第十八話 反面教師
ドリアンの木箱は、庭の隅へ運ばれていった。
アレックは玄関前に立ったまま、ネリアが消えた門を見ていた。
「兄上、扉を閉めてもよろしいですか」
フレドが後ろから尋ねる。
「お前が余計なことを言うからだ」
「何の話です?」
「俺が跡取りを外されたことだ! お前があの場で言わなければ、ネリアは話を聞いた」
「先に逃げ出したのは、果物の匂いが気に入らなかったからでしょう」
「黙れ!」
アレックが扉を大きく引いた。フレドは壁際へ寄り、兄を先に通した。
廊下には、まだドリアンの匂いが残っている。窓を開けるため、侍女たちが屋敷の中を走り回っていた。
「フレド。お前も入りなさい」
応接室から父が呼んだ。
フレドは抱えていた本を侍女へ預け、中へ入った。すべての窓が開け放たれ、母は庭に近い窓辺で扇を使っている。
リシャールは卓に残された手紙と送り状をまとめていた。
「父上、あの果物は台所へ運んだほうがよいと思います。料理人なら、食べられる状態か判断できます」
「お前、食べるつもりなのか」
アレックが振り返った。
「南方では王侯も好むそうです。僕は興味があります」
「腐った玉ねぎの匂いだぞ」
「珍しいものを取り寄せたのは兄上でしょう?」
「俺は、あれを頼んだ覚えはない!」
「王都で扱っていない果物なら何でもよい、と頼んだのでしょう。希望どおりの品が届きましたね」
フレドは卓の端に置かれた送り状を覗き込んだ。
「運賃もずいぶんかかっています。捨てると、父上が怒ると思いますよ」
「それは、お前が心配することではない」
「そうですね。今後はリシャール兄上が心配することでしょう」
アレックの手が卓を打った。
「お前もリシャールの味方なのか!」
「僕は馬鹿が嫌いなんです」
開いていた窓から風が入り、送り状の端が持ち上がった。リシャールが文鎮を置く。
「フレド。その言い方はよせ」
「兄上は、すぐこれです」
「何がだ」
「自分の立場が悪くなると、誰が誰の味方かという話にするでしょう。商売の話も、倉庫の話も消えてしまう。最後には、皆で兄上を陥れたことになるんです」
「俺はそんなことを言っていない」
「さっき、僕がネリア嬢を追い払ったと言いました」
「お前が口を挟んだのは事実だ」
「僕が黙っていれば、ネリア嬢はドリアンを気に入ったのですか?」
アレックが口を閉じた。
フレドは文鎮の下からはみ出した送り状を指で押し込んだ。
「僕らは兄上を反面教師にしてきました」
「僕ら?」
「リシャール兄上も、僕もです。注意されたことは一度で聞く。分からないことは、分かる人へ尋ねる。自分で確かめてから返事をする。兄上を見ていると、そのほうが得だと分かりました」
「リシャールは臆病なだけだ。何を決めるにも時間がかかる」
「リシャール兄上の『調べておく』には、あとから返事が来ます」
フレドはアレックへ向き直った。
「兄上の『任せておけ』は、あとから誰かが謝りに行きます」
「フレド」
今度は父が名を呼んだ。
「言葉を選びなさい」
「はい。では、実例を挙げます」
「そういう意味ではない」
母の扇が一度止まり、すぐ動き出した。
フレドは指を一本立てた。
「一昨年の休暇に、僕は三日間だけ倉庫を手伝いました。アレック兄上からは、北側の棚を見ておけと言われました。何を見るのか尋ねても、見れば分かるとしか教えてもらえませんでした」
「そんな昔のことを持ち出すのか」
「半日たっても分からなかったので、リシャール兄上に聞きました。木箱の数と札の日付を照らし合わせる仕事だと、そこで初めて知りました」
「倉庫へ入るなら、そのくらい察しろ」
「僕は十四歳でした。商会で働いた経験もありません」
フレドは二本目の指を立てた。
「去年、輸送費を比較するため、三つの会社から料金表を取り寄せましたね。兄上は一番安い会社に決めようとしました。リシャール兄上は、荷車一台に積める量を先に調べました。結局、二番目の会社が安くなりました」
「あれは向こうの書き方が悪かったんだ」
「三社とも同じ書き方でしたよ」
「お前に商売の何が分かる!」
「僕には分からないことがたくさんあります。ですから、教えてくれる人を選びます」
リシャールが椅子を引いた。
「もうよせ、フレド。兄上も今日の話をすぐには受け入れられない。続きは日を改めよう」
「ほら」
フレドがリシャールを指した。
「こういうところです」
「何がだ」
「リシャール兄上は、僕が言いすぎれば止めます。自分の味方だからと喜んだりしません」
「俺だって、お前が間違っていれば注意する」
「兄上の注意は、失敗した人間を探すところから始まります。リシャール兄上は、仕事のどこで間違えたかを探します」
「では、お前はリシャールに仕えるつもりなのか」
「家に必要なら手伝います。僕が当主を補佐するなら、リシャール兄上のほうが信頼できます」
フレドは三本目の指を立てた。
「頼んだ仕事の内容を覚えている。こちらの報告を最後まで聞く。自分で判断を変えた時は、そう言う。僕が失敗しても、告げ口をしたせいだとは言わないでしょう」
「俺は、告げ口のせいになどしていない!」
「倉庫の果物を持ち出した話では、リシャール兄上が父上を騒がせたと言いましたよね」
「リシャールが父上へ話したからだ」
「先ほどは、僕のせいでネリア嬢が帰ったと言いました」
アレックは父へ顔を向けた。
「父上は、こいつの無礼を許すのですか」
「今日のお前には、聞いておいたほうがよい話だ」
「父上まで!」
「跡取りを決めるのは、家族の席順を決めることではない。下で働く者が仕事を預けられる相手を選ぶことだ。フレドの言い方には問題がある。だが、比較の中身は聞く価値がある」
アレックは卓から離れ、開いた窓の前へ行った。
「リシャールがそれほど立派なら、最初からあいつを跡取りにすればよかったでしょう」
「僕もそう思います」
「フレド!」
リシャールが声を上げた。
「兄上は、どうして兄上まで驚くんです?」
「少しは黙っていろ」
「はい。では、最後に一つだけ」
「まだあるのか」
アレックが窓辺から振り返る。
「兄上は、もともと輸送の話が好きでしょう」
「今度は何の話だ」
「新しい鉄道が開通すると、駅の位置も運賃もすぐ覚えるじゃないですか。橋の長さや機関車の積載量まで調べています。商会の仕事より、ずっと熱心です」
「商売に輸送は欠かせない」
「はい。だから鉄道会社へ行けばいいんです」
アレックの眉が寄った。
「俺に家を出て、雇われろと言うのか」
「今の兄上は跡取りではありません。好きな仕事を選べますよ」
「簡単に言うな。鉄道会社で、俺に何をしろというんだ」
「最初は先輩に教わるんでしょうね」
「俺が下働きから始めるのか?」
「何も知らない会社へ入るんですから、当然では?」
フレドは侍女から本を受け取った。一番上の一冊は、各地の鉄道路線と貨物運賃をまとめた年鑑だった。
「兄上は果物が好きなんじゃなくて、遠くから運んでくる話が好きなんですよ。南方の港から船で届いて、鉄道に載せ替えて、王都から馬車で運ぶ。さっきのドリアンだって、味より先に輸送日数を聞いたでしょう」
アレックの目が、フレドの本へ向いた。
「鉄道会社へ行ったほうが、兄上には幸せだと思います。少なくとも、倉庫の果物を誰へ食べさせるかで婚約を失うことはありません」
「お前は……」
「僕は学生ですから、進路の話には詳しいんです」
フレドは父へ一礼した。
「着替えてきます。あのドリアンを切る時は呼んでください」
「食べるのか?」
リシャールが尋ねる。
「高い運賃を払って届いたんでしょう。味くらい確かめますよ」
フレドは本を抱え直し、応接室を出ていった。
庭から料理人の声が聞こえる。
「旦那様! この実、どこから刃物を入れればよろしいんですか!」
父が椅子を立った。
リシャールは送り状と商会の手紙を持ち、父に続く。
アレックだけが窓辺に残った。庭では料理人たちが木箱を囲み、長い包丁や鉈を持ち寄っている。
「まず棘をどうにかしろ! 布で包め、布で!」
台所から、さらに厚手の布が運ばれてきた。
アレックは窓枠に置いていた手を下ろし、庭へ出ていく父とリシャールの背中を見送った。




