第十三話 跡取りを替える
ライエット家の馬車が門を出るまで、アレックは西の応接室に残された。
父は先ほどの椅子へ座り、母も扇を膝へ置いたまま動かない。
卓には、折り畳まれた婚約の覚書と、マンゴー六つの代金を記した紙がある。
「もう話は済んだでしょう」
アレックは立ち上がった。
「婚約解消の書面には署名します。マンゴーの代金も払います。それで――」
「座りなさい」
「父上」
「お前には、まだ話があると言ったはずだ」
廊下から足音が近づき、リシャールが戻ってきた。
ライエット家の者たちを馬車まで送ってきたのだろう。閉めた手帳を脇に抱え、父の前で足を止める。
「皆様がお帰りになりました」
「御苦労だった。お前も座りなさい」
リシャールは末席へ戻った。
アレックも椅子へ腰を下ろす。今度は背もたれへ寄りかからず、両膝へ手を置いた。
父が家令を呼び、鍵束を持ってこさせた。
王都倉庫の表門、奥倉、荷受け室。エンコード家が扱う倉庫の鍵が、卓上へ一本ずつ並べられる。
「お前が持っている鍵を出しなさい」
「何のためです」
「返しなさい」
アレックは上着の内側へ手を入れた。小さな鍵束を取り出し、卓へ置く。
家令が鍵の形を確かめ、持ってきた束へ戻した。
「商会印もだ」
「部屋にあります」
「あとで家令に渡しなさい。取引先への紹介状を出す際に使っている印も、すべてだ」
アレックの手が膝から離れた。
「商いから外すおつもりですか」
「今日から、お前の後継者としての権限を止める」
父は鍵束を家令へ渡した。
「親族会議を開き、お前を後継者から外す。次の当主については、リシャールとも話し合う。それまでは私がすべての取引を確認する。倉庫への出入り、買い付け、贈答、商会名での注文も、お前一人ではできない」
「マンゴー六つで、跡取りを替えるのですか」
「まだ六つと言うのか」
「代金は払います。先方への詫びにかかった費用も負担すると申し上げました」
「払えば済む。待ってもらえば済む。一度くらいなら構わない。お前は何年も、それを繰り返してきた」
「何年も?」
「試作品を見れば、余っていると思って客へ出す。倉庫に品があれば、次も届くと思って持ち出す。料理人や店の者が予定を組んでいても、お前の目には入らん。困った者が予定を変え、足りない品を探し、取引先へ頭を下げる。片づいたあとで、お前は自分の判断が正しかったと思う」
「その場で喜ぶ人もいました。店の宣伝になったこともあります」
「喜んだ者の顔は覚えている。皿を増やした者の名前は覚えているか」
アレックは父を見た。
「厨房で働く者のことでしょう」
「何人いた」
「そこまで知る必要がありますか」
「お前が連れてきた客のために、予定していた試作を減らし、食器を出し、茶を淹れた者たちだ」
「店の仕事として行ったはずです」
「シェリル嬢の店だ。お前の客をもてなすための店ではない」
父は卓上の紙を一枚取り、マンゴーの受取状をアレックの前へ戻した。
「今日も同じだった。品が届かず倉庫が動いたと聞いて、お前はリシャールへ、なぜ私を騒がせたと言った。公園で口づけを見られたと知ると、マリル嬢へ、なぜ見張ったと尋ねた」
紙の端が、アレックの指に触れた。
「お前が最初に探すのは、失敗を教えた者だ。その者を騒ぎの元にすれば、自分のしたことを小さくできる。リシャールは融通が利かない。マリル嬢は会話の一部だけを取り上げた。シェリル嬢は一度品が届かなかった程度で腹を立てた。そうやって、相手の欠点を一つ見つけて終わる」
「俺ばかり悪いようにおっしゃいますが、商いに手違いはつきものです」
「だから皆、確認をする。行き先を書き、届ける日を決め、品の数を数える。間違えれば、次から手順を変える。お前は手順を面倒がり、間違えたあとにも変えようとしなかった」
「父上は今まで、そこまでおっしゃらなかったでしょう」
「ああ」
父は椅子の肘へ手を置いた。
「お前をこうした責任の一端は、私にある」
アレックは口を閉じた。
母の指が、扇の骨をなぞった。
「お前が初めて取引へ出た頃、私は、お前の判断が早いことを喜んだ。細かな確認を飛ばしても、勢いがあると褒めた。書類に足りない箇所があれば、家令やリシャールに調べさせた。倉庫長が止めた品も、経験を積ませるためだと言って、お前へ扱わせた」
「では、父上も認めていたのではありませんか」
「その時の私が間違っていた」
父はすぐに答えた。
「お前に任せた以上、損を出させまいと考えた。失敗すれば、取引先に知られる前に私が直した。倉庫長にも、お前を立てるよう命じた。家の者が後ろで支えれば、そのうち仕事を覚えると思っていた」
「それなら――」
「結果として、お前は、自分の判断だけで商いが動いていると思うようになった」
アレックは開きかけた口を閉じた。
「間違いを片づけた者は、お前から見れば口うるさい者になった。倉庫長が止めれば融通が利かない。リシャールが確認すれば弟のくせに出しゃばる。シェリル嬢が予定を尋ねれば、仕事熱心だから勝手に準備している。皆がお前に合わせて動いても、お前は、自分が皆を動かしていると思っていた」
「兄上は、そこまで――」
「リシャール、お前は黙っていなさい」
弟が膝の上で手を組み直した。
アレックはその手を見た。




