第九話 書き留められたこと
妹たちが戻った時、シェリルは店の奥にある小応接室で、翌日の試作表を直していた。
卓には四人分の茶器が用意されている。市場視察から帰った妹たちと、買ってきた菓子を分けるつもりだった。
入ってきたのは、妹三人とリシャールだった。
マリルが抱えた籠には、きれいに包まれた焼き菓子が入っている。けれど誰も、その包みを開こうとしなかった。
「お姉様。先に、お話があります」
マリルは手帳を卓へ置いた。
「アレック様についてです」
シェリルは試作表の上へ吸い取り紙を載せた。
「座ってちょうだい。リシャール様も」
「失礼します」
リシャールは扉に一番近い椅子を選んだ。帽子を膝へ置き、潰れた縁を指で直している。
エリールはシェリルの隣へ座り、サミュールは水差しの近くに手帳を広げた。マリルは向かい側で、自分の記録を開く。
「順番に伺います」
シェリルは新しい紙を一枚取り出し、日付を書いた。
「最初から、見たことだけを話してください」
リシャールが、王都倉庫からマンゴー六つが持ち出された経緯を話した。
昨日届いたばかりの品で、新しい取引先へ見本として渡す予定だったこと。持ち出しの書類にはアレックの署名があり、用途は贈答品。相手の名も届け先も書かれていなかった。
「倉庫の者が、今朝こちらまで運んでいます。市場の青果店で箱を替え、籠へ詰め直しました」
「ライエット家へ届ける指示は?」
「ありませんでした」
シェリルは、紙へ一行書き加えた。
エンコード家王都倉庫。マンゴー六つ。アレックの署名。贈答品。届け先空欄。
「六つすべてを、アレック様がお持ちになったのですね」
「はい」
「代わりの品を、取引先へ回すことはできますか」
「入荷数が少なく、同じものは揃いません。父か倉庫長が、先方へ事情を説明することになります」
「そうですか」
シェリルの筆が止まった。
アレックは、南方の新しい果物を持ってきてやると言った。
その言葉を受けて、シェリルは保管場所を空けた。ベルナルドを通じて王都倉庫へ問い合わせ、届く果物の種類と状態を確認しようとした。料理人には、香りの強い果物にも対応できるよう、砂糖の量を決めずに待ってほしいと頼んである。
持ってきたマンゴーは六つ。
一つも、ライエット家へは届かない。
「それから、リシャール様を市場で見つけたの」
マリルが続きを話した。
「リシャール様が青果店の御主人へ尋ねると、籠を持ったアレック様は、若い御婦人と花冠亭へ向かったと言われました」
「花冠亭ですか」
「ええ。わたくしも一緒に行きました」
マリルの記録には、通った道と時刻まで書かれていた。
青果店を出た時刻。花冠亭へ着いた時刻。エンコード家の馬車を見つけた場所。庭園の通用門が見える公園の長椅子。
「こちらが、わたくしが書き留めたものです」
マリルは手帳を半分回し、シェリルの前へ押し出した。
細かな字が、頁の下まで続いている。
花冠亭南側の公園。正午前。
薄桃色のドレス。胸元に赤い花。腕に布をかけた籠。籠の隙間からマンゴー二つを確認。
「ネリア様でした」
マリルが言った。
「リシャール様も、お顔を御覧になっています」
「間違いなく、ネリア嬢でした」
リシャールが答えた。
シェリルは手帳へ目を戻した。
アレックはネリアの腰へ手を添えていた。ネリアは彼の腕へ自分の腕を絡めた。
会話も、覚えている限りそのまま記されている。
今日はずっと一緒にいてくれると思った。
シェリルのところへ行くのか。
今日は行かない。あそこへ行くと、果物の話ばかり聞かされる。
珍しい果物をくれるのか。
お前は喜んでくれるから。
「マンゴーは、ネリア様のお母様と御友人へ差し上げるそうです」
マリルが頁の一行を指した。
「残りも明日届けさせると、アレック様がおっしゃっていました」
「残りは四つね」
「はい」
シェリルは自分の紙へ、二つ、残り四つ、と書いた。
筆先にインクが溜まり、四の字の最後が太くなった。
「まだ、続きがあります」
「伺います」
マリルが一度、リシャールを見た。
リシャールは椅子へ座り直した。
「ネリア嬢が、兄とシェリル嬢が結婚したあと、今までどおり会えるのかと尋ねました」
「アレック様は?」
「何も変わらない、と」
リシャールの手が帽子から離れた。
「シェリル嬢には家と店のことを任せる。自分が誰と会うかまで、口を出させるつもりはないと話していました」
シェリルは、その言葉も書いた。
家と店のことを任せる。
任せる。その短い言葉の中に、果物の仕入れも、店の改装も、厨房との打ち合わせも、売れ残った品の始末も入っているらしい。
アレックは、店へ来ても試作表を見ない。果樹園の者の名前も覚えない。ネリアが欲しがれば、明日使うメロンを持ち帰ろうとする。
その人が、家と店をシェリルへ任せると言った。
「両家が決めた婚約で、自分が決めたものではないとも言いました」
マリルの声が少し早くなった。
「それから、ネリア様には、自分が会いたくて会っていると」
エリールが、シェリルの袖を掴んだ。
「もうよいでしょう。お姉様、ここから先は――」
「最後まで聞きます」
掴まれた袖を押さえ、エリールの手を包んだ。
「マリル、続けて」
「アレック様は、ネリア様がお好きだとおっしゃいました」
「ええ」
「そのあと、口づけを」
マリルの指が手帳の端へ移った。
「一度目は短く。二度目は、ネリア様がアレック様の首へ腕を回していました」
「二人とも、その場で見たのですね」
「見ました」
「はい」
マリルとリシャールが続けて答えた。
サミュールが、自分の手帳へ二人の名を書いた。
「証言者は、マリル姉様とリシャール様。場所は花冠亭南側公園。時刻は正午前。お二人の位置は、池の東側の長椅子です」
「そうよ」
「会話を聞き取れる距離でしたか」
「ええ。池へ向かう小道を、こちらへ歩いてきましたから」
「服装と持ち物も、両方の記録に残しましょう。リシャール様、アレック様は何をお召しでしたか」
サミュールの問いに、リシャールが上着や帽子の色を答えた。
エリールは途中で立ち上がり、冷めた茶を新しいものへ替えるよう侍女へ頼んだ。戻ってくると、今度はシェリルの向かいへ座る。
「お姉様」
「なあに」
「アレック様を、まだ庇いますの?」
シェリルはマリルの手帳を最初から読み直した。
「幼馴染だから、親しく見えることもあると思っていました」
「お姉様が、そう思おうとなさっていたのでしょう?」
エリールの言葉に、シェリルは頁をめくる手を止めた。
「ネリア様を試食へ連れてきても、御友人だから。メロンを欲しがっても、御家族に食べさせたいから。アレック様がネリア様ばかり御覧になっていても、昔からの付き合いだから。お姉様は毎回、理由を探していらしたわ」
「婚約を続けるなら、必要なことだったのよ」
「どうして、お姉様だけが続ける努力をしなくてはいけませんの?」
侍女が新しい茶を運んできた。
卓へ置かれたカップから、湯気が上がる。シェリルは礼を言い、皆へ勧めた。自分のカップにも一度手を伸ばし、代わりにマリルの手帳を引き寄せた。
ベルナルドのことは、もう諦めたつもりだった。
アレックとの婚約が決まってから、そうするしかないと自分へ言い聞かせてきた。
ベルナルドと果物の話をする時間は楽しかった。どの実を残し、いつ収穫し、どうすれば一番おいしい時に客の前へ出せるのか。彼の話なら、何時間でも聞いていられた。
それでも、ベルナルドと過ごす時間へ別の望みを持ち込んだことはない。
ライエット家の娘として、決められた婚約を守る。
アレックと家を作る。
店の仕事を整え、エンコード家との取引を育てる。
そのために、諦めた。
自分が選んだことなら、納得もできた。
ところがアレックは、両家が決めた婚約だと言い、自分の望みはネリアへ向けていた。シェリルが手放したものの上へ立ち、家と店の仕事だけを渡すつもりでいる。
紙の上には、今日の出来事が順番に並んでいた。
マンゴー六つ。
届け先空欄。
ネリアへ二つ。残り四つも届ける。
家と店はシェリルへ任せる。
誰と会うか、口を出させない。
ネリアが好きだ。
口づけ、二度。
シェリルは最後の行まで読み、手帳を閉じた。
「リシャール様」
「はい」
「この内容を、御両親の前でも証言していただけますか」
「もちろんです」
「御家の取引に関わるマンゴーの件も?」
「父には、私から報告します。持ち出しの書類も倉庫に残っています」
「分かりました」
シェリルは試作表を脇へ重ね、机の引き出しから一通の書類を取り出した。
アレックとの婚約が決まった時、両家で交わした覚書だった。紙の角が傷まないよう薄布で包み、長く同じ場所へしまってあった。
「お姉様?」
「お父様とお母様をお呼びして」
エリールが立ち上がる。
「今すぐでよろしいの?」
「ええ」
シェリルは薄布を解き、覚書を卓の中央へ置いた。
「婚約解消のお話をします」




