閑話 妻の行動がどう考えてもおかしい
俺は疑っている。
妻のレクシアがあのパーティで俺に一目ぼれしたということを。
(なにが狙いがあるはずだ)
強引にもほどがある、と誰もが認めるくらいの力業で、俺との婚姻をものにしたのだ。何か大きな目的があるに違いない。でなければ祖国を捨て、味方の少ないこの国へ望んで嫁ぐなど……俺には到底考えられないのだ。
(容姿や肩書を考えたらおかしなことではない……と家臣達は言うが、あれは……)
常に近くにいるからこそわかる。彼女からそういった打算も、多くの令嬢が俺に向けていた甘い視線も感じない。レクシアからはいつもどこかピリピリと、笑顔だっていつも作られたものだった。
だからハッキリと伝えたのだ。
『君のことが嫌いだ』
と。
牽制の意味も込めていた。目的は謎だが、どんな誘惑にも乗るつもりはない。
ただ彼女と過ごすうち――ほとんど無理やり一緒にいるからこそわかるようになったのだが――レクシアから向けられている感情が決して悪いものではないということも理解した。
(レクシアは何者だ?)
レクシアはガルディスタ王国の公爵家の生まれ。何不自由なく暮らしていたに違いない。なのにあれほど強力な魔術を難なく張り巡らせ、戦闘経験もないのに即座に発動していいる。
(あの魔術が趣味だと? 到底納得出ないな)
我が国の魔術師団長にだって負けはしないだろう。それほどの底知れない力を感じる。
(いったいどこで学んだんだ? レオノーラ・グラディアの書物からとは言っていたが)
魔王の出現以降、黒魔術どころか一般的な魔術すら一時は嫌厭されていた時代もあった。特にガルディスタ王国はその傾向が強い。百五十年の時を経てようやくそれも見直されてはいるが、我がデュカリア王国にはこの点で一歩遅れを取っている。
(魔術師団長は彼女の魔術は古い体系のものが多いとも言っていたな)
そうすると彼女が言っていることは真実か? レオノーラ・グラディアと言えばあの英雄パーティの一人でもある、レクシー・アスメリアの師であったとされている。
(賢者グラディアは晩年を我が国で過ごしたという記録もある……)
確か王家の宝物庫に彼女の残した手記があった。魔術師長が言うには、彼が解読できないほどの特殊な魔術が施されていると言うことだったが……まさかそれが狙いで俺と結婚を?
(あの本は世界的にみてもかなりの価値がある。魔術師が喉から手が出るほどのものだという話も聞いたことがあるし……)
となるとやはり目的は俺じゃなくて、あの手記か。
もしくは彼女、英雄の血筋が欲しいだけかもしれない。どうやら英雄愛好家のようだし……世間ではそういう令嬢も多いと聞く。彼らの武勇伝は各地に残っており、後世様々な物語として語り継がれている。彼らの勇士を題材にした歌劇も多い。
(それは……ちょっと嫌だな……)
──ん? 俺は一体何が嫌なんだ?
一瞬頭の中をよぎったその言葉の意味を考える前に執務室の扉が開く。
「エイデン様、調査結果が届きました」
従者のキシュケルが思い悩んでいる俺に届けてくれた書類は、王弟妃レクシア・デュカリエについての追加調査の結果。
彼女のことを……妻のことを深く知りたくなったのだ。レクシアがこれまでどんな風に生きていたのか、政治的に意味のない情報が今は欲しい。
「……レクシアは?」
「奥様はまだ温室にてお茶会中でございます」
突如この離宮にやってきた俺の義姉……現王妃の誘いは流石に断れなかったのか、渋々(あれほど『渋々』という表現そのものの顔を俺は初めて見た)温室へ向かっていた。
思い出してもあの表情がおかしくって、思わず小さく笑ってしまう。同時に湧き出す後ろめたい気持ちを押し込めながら、書類の一枚目をめくった。
(……特に目新しい情報はないか)
婚姻前の事前調査の時点で、彼女が魔術が得意という情報は入っていた。
それに加え、どうやらガルディスタ王国内をあちらこちら旅と称して度々移動し、身分問わず全国民の健康状態を細かく確認するよう私財を投じていたようだ。結果幼い子供達の死亡率が圧倒的に下がり、さらに風土病の解明にも繋がり、その結果多くの国民が救われたとある。
「平民からの人気は高かったようですが、貴族達からの評価はまちまちだったようです」
補足するキシュケルの声にほんの少しだけ寂し気な気持ちが紛れ込んでいるのがわかった。彼はいつの間にかレクシアのことを気に入っている。
「あちらの国は貴族らしい振る舞い、というのがかなり重要視されていますから」
さらにレクシアは社交界にも興味を示さず、両親とも折り合いが悪かったそうだ。俺が王族でありながら、一切結婚をする気がなかったのと同様に、ガルディスタ王国では貴族の娘が生涯未婚というのはかなり珍しいということもキシュケルは教えてくれた。
(婚姻式でのあちらの両親の喜びよう……私が王族だからというだけではなさそうだった。あの安心したような表情……)
だがこの程度の理由で、あれほどの魔術師を簡単に国外へ送り出すなどありえるだろうか? それほどレクシアの魔術は群を抜けている。
「ガルディスタ王国の男共によっぽど魅力がないのか、もしくは見る目が皆無なのか……」
ポツリと呟いた後、キシュケルが俺に向ける珍獣を見るような視線で自分の言葉の意味を理解した。思わず慌てて、
「ち、違う! こ、国内屈指の貴重な人材を不用意に他国へ送り出したという自覚がガルディスタ王国にはないのかと言っているんだ……!」
口に出して、俺がレクシアのことをいつの間にか随分と評価していることを改めて自覚する。いや、魔術についてだけだ。この執務室周辺も強力な防御魔術が何重にも張り巡らされているのだから当然だ。
(それだけだ。……それだけだ!)
深い意味はない。だがキシュケルはニヤリと、自分の望みが叶った時に彼がよくする笑顔になっている。
「おそらくガルディスタ王国はレクシア様のお力をご存知ないのでしょう。戦闘用魔術など今の時代騎士団所属でもなければそれほど使用することもありませんし」
キシュケルのニヤリ顔がどんどんニヤニヤ顔になってきた。元々、俺とレクシアとの結婚を後押しした男の一人。当初より打ち解けた俺達の現状が嬉しいのだろう。
「それで。手ぐらいは握られましたか?」
「んなっ! こ、これは政略婚だということは知っているだろう!?」
「そんな当たり前のことを言って誤魔化そうなどと思われませんよう」
それはそうだ。苦しい言い訳をしてしまった。現王も政略婚、前王もそう。だが二人とも今でも夫婦関係は良好だ。
従者は嬉しさのあまり、幼馴染の顔になっていた。付き合いが長い分、俺の内面の小さな変化にすら気付くのだ。こうなるとあれこれ言い訳しても無意味。俺よりも俺の心の奥底にある感情を理解している。
「私に隠れてコソコソと城下へお出かけなさっているでしょう。お二人で。それも何度も」
「……」
上手く誤魔化せていたと勘違いしていたことがわかり、咄嗟に目を窓の外へとそらす。すると今度は庭を王妃と散歩しているレクシアと目が合い、慌ててまた室内へ。
(あんな風に笑うこともあるのか)
どこか懐かしく感じる笑顔を浮かべてこちらを見ている。初めて見たはずなのに。こういう気持ちに最近、度々なるのだ。正直、困惑している。
(そう……懐かしんだ……まだ出会って数ヶ月だというのに)
それもたまに、彼女の横顔が見て涙が込み上げてくるほどの郷愁を感じるのだ。
「お部屋で仲良く……なんてことはないとは思っていましたが、まさかレクシア様を連れて行かれるとは」
「あっちが無理やり着いてきたんだ! 俺が無理やり連れて行ったんじゃない!」
「ええ、そうでしょうとも!」
うんうん、わかってますよ! と答えたキシュケルの動作がちょっと腹立たしい。本当のことを言っているのに。
「これでようやく『誰か』を探す必要がなくなりますね……あっまさか奥様と一緒にお探しに城下へ!?」
「……違う」
物心ついてからずっと、俺は誰かを探していた。それが誰なのかはサッパリわからなかったが、大切な人であるということだけは確かだった。決して思い出せない記憶を頼りにただひたすら『誰か』を探した。
相手が女だと確信したのは、十歳の頃に出た婚約者の話の時。俺の意志とは無関係に強引に進められる婚約話に、嫌悪感と罪悪感に苛まれ一週間寝込んだからだ。
「存在するかもわからない『誰か』のために、今の幸せを投げ出してはなりませんよ」
「……」
納得できず目をそらしながら黙り込んでいる俺に、幼馴染が気合を込めて顔を覗き込んでくる。
「存在するかわからない『誰か』のために、すでに二十年以上費やしたのです。もしその『誰か』がいたとしても、許してくださるでしょう」
「そうだろうか……」
いや、この罪悪感の正体は少し違う。その『誰か』に対する気持ちではなく、さらに他の誰かに対する罪悪感だ。
(誰だ……?)
一瞬、立ち眩みがした。瞼の奥に黒髪の青年が見える。銀髪の女性の後姿を見つめていた。
そうか、彼に対する罪悪感なのか。だが、何故?
「エイデン様?」
「いや……まあいい。またレクシアに関してなにかわかったら報告してくれ」
「承知しました」
窓の外にはもうレクシアはいなかった。
遠くの方から小走りで近づいてくる足音が聞こえる。




