第十九話 果物をたくさん
ドリアン騒ぎから五日後、リシャールは王都の菓子店でマリルと向かい合っていた。
あの日は二人でネリアとアレックのあとを追い、そのままライエット家へ戻った。落ち着いて話す余裕もなかった。今日はマリルの侍女が少し離れた席に控え、卓には紅茶と焼き菓子が並んでいる。
この店は、焼き菓子がおいしいことで知られていた。
マリルが選んだのは、杏のジャムを挟んだ小さな焼き菓子。リシャールの前には、薄切りの梨を三枚載せたタルトがある。
挨拶を終えると、マリルはさっそく身を乗り出した。
「で、そのお味は如何でした?」
「何の味でしょう」
「もちろん、ドリアンです。姉から聞きました。お屋敷中が大変な匂いになったとか」
「もう御存じでしたか」
「箱を開けたネリア様が、お兄様へ怒鳴って逃げ出したことも」
「ずいぶん詳しく伝わっていますね……」
リシャールは梨のタルトへフォークを入れた。さくりと軽い音がして、焼けた生地が割れる。
「匂いは、噂以上でした。箱を庭へ出したあとも、応接室の窓を半日開けていたそうです。母は夕食まで扇を手放しませんでした」
「そこまで」
「料理人が実を割ると、もう一度騒ぎになりました。庭へ出ていた犬まで逃げました」
マリルは杏の焼き菓子を持ったまま笑った。
「それで、肝心のお味は?」
「おいしかったですよ」
「本当に?」
「ええ。とても濃厚で、舌触りはよく練った乳酪菓子に近いですね。甘みのあとに木の実のような風味が残ります。ただ、一度にたくさん食べるものではありません」
「お菓子には使えそうですか?」
「クリームへ少量混ぜるくらいなら。焼くと匂いがどう変わるかも試したいところです」
「この店へ持ち込んだら、店主に追い出されそうですわね」
「まず、ほかのお客様が逃げます」
二人で店内を見回した。
昼を少し過ぎた店には、買い物帰りらしい婦人たちが四組いる。卓へドリアンが置かれた時の様子を想像したらしく、マリルが口元を押さえた。
「やはり、普通の果物からにしましょう」
「そのほうがよいでしょうね」
リシャールは梨のタルトをもう一口食べた。
生地にはよく火が通り、アーモンドの香りもよい。ただ、梨は薄く、三口ほどでなくなってしまう。
「ここのタルトは、生地がおいしいですね」
「ええ。私は焼き菓子なら、この店が王都で一番だと思っています」
マリルもタルトを一口もらい、生地の端を噛んだ。
「これだけ台がおいしいなら、果物をもっとたくさん載せたらどうかしら」
「梨をですか?」
「梨でも、杏でも。季節ごとに変えられるでしょう。春には苺、夏には桃やメロン、秋には葡萄を色違いで並べてもきれいです」
「生の果物を載せるなら、焼き上がってからですね。間にクリームを敷けば、果汁も染みにくいでしょう」
「焼いた果物も少し残したいわ。生と焼いたものを一緒に載せたら、味が変わって面白そうです」
「杏なら合いそうですね。半分は焼き込み、半分は蜜煮にして上へ載せる」
「そこへ、薄く艶をつけて」
「木苺のソースを少し添えてもよいでしょう」
マリルは卓上のタルトを見つめた。
「急に寂しく見えてきましたわ。梨が三枚しかありません」
「先ほどまでは、上品なタルトだったのですが」
「もっと載せられると分かってしまいましたもの」
最後の梨を半分に切り、マリルは片方をリシャールの皿へ置いた。
「ネリア様も、こうして食べる前に話せばよかったのに」
「兄も、何を取り寄せたか確かめてから贈るべきでした」
「お兄様は、その後どうなさいました?」
リシャールは紅茶へ手を伸ばした。
「翌日は部屋から出てきませんでした。フレドに言われたことが、よほど堪えたようです」
「鉄道会社へ行けばよい、というお話ですね」
「それまで伝わっているのですか」
「姉のところへ話が入りますと、細かな部分まで届くんです」
「恐ろしいですね」
「便利でもありますよ」
マリルは平然と紅茶を飲んだ。
「兄は昨日、父の知人が勤める鉄道会社へ話を聞きに行きました」
「まあ。もう?」
「本人は見学だと言っています。ところが、貨物の積み替え場を二時間も見ていたそうです。帰宅してからも、南方から王都までの輸送日数を計算していました」
「楽しんでいらっしゃるではありませんか」
「夕食の席では、果物専用の貨車が必要だと力説していました」
「ドリアンも運ぶのでしょうか」
「専用車を一台用意するべきでしょうね。ほかの荷物と一緒には積めません」
マリルがまた笑った。
「では、お兄様は案外、その鉄道会社でうまくいくかもしれませんね」
「父も同じことを申していました。指示を聞けるかどうかが、最初の難関ですが」
「そこは先輩方にお願いしましょう。御家族より厳しく叱ってくださるかもしれません」
「兄には必要でしょうね」
「ネリア様からは?」
「まだ何も。兄も手紙を書いてはいないようです。ドリアンだけは、料理人とフレドが菓子への使い方を試しています」
「結果が出たら、教えてくださる?」
「もちろんです」
リシャールが答えると、マリルは杏の焼き菓子を皿へ戻した。
「今日、あなたにお会いしてよかったわ」
「兄の騒ぎをお聞きになりたかったのですか?」
「それもありますけれど」
マリルは残ったタルトの生地を、フォークの先で二つに分けた。
「追跡していた時は、ゆっくりお話しできませんでしたでしょう。今日はドリアンの話を聞いていたはずが、鉄道の貨車と果物のタルトまで出てきました」
「ずいぶん話が飛びましたね」
「ええ。けれど、どれも面白かったわ。あなたと果物やお菓子の話をすると、食べてみたいものが増えます」
リシャールの手が、紅茶のそばで止まった。
「それで、あの……これからも、時々会ってくださいませんか?」
「私と、ですか?」
「今、ほかにどなたがいらっしゃるの?」
「いえ。そういう意味では」
リシャールは角砂糖を一つ取り、紅茶へ落とした。すでにカップの底には、溶けかけた砂糖が一つ沈んでいる。
「うちの両親も、そちらのお家との御縁は切らしたくないようですし」
角砂糖を挟んだまま、銀のトングが止まった。
「それは、御家同士の話でしょうか」
「御家同士の話は、両親に任せます」
マリルは杏の焼き菓子を半分に割った。
「私は、あなたとまたお話ししたいのです」
リシャールはトングから角砂糖を戻そうとして、砂糖壺の縁に当てた。小さな欠片が卓へ落ちる。
「はい。ぜひ」
「よかった。では次は、この店へ果物をたくさん載せたタルトを頼んでみましょう」
「店主へ相談しておきます」
「ドリアンは抜きで」
「それは必ず伝えます」
マリルは半分にした焼き菓子を、リシャールの皿へ載せた。
「今日はお砂糖が多いようですから、お菓子は半分にしておきますね」
リシャールは赤くなったまま、二つ目の角砂糖が沈んだ紅茶を飲んだ。




