第七話 市場視察ですわ
「お姉様は、我慢しすぎですわ」
王都へ向かう馬車の中で、エリールは三度目になる言葉を繰り返した。
「メロンを勝手に持っていかれそうになって、育てた方の前で『たかが果物』とまで言われたのよ。もっと怒ってもよかったでしょう?」
「シェリル姉様は怒っていたわ」
向かいに座るマリルは、膝の上で王都の地図を開いていた。赤い丸が三つ、青い丸が二つ。評判の菓子店と、果物を扱う市場に印をつけてある。
「怒っていても、説明してしまうのよ。あのメロンを育てるのに、どれだけ手間がかかるか。明日の試作にどうして必要か。アレック様にも分かるように、一から十まで」
「分かっていただくには、説明が必要です」
サミュールは小さな手帳へ、出発した時刻を書き込んだ。
「理解なさる気があれば、ですが」
「そうなのよ!」
エリールが勢いよく身を乗り出し、馬車が石を踏んだ。三人の体がまとめて揺れる。
「アレック様は、最初から聞く気がありませんでしたわ。お姉様が話している間も、ずっとネリア様のご機嫌ばかり見ていましたもの」
「南方の果物を持ってくる、という話も怪しいわね」
マリルが地図から顔を上げた。
「いつ届くのか。何が届くのか。いくつ回すのか。何も決まっていないのでしょう?」
「お姉様は、届けば保管方法を調べるとおっしゃっていました」
「ほら、またお姉様が働くことになっていますわ!」
エリールは座席の隅に置かれた籠を引き寄せた。中には筆記具と手帳、紙袋、水筒が入っている。
「アレック様が口先だけで約束して、お姉様が準備をして、届かなかったらお姉様が予定を組み直す。いつも同じですわ」
「だから今日は、わたくしたちだけで見て回るのよ」
マリルは赤い丸を順番に指した。
一軒目は、薄い焼き菓子を何枚も重ねた菓子で評判の店。二軒目は、卵と乳をたっぷり使った冷たい菓子を売っている。三軒目は、花や鳥をかたどった砂糖菓子で知られていた。
どの店も王都で名が通っている。その一方で、果物の扱いは少なかった。砂糖煮にした林檎や、干した葡萄を焼き菓子へ混ぜる程度で、生の果肉を主役にした品はほとんどない。
「一軒目では、焼き菓子の値段と大きさを見ます」
サミュールが手帳を確かめる。
「注文してから出てくるまでの時間も測ります。持ち帰り用は、包み方と重さを記録します」
「二軒目では、冷たい菓子がどのくらいの間、形を保つかね。店で食べる分と持ち帰る分、両方買いましょう」
「三軒目は飾り方ですわ。わたくし、砂糖でできた花をよく見てきます!」
「食べる前に見てね」
「分かっていますわ」
エリールは籠の中を探り、自分の財布を取り出した。
「ちゃんと代金も持ってきましたもの」
「視察ですから」
サミュールが言う。
「そう、視察ですわ!」
菓子を食べに出る口実としては、立派すぎる名目だった。
ただし、三人とも本気だった。
メロンの菓子を店へ出す前に、王都で何が喜ばれているかを知っておきたい。評判の店が果物をあまり使っていないなら、理由も確かめたい。値段が高くなるのか。仕入れが安定しないのか。食べ頃を見分けられる者がいないのか。
理由によっては、ライエット家から提案できることがある。
選果した果物と、食べ頃を書いた札を一緒に届ける。焼き菓子に向く固さのものを分ける。傷のある実を加工用として安く回す。店ごとに必要な量が分かれば、ロンダール家をはじめとする果樹園にも、次の季節の相談ができる。
「お姉様には、もう少しあとで報告しましょう」
マリルは地図を畳んだ。
「今お話ししたら、訪問状を書いて、店の主人へ先触れを出して、馬車の手配まで全部なさるわ」
「それでは、お姉様を休ませる計画になりません」
「今日は三人で調べますの。おいしいものがあったら、お姉様の分も買って帰りますわ」
エリールが言ったところで、馬車の速度が落ちた。
大通りへ荷車が二台続けて入り、前を塞いでいる。御者が手綱を引き、馬車を市場脇の細い道へ寄せた。
窓の外には、朝の市場を終えた店が並んでいた。空になった木箱を重ねる者、傷んだ葉を箒で集める者、売れ残った野菜を荷台へ戻す者。果物を扱う一角には甘い匂いが残り、石畳の上を小さな虫が飛んでいる。
「あら?」
エリールが窓へ額を寄せた。
「あそこにいるの、リシャール様ではありませんこと?」
マリルも窓の外を見た。
灰色の上着を着た青年が、閉まりかけた青果店の軒下に立っている。帽子を深くかぶっていたが、横顔には見覚えがあった。
アレックの弟、リシャール・エンコードだった。
兄より三つ年下で、普段はエンコード家の王都倉庫を手伝っている。ライエット家へ荷の確認に来ることもあり、妹たちとも何度か顔を合わせていた。
「何をなさっているのかしら」
リシャールは店の主人と短く話し、周囲を見回した。主人から細長い紙を受け取ると、すぐ上着の内側へしまう。
そのまま立ち去るかと思えば、二軒先まで歩いて戻ってきた。積まれた木箱の陰をのぞき、今度は向かいの路地へ入る。ところが荷車が路地から出てくると、慌てて市場側へ引き返した。
「迷子でしょうか」
「王都倉庫へ通っている方が、この市場で迷う?」
マリルは御者台との小窓を開けた。
「少し停めてちょうだい」
「ここでは後ろの荷車が通れません。お嬢様方をお降ろししたら、一度大通りへ回ります」
「それでいいわ。二人は乗っていて」
「マリルお姉様だけ?」
「三人で追いかけたら、向こうが逃げるでしょう」
「もう追いかける前提ですの?」
エリールの問いを残し、マリルは籠から自分の手帳と財布を取った。
「一軒目のお店の前で待っていて。わたくしもすぐ行くわ」
「何かありましたら、大きな声で呼んでください」
「市場の真ん中よ。人はいくらでもいるわ」
馬車が道の端へ寄る。
扉が開くと、果物の匂いに、荷馬車の土埃と青菜の匂いが混じって入ってきた。マリルは裾を持ち上げて踏み台を降りた。
リシャールはまた青果店の前へ戻っていた。
今度は軒下に積まれた空箱を一つずつ確かめている。箱の横に焼き印を見つけるたび、手帳へ何か書きつけていた。
そのうちの一箱には、見慣れたライエット家の印が入っている。
「リシャール様」
呼びかけると、彼の手から鉛筆が落ちた。
石畳を転がった鉛筆が、木箱の下へ入る。
「マ、マリル嬢。どうしてこちらへ」
「市場視察ですわ」
マリルはライエット家の印が入った箱を指した。
「リシャール様は、そこで何をしていらっしゃるの?」




