でしたが……なにか?」
戸惑うミーアを前に、夫人たちはキャアッと声を上げ、手を叩く。
「その子はミーアのことが好きだったのね! そしてミーアも――」
「いえ、それはないです。彼の目当ては、どう見ても姉でしたので」
バッサリと切り返した言葉に、えーっと不満そうな声をもらす夫人たち。
とはいえ、不満に思われても応えようがない。
「姉はやさしく、愛らしく、同世代にも年下にも慕われていましたから」
そんな彼女が、引っ込み思案なミーアを過保護にかわいがるため、女子はともかく、近づけない一部の男子は不服だったのだろう。
その熱が暴走したユリアンは、ネリスの気を引くためだけに、ミーアにちょっかいをだすようになったのだ。
「引っ込み思案っ!?」
「ミーアがっ!?」
「……はい、その……当時は、間違いなく……」
記憶が戻らなければ、その性格はいまも変わらなかっただろう。
村の男子たちが怖くなれば、家の外に出る機会もなくなり、もしかすると男爵の目に留まることもなかったのではないか。
「思うところがあり、性分は変わりましたが……それを受け入れてもらえたのは、姉の寛大さによるところが大きいかと」
それがなくとも――と思わないこともないが、医者を呼ばれそうになった状況からしても、姉のひと言はありがたい対応だった。
過去の自分を知らない男爵でさえ、頭を打ってこうなったと聞いて、同じ手配をしようとしたのだ。
両親はもちろん、ネリスもそのように思ったとしてもおかしくはない。
「両親が私を気遣ってくれていたことは、疑いようもありません。ですが姉は、それ以上に私の――私自身の核となるなにかを、見てくれていたのでしょう」
かつて結月だった魂が転生し、ミーアとなり、そこにミーアとしての性格や記憶が付加されていくが、魂そのものは不変だ。
結月の記憶が戻ろうと、性格が少しばかり変わろうと、姉の目に映るミーアはおそらく、彼女の妹そのものだったに違いない。
「私は……私にできるかはわかりませんが、できることなら――そのような姉になりたいのです。妹がどうあろうと、その妹を見つけられる……そんな姉に」
レティシャが望む、望まぬにかかわらず、それだけの心構えは持ち合わせておきたかった。
思いながら湖を見ると、ボートがゆっくりと岸に戻ってきている。
「……ミーアの姉としての気質は、そのお姉さんから培われたものなのね」
どこか憂いを帯びた瞳で、義母がポツリとつぶやいた。
その言葉は間違いではない、けれどそれだけではない。
ネリスだけでなく、前世の詩織という姉も、ミーアの憧憬の対象であろう。
そして――ミーアがそのような姉でありたいと思ったのは、レティシャという愛すべき存在に出会ったからだ。
「……レティシャにとって、そのような姉でありたいということです」
「あの子を、慈しんでくれているのね……母として、とてもうれしく思うわ」
先ほどまでの、からかい混じりの触れ合いではなく――自らの子を慈しみ、愛する母としての温かな抱擁が、ミーアをやわらかく包む。
「……大丈夫よ、ミーア。あなたの想いはきっと、レティに通じているから」
言えた義理ではないけれど――と、囁かれる言葉に首を振る。
「そう言っていただけるだけで、報われます……ありがとうございます」
たとえ姉になれずとも、大事なときに彼女の味方になり、守ることができるなら、それだけでかまわない。
陰となって、支え、盾になり――泥臭く内助の功を行えれば、それで。
(姉さんたちなら、もっとスマートに立ちまわれるのだろうな……)
けれど、無骨で未熟な自分には、それが精いっぱいだ。
「――二人とも、そろそろかわいい恋人たちが戻ってきちゃうわよ。お腹も空かせてるだろうし、お出迎えしてあげましょ」
そんな伯爵夫人の言葉に、湖畔への道を見やると、二人が手を取り合って戻ってくるのが見える。
「そうですね……では、私がお茶の用意をさせてもらいましょう」
「使用人たちもいるのだし、任せていいのよ?」
義母が心配そうに囁くが、ミーアはその腕から抜けだし、微笑んだ。
「私が二人に淹れてあげたいのです。お茶菓子は、皆に任せるつもりですので……サラは、私を手伝ってくれますか?」
当然と言わんばかりに仰々しくうなずき、侍女が付き従ってくれる。
「ミーアの淹れるお茶が飲めるなんて、うれしいわぁ。あの人たちは騎士の務めを果たして、逆に損してしまったわね」
その背を見送りながら、伯母はコロコロと笑っていた。
きっと彼女も、姉妹のいびつな距離感に気づいているだろう。
それを指摘しないのはやさしさであり、信頼だ。
この家族なら、この姉妹なら――きっと美しい絆を築けるはずだ、と。




