8話 英雄の名②
(ヒィィィィ!!)
直後、彼目掛けて飛んできたのは料理人用のナイフ。何を調理していたのか、つるりと滑ったそれは、入り口にいるエイデンのところまで真っ直ぐ勢いよく移動したのだ。
……ここまでくれば私も彼が扉に触れたタイミングで防御魔術を展開させるくらいのことはできる。見えない壁に弾かれたナイフはカツンと少し高い音を立てた後、扉に突き刺さった。店内が大賑わいなせいか気づいたのは私達とナイフを持っていた本人だけ。
「悪い!! 大丈夫だったかい!!?」
店主らしき男性が大慌てで駆け寄って来た。青ざめた顔でエイデンの顔に傷がないか、あらゆる角度から確認している。
「……ああ、問題ない」
私の防御魔術に気付いたらしいエイデンは一瞬驚いた顔をしていたが、店主に気取れらないよう何食わぬ顔をして答えた。
(問題ない!?)
大アリですが!? という私の顔をエイデンはわざと見ないようしていた。都合が悪いようだ。
「なんでこんな……本当にすまない……今日はうちの奢りだ! 好きなものを食べてってくれ」
さあさあこちらへ、と店主はカウンター席へ私達を誘導した。すぐに目の前にエールが運ばれてくる。間髪入れずにナッツや海鮮フリッターが目の前に並ぶ。
「ニュミーダ鳥の煮込みもあるぞ!」
湯気と共に食欲をそそる皿も。
(美味しそう!!)
いい時代になった。前世は魔王の影響で食堂のメニューもそれほど多くはなく、店の中にいる誰もがどこか不安を抱えてこんなに笑い声が響くことはなかった。
「今日も大繁盛だな」
「ありがたいよ。ここ二、三年は豊作に豊漁。魔王時代の瘴気もついに消え去ったって話だし、しばらくは安心して暮らせそうさ」
この慣れた会話。顔馴染み感。しょっちゅう来てるな!?
「よぉエイダン! 今日はどえらい美女と一緒じゃないか」
酔っ払いが一人絡んできた。私の心臓が大きく跳ね上がったのは、彼が呼んだ名前のせいだ。
(エイダン!?)
『エイデン』ではなく『エイダン』と呼んだぞこの男。そしてなんの訂正もせず、軽く挨拶を交わしている元英雄。
『エイダン』は元英雄の名前だ。よって国内で最も人気のある名前でもある。『エイデン』という名前も『エイダン』から採った名前だ。だから、彼がその偽名を使っていても別に特別おかしなことではない。わかってはいる……わかってはいるのだが……。
(心臓に悪い……)
彼は生まれ変わったのだ。記憶だってもうない。エイダンが望んだ魔王のいない世界で王族として不自由なく暮らしている。
ここでさらに私の心臓が激しく動くことになる台詞が彼から飛び出してきた。
「妻のレクシーだ」
「!!?」
この驚きは私だけではない。店内の顔見知りらしき人々の目が飛び出さんばかりに見開かれていた。
結婚しないって言ってたじゃないか! とか、娘が泣くなぁ! なんて笑い声も周りから聞こえてくる。
「エイダンにレクシーかぁ! まるで英雄ご一行様だぁ!」
店主はニコニコと嬉しそうだ。私の方は動揺して口をパクパクとしながらエイデンの方を向くも、我ながらいい考えだと言わんばかりにニヤリと得意げな口元になっていた。
「あとはネイヴァンとオグマが揃えば完璧だな」
「店出て大声出せば集まるんじゃねぇか?」
店内の客も会話に加わって面白がっている。
百五十年前に世界を救った英雄パーティの名は後世で人気となった。彼らの言う通り、探せばあっという間に見つかりそうだ。
(今世の私もエイデンもその名前に影響受けてるしねぇ)
その名をもじって名付けられた人間も合わせればさらに多くなる。
私が生まれ変わった後も違和感なく自分を受け入れられたのも、『レクシー』の響きに近かったからかもしれない。
「さぁ! 温かいうちにいただきましょう!」
しばらくの間、久しぶりのワイワイ賑やかな昼食を楽しんだ。エイデンは私が文句一つ言わないどころか、嬉々として平民の食事を口に運び、店主との会話で盛り上がっているのを不思議そうに見ていた。言わんとすることはわかる。一応公爵家出身だもんね私……。
(うん! このスープ美味しい! よく煮込まれてるからお肉もホロホロ~!)
それにどことなく懐かしい味だ。まあ、元の国が同じなだけあって二国の食文化はよく似ているのだが。と、思っていたら……。
「ここの店主のひい爺さんのスープ、あの英雄様も食べてたんだぞ」
「んん!?」
驚いて豆を喉に詰まらせそうになる。常連の一人が教えてくれた突然の情報に動揺したが、周囲はこの反応が嬉しかったようだ。
「凄いだろう? 英雄パーティのメンバーも喜んで食べてたって話さ!」
まさにそれは前世の私。
(そりゃ懐かしいわけだわ!)
でも思い出すどのスープより目の前の皿の中身は具沢山。うん。やっぱりいい時代になった。もっと味わって食べよう、と気を取り直してスープに向き合ったのだが、
「けどエイダンは英雄様嫌いだもんなぁ」
新たな情報が火炎魔術のようにぶっ放されてしまった。
「え!? な、なななんで!?」
明らかに取り乱している私に、今度はエイデンが戸惑ったような顔になった。
「嫌いな訳ではない。過剰評価だと思っているだけだ」
「過剰評価ぁ!?」
なんだとー!?
「他にも多くの勇者や騎士や兵、そして名の残らない人々が諦めず戦ったおかげで……何より、彼のパーティメンバーが命懸けで彼を支えたからこそ、エイダン・グランフォードは魔王を倒せたのだ。彼はたまたま運がよかっただけだろう」
「運がよかった? 運が? よかった??」
(はぁぁぁぁぁ!!?)
運がよかったら、王女に死後も続く呪いをかけられるかっての!!
「ど、どどうした……?」
いつの間にギロリと睨みつけていたので、流石の彼もどぎまぎとしている。今世ではこんな態度を向ける人間がこれまでいなかったのだろう。何より、自分に心底惚れているはずの妻がこんな目を自分に向けるとは……と、驚いている。
(まさか本人が自分をそんな評価しているなんて……!)
英雄エイダンをすぐ側で見てきた身(というか魂だが)としては、到底納得いかない意見だ。他の誰がそう言ってもかまわないが、まさか本人がこんな風に思ってるとは。
「間違いなくエイダン・グランフォードは世界を救った英雄です。人々が少しでも理不尽な恐怖から解放されるよう、その身を削って……いえ、全てを魔王との戦いに捧げたのですから。他の誰よりも」
あんたよ! あんたのことよ! と、目力を込めてみるが、残念ながら伝わっていない。不満そうな視線が帰ってきた。
「まあまあ! 先人達のお陰で俺たちゃ生きてんだ。だから今でもこの美味いスープが食える! 先人達の中にはもちろん英雄様も含まれてるぞ!」
「全員に感謝すりゃいいんだよ! 夫婦喧嘩の火種になんてなったらそれこそ英雄様が悲しむぜ?」
「ほら、こっちのミートパイも食べてみな」
夫婦喧嘩をして他人に気を遣わせるのも悪い。これ以上追及するのはやめにして、私はミートパイを頬張る。
(ああ~~~腹立つ~~~!!)
私の荒れた気持ちとは裏腹に、このミートパイもスープに負けず美味しかった。




