第十五話 伯爵家の娘
エンコード家にライエット家の馬車が着く少し前、ネリアは伯爵邸の小応接室へ呼ばれていた。
伯爵夫人は長椅子の中央に座り、父は窓際に立っている。
母だけが、ネリアの前に立っていた。
卓上には、今朝ライエット子爵家から届いた手紙がある。封を切ったのは伯爵だった。夫人が読み、母にも渡されたらしい。
「アレックが持ってきたのよ」
ネリアは椅子へ座ったまま、三人の顔を見回した。
「私が倉庫から盗ませたんじゃないわ」
「誰が盗ませたと言いました」
伯爵夫人が手紙を畳んだ。
「では、その果物がどこから来たものか、知っていたのですね」
「王都の倉庫から届いたって聞いたわ。珍しい果物だから、私にも食べさせたいって」
「その先です」
「その先?」
「新しい取引先へ見本として届ける品だったことは?」
ネリアは膝の上で指を組んだ。
「見本に使うとは聞いたわ。でも、また届くものなんでしょう? アレックも、六つくらいなら大丈夫だと言っていたもの」
「六つすべて受け取ったのですか」
「最初の二つも、翌日届いた四つも、アレックが持ってきたのよ。私が一つずつ数えて欲しがったみたいに言わないで」
「お前は、なぜそこで断らなかった」
父が窓辺から尋ねた。
「アレックが私のために選んでくれたのよ」
「取引先へ届くはずだった品をか」
「取引先なら、少しくらい待ってもらえるじゃない。一度くらい遅れても困らないわ」
母の手が、ネリアの膝を打った。
「立ちなさい」
「お母様?」
「奥様の前です。立ってお答えなさい」
「いつもは座ってお話ししているでしょう」
「立ちなさい!」
ネリアは椅子を押して腰を上げた。絨毯の上で、椅子の脚が短く鳴る。
「そんなに怒鳴らなくても聞こえるわ」
「聞こえていて、その返事なのですか」
母は卓上の手紙を指した。
「その果物を待っていた方がいます。先方では料理人たちが支度をしていたそうです。届かないため、倉庫の者が行き先を調べました。何人もの手を煩わせて、お前は花冠亭で果物を受け取っていたのですよ」
「だって、私はそんなこと知らなかったもの」
「今、見本として届ける品だと聞いていたと言ったでしょう」
「六つ全部必要だとは思わなかったのよ」
「必要な数を決めるのはお前ですか」
「アレックが決めたのよ。エンコード家の品なんだから、アレックにはそのくらい――」
「アレック様の品ではありません」
母の声が応接室へ響いた。
廊下を歩いていた侍女の足音が、扉の前を早足で通り過ぎた。
ネリアは父へ顔を向けた。
「お父様からも言ってよ。アレックは次の当主なの。倉庫の果物を少しくらい友人へ贈っても、こんな大騒ぎにすることじゃないでしょう?」
「お前は、まだあの男をかばうのか」
「本当のことを言っているだけよ」
父は窓辺を離れ、夫人の隣へ座った。
「手紙には、果物のことだけが書かれていたわけではない」
ネリアの指が、スカートの襞をつまんだ。
伯爵夫人が手紙の二枚目を開く。
「花冠亭を出たあと、あなたはアレック様と公園へ行きましたね」
「少し話しただけです」
「腰へ手を回されて歩いていたそうです」
「足元に石があったから、支えてくれたのよ」
「平らな遊歩道だったと書かれています」
「マリルは私が嫌いだから、何でも悪く書くの」
「リシャール様も御一緒でした」
ネリアはスカートから手を離した。
「二人で私たちを見張っていたの?」
伯爵夫人は二枚目を卓へ置いた。
「口づけをしたのですね」
「それは……」
「二度とあります」
「数えるなんて、気持ちが悪いわ」
母の手が上がった。
平手がネリアの頬を打つ。
ネリアはよろめき、椅子の背へ手をついた。
「何するのよ!」
「お前は今、何を責めたのです」
「だって、物陰から見ていたんでしょう? そんなの――」
「婚約者のいる男と公園で口づけをして、見つけた方の振る舞いを責めるのですか」
母はもう一度手を上げた。
伯爵夫人が、その手首へ触れた。
「もうよいでしょう」
「奥様、ですが」
「叩いて分かる子なら、最初の一度で分かっています」
母の腕が下がった。
ネリアは頬を押さえ、伯爵夫人を睨んだ。
「夫人は、私のことなんか最初から嫌いだったのね」
「ネリア!」
「そうでしょう? 私がお父様の娘だから、仕方なく家に置いていただけじゃない」
伯爵夫人は手紙を揃えた。
「仕方なく置いた覚えはありません」
「だったら、どうしてこんな手紙を信じるの? 私の話より、会ったこともない娘たちの話を信じるなんて」
「ライエット家の四人の御令嬢とは、何度もお会いしています」
「私はこの家で育ったのよ!」
「ええ。ですから、あなたを呼んで話を聞いています」
夫人は手紙を封筒へ戻した。
「あなたが幼い頃、この家に引き取ることを決めたのは私です。伯爵の子である以上、相応の教育を受けさせたほうがよいと考えました」
「ほら、やっぱりお父様の子だからでしょう?」
「娘が一人増えれば、縁を結べる家も一つ増えます。読み書きや礼儀を身につけ、評判を損なわずに育てば、嫁ぎ先を整えることもできる。伯爵家にとっても役に立つと考えました」
ネリアは頬から手を下ろした。
「私を嫁がせるための道具にしたかったの?」
「私の娘たちも、家のために嫁ぎます」
夫人は長椅子の端に置いていた扇を取った。
「代わりに家は、娘へ教育を与え、衣装を整え、持参金を用意します。相手の家を調べ、婚姻後も粗末に扱われぬよう後ろ盾になる。あなたにも同じものを与えるつもりでした」
「同じなら、どうして私だけ叱られるのよ」
「私の娘は、婚約者のいる男性と公園で口づけをしておりません」
「私とアレックは幼馴染なの!」
「幼馴染には、他人の婚約を踏みにじる権利があるのですか」
「踏みにじってなんかいないわ。アレックは、シェリルと結婚しても私を捨てないと言ってくれたのよ」
母が一歩近づいた。
「何ですって?」




