第十六話 母の叱責
「私たちは、ずっと大切な友人でいるの。結婚したら誰と会うかまで妻に決められたくないって、アレックも言っていたわ」
「その男は、妻を迎えたあともお前と会うつもりなのですか」
「そうよ。私のことが好きだって言ってくれたもの」
「では、お前を妻にすると言ったのですか」
ネリアの返事が止まった。
「結婚には家同士の事情があるでしょう」
「子供は?」
「何の話?」
「お前との間に子を持つと言ったのですか」
「そんな話はしていないわ」
「家も財産も、シェリル様との子が継ぐのでしょう」
「私は、そんなものが欲しいわけじゃないもの。アレックが私を好きでいてくれれば、それでいいの」
母はネリアの肩を掴んだ。
「しっかりお聞きなさい。お前が座ろうとしているのは、愛人の席です」
「そんな言い方しないで!」
「妻に家を守らせ、子を産ませ、店で働かせる。その傍らで、お前は時々呼ばれて茶を飲み、果物をもらい、口づけをする。それがお前の望みですか」
「アレックは私をそんなふうに扱わないわ」
「もう扱っています!」
母の指が、ネリアの肩へ食い込んだ。
「お前は、婚約者へ届ける果物を与えられて喜んだ。あの方が困ると知っていても返さなかった。妻になる方から奪ったものを、お前への愛情だと思ったのです」
「シェリルは何でも持っているじゃない!」
「お前も持っていました」
母がネリアの肩を揺らした。
「奥様が、お前に持たせてくださったのです。教師をつけ、服を仕立て、御自分の娘たちと同じ食卓へ座らせてくださいました。私が侍女であったことを理由に、お前を使用人の子として扱ったことが一度でもありましたか」
「でも、お母様だって、お父様のことが好きだったんでしょう?」
母の指が止まった。
「好きだったから、私を産んだんでしょう。それなのに、どうして私だけ――」
「好きでしたよ」
母はネリアの肩から手を離した。
「好きだったからこそ、自分がどのような立場になったか、よく知っています」
母は伯爵夫人へ向き直り、深く頭を下げた。
「奥様には、私のために何度も恥をかかせました。お前まで同じ道へ進ませるために、頭を下げ続けたのではありません」
「私は、お母様とは違うわ。アレックは私を一番に好きだと言ってくれたもの」
「一番に好きな女を妻にもせず、暮らしも子供も与えず、時々会うだけですか」
「今は結婚できないだけよ」
「その男は、お前を妻にするために何を捨てたのです」
ネリアは口を開き、父を見た。
父は卓上の手紙へ目を落としている。
「お父様。私、アレックに無理を言ったことなんかないわ。シェリルとの婚約をやめてとも言っていない。だから――」
「それが分別だと思っているのか」
父が手紙を取り上げた。
「妻の座を求めず、婚約者のいる男から品を受け取り、口づけを許す。それなら誰も困らないと考えたのか」
「二人が結婚したあとも、私は邪魔をしないもの」
「もうしている」
父は手紙を二つに折った。
「ライエット家は婚約解消を申し入れる。エンコード家でも、今日、両家を集めて話し合うそうだ」
「婚約解消?」
ネリアの目が父の手元へ落ちた。
「それなら、アレックは私と結婚できるじゃない」
母が椅子へ手をついた。
「お前は、まだその話をするのですか」
「だって、シェリルが嫌だと言うなら仕方ないでしょう? アレックだって、本当は私のほうが好きなのよ。家のためにあの人と結婚するだけだったんだから」
「お前に伯爵家の娘を名乗らせるわけにはいかん」
父の言葉に、ネリアは瞬きをした。
「何を言っているの?」
「今日から、社交の場で当家の名を使うことを禁じる。伯爵家の娘として届いた招待も、すべて断る。衣装や宝飾品は目録を作り、当家から与えたものを返しなさい」
「待って。私、お父様の娘でしょう?」
「血のつながりは消えん。だが、当家の名と信用をお前に預けることはできない」
「一度、アレックと口づけをしただけよ!」
「二度です」
伯爵夫人が訂正した。
「果物の件もあります。何より、今の話を聞いても、自分がしたことを理解していません」
「じゃあ、私はどうなるの?」
「私が引き取ります」
母が答えた。
「姉の家へ頼みます。部屋を借り、働き口を探しましょう」
「どうして私が働くのよ」
「伯爵家の娘として暮らせないからです」
「そんなの嫌!」
「嫌でも、これからは自分の暮らしにかかる金額を覚えなさい。服も食事も、誰かが用意して当然と思っているうちは、アレック様の言うことが立派に聞こえるのでしょう」
ネリアは夫人の前へ進んだ。
「夫人から、お父様に言って。私を追い出さないでって」
「追い出すと決めたのは伯爵です」
「私を家に入れたのは夫人でしょう?」
「ええ。そして今、その判断を取り消します」
夫人は扇を開いた。
「あなたの母が、決して余分なものを求めなかったから、私はあなたを娘の一人として扱えました。この方なら、自分の娘へ他人のものを欲しがらせることはないと思ったのです」
ネリアの母は唇を噛み、頭を下げた。
「申し訳ございません」
「あなたが謝るところではありません」
「私の娘です」
母は頭を上げた。
「私が連れてまいります。荷造りも、今日中に」
「勝手に決めないで!」
ネリアは母の脇を抜けた。
父が呼び止める。
「どこへ行く」
「アレックに話してくるわ」
「部屋へ戻りなさい」
「アレックなら、こんなひどいことしないもの!」
母が腕を掴もうとした。
ネリアはその手を振り払い、扉へ走った。
「じゃあ、アレックのところにいくもん!」
扉が開き、廊下にいた侍女が壁際へ身を寄せる。
ネリアはスカートを両手で持ち上げ、階段へ向かって駆けていった。




