第八話 幼馴染の距離
「リシャール様は、そこで何をしていらっしゃるの?」
マリルが重ねて尋ねると、リシャールは木箱の下へ入った鉛筆を拾った。帽子を直し、周囲を一度見回す。
「兄を捜しています」
「アレック様を?」
「今朝、王都倉庫からマンゴーが六つ持ち出されました。昨日入ったばかりの品です」
南方から届くマンゴーは、王都でもまだ珍しい。
長い船旅に耐えられるよう固い実を選び、港へ着いてから熟れるのを待つ。今回の六つは、新しい取引先へ見本として持っていく予定だったという。
「持ち出したのは、アレック様なのね」
「兄の署名が残っています。用途の欄には、贈答品とだけ書かれていました」
「贈り先は?」
「空欄です。倉庫の者に聞くと、こちらの青果店まで運んだそうです。店で木箱を替え、籠へ詰め直しています」
リシャールは、ライエット家の印が入った空箱を起こした。
「兄は先日、ライエット家からメロンを持ち帰ろうとしたのでしょう?」
「ネリア様へ差し上げるつもりでしたわ」
「その場で、南方の果物を持ってくると約束したとも聞きました」
「もう御存じでしたのね」
「選果室にいたロンダール家の使用人から、うちの倉庫へ問い合わせが来ました。南方の果物を保管する場所について、先に確認しておきたいと」
マリルは額へ手を当てた。
「お姉様だわ」
「ええ。届いた時に困らないよう、準備を始めていたそうです」
「アレック様は、こちらへ届けるよう手配なさったの?」
「倉庫には、ライエット家の名も行き先も残っていません」
青果店の主人が店先へ出てきた。
「リシャール様、先ほどの件ですが」
主人はマリルを気にしながら、声を低くした。
「籠を受け取った御方なら、花冠亭へ向かいましたよ。若い御婦人と待ち合わせていたようで」
「兄は一人でしたか」
「ええ。赤い花を一本買っていきました。あそこの庭へ持っていくのでしょう」
花冠亭。
王都の西側にある庭園付きの茶店で、花を眺めながら菓子や軽食を楽しめる。庭の奥には生垣で囲まれた小さな四阿があり、予約客だけが使った。
婚約中の男女や、結婚を控えた恋人たちに人気の場所だった。
「行きましょう」
マリルが言うと、リシャールの眉が上がった。
「マリル嬢も?」
「アレック様がどなたと会っているか、見届けます」
「兄弟の問題です。私一人で――」
「わたくしの姉の婚約者ですわ」
マリルは手帳を開き、時刻を書いた。
「マンゴーの件だけなら、エンコード家の中でお調べください。ネリア様と会っているなら、ライエット家にも関係があります」
「まだ、ネリア嬢と決まったわけでは」
「赤い花とマンゴーを持って、ほかの御令嬢に会いに行ったのなら、それはそれで大変ですわね」
リシャールは帽子を脱ぎ、髪を押さえた。
「おっしゃるとおりです」
二人は市場を抜け、花冠亭へ向かった。
大通りから一本入ると、荷車の音が遠くなる。低い塀の向こうには木立が続き、門柱に絡んだ蔓薔薇が赤い花をつけていた。
門のそばには、二人連れの客を待つ貸馬車が並んでいる。
その一台に、エンコード家の印があった。
「兄の馬車です」
リシャールは御者へ近づきかけ、足を止めた。
「今声をかければ、兄へ伝わります」
「庭の外で待ちましょう。出てくるところを確かめます」
花冠亭の庭は、低い鉄柵を隔てて小さな公園へ続いていた。店を出た客が池の周りを歩けるよう、柵の一部に通用門がある。
二人は公園へ回り、池の見える長椅子に腰を下ろした。
リシャールは膝の上で帽子を潰しそうになっている。マリルが横から手を伸ばし、帽子の端を軽く叩いた。
「形が崩れますわよ」
「すみません」
「わたくしに謝っても、帽子は直りませんわ」
リシャールは指を緩め、帽子を膝の隣へ置いた。
「マリル嬢は、兄とネリア嬢が親しいことを、以前から?」
「幼馴染だと聞いています。アレック様は、婚約前からの付き合いを続けているだけだと」
「私も、そう聞かされていました」
「信じていらしたの?」
「兄がネリア嬢を屋敷へ招く時には、私や両親も同席していました。二人きりで会っていると知ったのは、今日が初めてです」
「今日のところは、まだマンゴーを渡しに来ただけかもしれませんわ」
「ええ」
リシャールは公園の入口へ顔を向けた。
「そうであればよいと思っています」
しばらくして、花冠亭の通用門が開いた。
最初に出てきたのはネリアだった。
薄桃色のドレスに、赤い花を胸元へ挿している。腕には布をかけた籠があり、持ち手の隙間からマンゴーが二つ見えた。
続いてアレックが現れた。
彼はネリアの腰へ手を添え、細い通用門を通した。ネリアは振り返り、そのままアレックの胸へ寄りかかる。
「今日は、ずっと一緒にいてくださると思ったのに」
「夕方には屋敷へ戻らないと、リシャールがうるさいんだ」
「シェリル様のところへ行くの?」
「今日は行かないよ。あそこへ行くと、果物の話ばかり聞かされる」
「わたくしには、こんなに珍しい果物をくださるのに?」
「お前は喜んでくれるからな」
ネリアが籠を持ち上げた。
「お母様とお友達に差し上げてもよい?」
「ああ。残りも明日届けさせる」
「うれしいわ」
二人は池へ向かう小道へ入った。
長椅子まではまだ距離がある。池の周りには低木が植えられ、こちらの姿は枝葉に隠れていた。
ネリアはアレックの腕へ自分の腕を絡めた。
「でも、あなたがシェリル様と結婚したら、こんなふうには会えなくなるのでしょう?」
「何も変わらないさ」
「本当に?」
「シェリルには家と店のことを任せる。俺が誰と会うかまで、いちいち口を出させるつもりはないよ」
「奥様になる方なのに?」
「両家が決めた婚約だ。俺が決めたわけじゃない」
アレックは足を止め、ネリアの顎へ手を添えた。
「お前とは、俺が会いたくて会っている」
ネリアの腕から籠が下がった。
「もう一度言って」
「お前が好きだよ、ネリア」
アレックが顔を寄せた。
二人の唇が重なる。
すぐに離れたあと、ネリアはアレックの首へ腕を回した。二度目は長かった。
マリルは手帳を開いた。
花冠亭。南側の公園。正午前。
そこまで書いて、鉛筆の先が折れた。
リシャールが、自分の鉛筆を差し出す。
「使ってください」
「見ましたわね」
「はい」
「ネリア様のお顔も、アレック様のお顔も、間違いありませんわね」
「兄です。間違えようがありません」
マリルは借りた鉛筆で、二人の会話を書き留めた。
「兄を、今ここで呼び止めますか」
「呼び止めれば、ネリア様を馬車へ乗せて帰すでしょう。そのあとで、抱きつかれただけだ、口が触れただけだと話を変えますわ」
リシャールの指が、長椅子の縁を掴んだ。
「これまでも、そうやって?」
「お姉様の試食へネリア様を連れてきた時も、メロンを持ち帰ろうとした時も、アレック様の中では大したことではありませんでしたもの」
マリルは手帳を閉じた。
「今度は、わたくしも見ました。リシャール様も見ています」
「私が証言します」
「御自分の御家に不利になりますわよ」
「兄がしたことです」
リシャールは帽子を取り上げ、潰れた縁を両手で直した。
「シェリル嬢との婚約を続けるために、今見たことを隠すほうが、エンコード家の恥になります」
池の向こうで、ネリアの笑い声がした。
アレックは彼女の腰へ腕を回したまま、馬車の並ぶ門へ向かっている。
「戻りましょう」
マリルは立ち上がった。
「妹たちが一軒目の菓子店で待っています。リシャール様も、ライエット家までいらしてくださる?」
「もちろんです」
「お姉様の前で、今のお話をしてください」
「はい」
二人が菓子店へ着くと、エリールとサミュールは窓際の席にいた。卓の上には、切り分けた焼き菓子と、細かな字で埋まった二冊の手帳が置かれている。
「マリルお姉様、遅いですわ。こちらのお菓子、層の間に――」
エリールは、後ろにいるリシャールを見て口を閉じた。
サミュールが時計を確かめる。
「何かありましたか」
「視察はここで終わりにします」
マリルは御者を呼び、馬車をライエット家へ戻すよう告げた。
「リシャール様も御一緒です。お姉様へ、二人から話があります」
卓上の焼き菓子は包んでもらった。
三人分の手帳と一緒に籠へ収める時、マリルは花冠亭で書いた頁だけ、リシャールへ見えるよう開いておいた。




