10話 これはもう話すしかない①
随分と状態のいい写本の表紙絵を指先でなぞる。日中、約束通りロイメイア王妃がわざわざ届けてくれたのだ。
(気分転換の散歩とは言ってもなぁ)
もちろん最低限のもてなし……とは言ってもまたも突然だったのでお茶を出すくらいしかできなかったが、それでも嬉しそうにまたあれこれとおしゃべりしてくれた。その姿がなんだか彼女の祖先に連なる女性……ネイヴァンを思い出す。彼女は自称、『世界一おしゃべりな神官』だった。
(そういう血筋だったのかしら)
思い出してフッと漏れた私の笑い声が広い私室に吸い込まれた。
すでに離宮の中はどこも静まり返っている時間だが、エイデンがいる執務室はまだ灯りが見える。
(写本ってことはどこかに原書があるってことなわけで)
賢者グラディアの魔導書は貴重だ。だがこれは、ただの手記。魔術については殆どと言っていいほど書かれていない。それでこの写本は綺麗な状態なままなのだろう。
「内容は旅行記みたいね」
魔力を通しても写本に変化はない。当たり前だが。
「こりゃやっぱ原書を探さないとな」
少し探りを入れたところ、王家の所蔵品としてあるようなので、今の私の立場なら原書を手にするくらいそれほど難しくはないだろう。
(まさかここでエイデンと結婚したことが功を奏すとは)
恥ずかしがらず勢いに任せてよかった。
せっかくなので、今夜は私も夜更かしをすることにしよう。私が寝ている間にエイデンが外出するのも怖いしね。
(はは~! 先生、ネイヴァンとあっちこっち旅したんだ……うわっ! バログラに三ヶ月滞在!?)
バログラは現在のデュカリア王国の北東に位置する、百五十年前、魔王が本拠地を構えていた地域だ。英雄との最後の一戦を交えた場所でもある。ちなみに元ガルディスタ王国領……。
魔王討伐後は瘴気が濃すぎて、とても人間が住めるような環境ではなかった。
(だから神官のネイヴァンを連れて行ったのか)
神官には瘴気を浄化する力がある。私が所有している手記には、現地調査をすると最後のページに書かれていたが、一体三ヶ月も何をしていたんだろう。
バログラの大地は百五十年経ってようやく自然浄化された。しかしいまだに忌諱されており、訪れる者はほとんどいない。
(私も行ってみようかな。エイデン連れてかなきゃだけど)
って、その前に原書も手に入れなきゃ。王弟に頼んだ方がスムーズよね……と考えていたところでまさかの本人のご登場。
「……まだ起きていたのか」
「あら。今日はもうお休みですか?」
ちょうどよかった、早速お願いしようかしらね。
「その、君は今日……どうだったんだ?」
「へ?」
先にあちらから漠然としすぎた質問がやってきた。というか、何の話がしたいわけ?
「ほら、今日もロイメイア様がいらしていただろう?」
なんだかモゾモゾと頬を染めながら尋ねてくる。
(エッ!? ま、ままままままさか……!? エイデンの恋した相手って……!)
兄嫁に恋してるの!!?
「楽しそうに散歩しているのを見かけたが」
無理やり平静を装っているのがよくわかる。まともに目を合わせられないのか、罪悪感を抱えているような憂いた瞳が時々見えた。やっぱり本気でロイメイア様を!?
(うわぁ……そうか……ど、どうしよう……応援してあげたいけどちょっとこれは)
難しい。大変難しい。あらゆる意味で難しい……!
「ど、どんな話をしたんだ?」
今までになくグイグイ聞いてくるじゃないか! ついに恋をした自覚をしたのか!?
「エット! アノ、ソノ~……」
驚いたことに、挙動不審になっているのは私も同じだった。
(ど、どうしよう! 思ったより私が動揺してる)
恋の相手が王妃だからだろうか? 何より気になるのは、
(なんで……なんかモヤモヤする)
心の奥底で寂しいという単語が浮かんでは沈み、浮かんではまた沈む。
(最近、なんだかんだ楽しかったからかな……)
毎日毎日死にかけるから意識してなかったけど、二人で城下へ足を運んで食堂でご飯を食べたり、彼を襲いにくる魔獣を倒したり……まるで前世の続きのようだった。
だが彼は【英雄伝説】があまり好きではないようだった。と言うより、前世の自分に対して、ああすればよかった、こうすればよかったと自論を展開し、私がそれに反論するといういつものパターンが出来上がっている。
(まあ、それで彼の結婚観……と言うか、恋愛不審になってる理由も分かったんだけど……)
ガルディスタ王国とは違い、デュカリア王国の王族は真実のは歴史を伝えられていたのだ。
『英雄は婚約者である王女に殺された』
と言うアレだ。すでに世界は隠された歴史である、
『英雄は魔王を倒した際にできた怪我が元で命を落とし、嘆き悲しんだ王女は後を追うように亡くなった』
という内容で平和を——特に、ガルディスタ王家の平和を保っているため、デュカリアの王族の子孫のみが語り継いでいるのだと教えられた。英雄の意志を尊重し、無駄な争いの元になるであろう真実を公にすることはないとのことだ。
『レクシアにも正式にこの件について陛下から話があるだろう。ガルディスタ王国で知った歴史と違い戸惑うと思うが……』
『あ、はい。大丈夫です』
歴史的大事件の当日、その場にいたので。とは言えない。
『この話を聞いたからか……俺はどうも女性がよくわからない。王女も最初から嫌なら嫌だと言っておけばよかったのでは? こんなことがあった百五十年後の今でも王族や貴族は政略結婚が当たり前なのも理解できない……』
自分でも考えが纏まらず、漠然とした感情なのか、エイデンはそんなことを話しながら宙を見つめていた。
(話を聞いたからってわけじゃなく、直接体験したからだろうなぁ)
とも言えない。
「フゥ~~~」
大きく息を吸ってゆっくりと吐き出す。平常心を取り戻すために。エイデンの方は、どうしたんだと聞きたげに頭を傾けていた。
「賢者グラディアの写本を届けてくださったんです。せっかくなのでまたお茶を。今度いらしたらエイデン様も是非ご一緒に」
積極的な応援は難しいけど、このくらいのことならできる。いやしかし、恋心が募ったら可哀想だろうか? いやいや、自制心の塊みたいなエイデンなら大丈夫か?
だがここから、彼との会話が噛み合わなくなる。
「……いや、せっかくだが俺は遠慮しておく。その方が話もはずむだろう」
「まあまあ、そんなことおっしゃらないでください!」
まあ、お茶くらいなら社会的にも問題ないでしょ。
「……そ、そうか? レクシアがそう言うなら明日にでも。場所は庭のバラ園はどうだ? 今日も温室だったんだろう?」
「明日……これから王妃様をお誘いしても失礼にはなりませんか?」
流石に直前はまずいのでは? それともこの国の社交界的にはアリなのだろうか?
「いや、俺と君だけだ」
「ん?」
いやなんで? という反応が顔から滲み出てしまった。相手はすぐに察して、ショックを受けたように一瞬固まった後、しょぼんと力なく項垂れた。
「……今の話は忘れてくれ」
「わー! 待った待った! しましょうしましょう! お茶会!!」
彼のこの反応、前世で一度だけ目の当たりにしたことがある。
(蜂蜜たっぷりの焼き菓子をオグマが間違って食べちゃった時と同じだ……)
英雄は隠れ甘党だった。彼が大事に取っていたそのお菓子が、すでにオグマ——英雄パーティの一員で大柄の大食漢だった——の腹の中と知ってから一週間ずっと落ち込んでいたのだ。
(あれはビックリしたなぁ)
英雄の意外な一面として、後世の歴史書に残っているかと思ったが、今のところこのエピソードを見かけたことはない。
「まさかエイデン様からお誘いいただけるとは夢にも思わず、失礼いたしました」
だって私のこと嫌いって言ってたし。
「相互理解のためだ。君のことをよく知りもせず、失礼なことを言ったと今では反省している」
んん? 今のは謝罪か?
(まあいいや)
最近打ち解けてきたと思ったのは私だけではなかったようだ。
「相互理解……願ってもないことでございます」
丁寧に頭を下げた。これを機会に、賢者グラディアの原書と、あまりあっちこっちで歩かないようそれとなく打診しよう。
◇◇◇
「レクシアは魔術が趣味だと言っていたが、他に好きなものはあるのか?」
「そうですねぇ」
有言実行。バラ園にある東屋にはハチミツをたっぷり使った焼き菓子が並べられ、バラ模様の品のいい茶器も。
(改めて聞かれると困るな)
ティーカップの中で揺れる紅茶を眺めながら思い出そうと思考を巡らすも何も浮かんでこない。今世は前世英雄を探すことに全力投球していたので、それ以外のことはほとんどがおざなりになっていた。
「やはり魔術ですね。それで思い出しました。賢者グラディアの手記の原書があるそうなのですが、それを見せていただきたくて」
エイデンは軽く頷いた。従者に目くばせしたところを見るに、すぐに動いてくれそうだ。よかったよかったと安堵している私だったが、夫の方はこの話を深めることにしたらしい。
「なぜそれほど魔術を極めるんだ? 君はガルディスタでは公爵令嬢、今は王弟妃。魔術がなくとも困ることはないだろう?」
当然の疑問だ。実家でも散々言われてきた。だから本当は型通りの返事をするつもりだったのだが、
「……自分の無力感を打ち消すためです。様々な肩書きがなくなった時、それでも私と共にあるものを作っておきたかった……」
エイデンのまっすぐ澄んだ瞳に抗えず、つい心の内を晒してしまった。
前世では無力故に全てを失った。故郷、家族、そして最後には仲間。
(私がもっと強ければ。エイダンは死ぬことなく、英雄としてその後の世界を楽しめたかもしれないのに)
『たらればを語っても仕方がない』
あの時誰もが私に非はないと言ってくれたが、私には響かなかった。もちろん言いたいことはわかる。私が別の立場でもそう言っただろう。でもあれはやっぱり、私に力があれば防げたことだった。
——黒魔術についてもっと学ぶべきだったのだ。私自身が使いこなせるくらい。
(だけど私はこうして今ここにいる。記憶とあの時以上の力をつけて)
それを可能にした転生の魔術は黒魔術に属する。その黒魔術は大きな痕跡を残すのだ。術後必ず、瘴気を発生させる。しばらくその土地に誰も住めなくなるほどの……。
(先生とネイヴァンには苦労をかけただろうなぁ)
先生が私に残してくれた手記を読むと、賢者と神官の力でおそらく最速でその瘴気を封じ込め浄化してくれていた。英雄パーティの一員が黒魔術に手を出したなんて、国からしたら王女が英雄を呪い殺したということの次にとんでもないスキャンダル。それも全く記録にないのだ。
(オグマは最期まで反対してたしな……)
——レクシーの命をかけてやることじゃない。エイダンは絶対に望まない。瘴気に苦しんでいる人々を守るために魔王を倒したのに、同じことをやるのか。
彼の言うことは全て正しかった。それでも私は実行した。正しいことをしたかったわけではなかったからだ。
「すまない。聞かれたくない話だったか」
私は無理やり表情を元に戻し、首を振って見せる。
「単純に魔術を学ぶのって楽しんですよ。どんどんできることが増えますし。本当に色んな……役に立つのか立たないのかわかんない魔術だってあるんです」
ほら! っと、ロイメイア様に見せたそよ風の魔術を披露すると、バラの花びらがカップの中に舞い込んできた。
「不思議だ。初めて見たはずなのに懐かしい」
穏やかな表情を見ると、こっちだって同じことを言いたくなる。前世英雄にはできる限り長く、この表情のままでいてほしい。
(そのために転生までしたんだから)
そうだ。湿っぽくなっている場合ではない。
私は彼の呪いを解くためにここにいる。
「そういえば食用バラを栽培している話を聞いたな」
確か王都の外れの方で……と、エイデンは顎に指を当てて記憶を辿っている。
「バラジャムとはまた違うので?」
「ああ。なんでも花びらをそのまま食べることができると……ほのかな甘みがあるとか」
「それは食卓が華やかになりそうですね。そのうちこちらでも食べられるようお願いしてみましょう」
そんな穏やかな話をしながら相互理解を深めた……なーんていい話で終わらないのがエイデンと言う男……。




