↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界損保 ~命の値段を計る男は、冒険者を死なせない~  作者: ゆーぱ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

48/55

第四十七話 壊れた心 - それでも守りたかったもの -

代官到着の知らせから半月ほど。

【ガーラン】に派遣していた冒険者から報告が入った。


「代官の名はユーリス・フロイト。ギルド総本部の副ギルド長だ」


バルドゥスの言葉に、


「――ユーリス・フロイト?」


名を反芻し、眉を顰めるクロード。


「なんだ、奴を知ってるのか?」


バルドゥスの問いに、内ポケットの仮面を少し見せ、


「ええ。“これ”のころに、王都で何度か顔を合わせました」


「ああ……なるほどな」


そのことを思い出したかのようにバルドゥスがつぶやくと、

クロードが言葉を続ける。


「正直、良い印象はありません。【悪】とは言いませんが、一言で言うなら【狂信者】といったイメージです」


「【狂信者】か……確かにしっくりくるな」


クロードの言葉に同意し、バルドゥスは皮肉めいた笑みを浮かべた。


「彼のように自分の考えを絶対と信じ、敵対心を隠そうともしない輩は厄介です」

「慎重に様子を見ましょう」


「そうだな。監視役にも注意するよう伝えておく」


すり合わせを終え、クロードはその場を後にした。




その日の夕方。


使いで武器屋を回っていたリーリスの帰路。


そこに――


「とろとろ歩いてるんじゃねえ!」


男の罵声が響いた。


(……また【ガーラン】からきた冒険者か……)


見慣れない冒険者に、リーリスが眉をひそめる。


政情不安で仕方なしに移動を決めたものが多いため、

苛立ちや不安の色を隠せないものが多い。


「ごめんなさい!」


怒声に怯え、五歳くらいの娘の手を引く妻の姿。

嫌悪感を持って見ていると、


「バチン!」


男の平手が妻の側頭部を叩く。


リーリスの我慢の一線を、明らかに超えた瞬間だった。


「おまえ、やりすぎだ!」


男を睨みつけ、妻と子供を庇うように立ちはだかる。


その様子に、周りの通行人がざわざわとし始めるが、男は気にする様子もない。


「やかましい!俺のものをどうしようが俺の勝手だろうが!」


男の言葉に、


「“もの”じゃない!家族だからって殴っていいわけないだろ!」


負けずとリーリスは言い返す。


「ああ!?言ってもわからないから”しつけ”をしてやってるんだ」


にやけた顔で言う男に、


「はっ!”しつけ”が必要なのはあんたの方じゃないのか?」


その言葉が、男の逆鱗に触れる。


「小娘が生意気な!」


大きく振りかぶった右腕で、リーリスの左頬を叩こうと腕を振りぬく。


「なっ!?」


それを沈んで交わすと、


「ぐっ……!」


右手の掌打で男の鳩尾を打つ。


上体が折れ下がった顎に、


「がっ……!」


下からさらに掌打を重ねる。


棒立ちになったところで、男の右ひざ裏に自分の足を差し込み、

上体を押し崩すように投げ倒す。


「ぐぁっ!」


背中と頭部を打ち付け、一瞬の悲鳴と共に動かなくなった。


そこに、聞き覚えのある声がかかる。


「――あんた、強いんだな……」


心から驚いた声をかけたのは、

【ブレイブラッシュ】のリーダーカイル。


リーリスが上位ランクの魔物討伐を諦めさせ、命を救った冒険者。


「声が聞こえたから来てみたけど、手助けはいらないみたいだな」


あの日の恩を返そうと駆け付けたが、目の当たりにしたのは、男が倒されるまでの一部始終。


「これでも、レオンと一緒に稽古させてもらってるからね」


カイルの言葉に答え、


「そうか!そりゃあ強いわけだ……」


納得し苦笑いを浮かべる。


「でも、目が覚めてまた暴れると面倒だから、協力してもらえるならありがたい」


リーリスの願いに、


「わかった。俺が残って、仲間に報告に行ってもらう」


「助かるよ」


男の剣を取り上げ後ろ手に縛ると、カイルは遅れてやってきた仲間に報告を依頼した。


「……大丈夫かい?」


ようやく安全な環境となり、男に殴られた女性に声をかけるリーリス。


「……はい……」


何かに怯えたように返事をし、視線を合わせない。


その様子に違和感を覚えながらも、しばらく待っていると、クロードとギルドの職員が三名やってきた。


「……怪我はありませんか?」


その第一声に、


「もちろん!」


元気に答えて見せる。


「そうですか、それは何よりです」


言って笑顔を見せる。


男はギルド職員に連行され、クロードは残された女性と子供に視線を移す。


「お話を伺いたいので、お二人も一緒に来ていただけますか?」


「……はい……」


やはり目を合わせずに答える女性に、リーリスとクロードの目が合った。


「……それでは行きましょう」


嫌な予感を抱きながら、クロードは促し歩きはじめる。




連行されてすぐ、バルドゥスが男を問い詰める。


「――これが俺の聞いた話だが、何か言い分はあるか?」


「俺のなにが問題だってんだ!馬鹿な女子供の”しつけ”をしようとしただけじゃねえか!」


反省の様子など微塵もなく吐き捨てる。


「そうか、”しつけ”か」


バルドゥスの言葉に、


「そうさ」


同意と捉え、にやけた笑顔を見せる。


「”しつけ”なら、殴っても構わないわけだな?」


「当然だ!」


勝ち誇るように言い放つ。


「……そうか」


その言葉が一段低くなっていることにも気づかずにいる男に、


――バチン!


バルドゥスの平手が飛んだ。


「痛てえじゃねえか!何しやがる!」


男の抗議に、


「“しつけ”だ。馬鹿な冒険者をしつけるのはギルド長の役目だからな」


にやついていた男の顔から、初めて笑みが消える。


「安心しろ。お前が家族にしてきたことを、これからゆっくり理解させてやる」


一歩さらに近づくと、


「ま、待て……!」


「待てだと?お前は待てと言われて、待ったことがあるのか?」


男の顔が青ざめた。


「勘弁してくれ!もう手は出さない!いや……もう別れる!」


その言葉にため息を付くバルドゥス。


「くそっ……連れ子のいる女なんかと一緒になるんじゃなかった……!」


改心の見込みのない男のつぶやきに、バルドゥスの中で何かが切れた。


「そうか……とりあえずしばらくは牢屋で頭を冷やすんだな」


そう言うと、男を牢屋へ入れるよう指示をした。


別れを望むかどうかは家族次第。

さすがに、独断でそれを決める気にはなれなかった。




その頃、女性と子供は、ギルド治療院でハーサムの診断を受けていた。


「――クロード」


診断を終えたハーサムがクロードを呼び、別室で結果を告げる。


「あの女性、名はナンシー。娘はメルと言うらしいが、ふたりとも、体のあちこちに痣がある」


ハーサムの言葉に、


「やはり、虐待を受けていましたか……」


懸念が当たり、苦い表情を見せる。


「――あの野郎!」


一緒に聞いていたリーリスが憤慨するが、ハーサムの一瞬の表情の変化にクロードが気づいた。


「……まさか……」


クロードのつぶやきに、


「……おそらく、そのまさかじゃ」


沈んだその声に、


「……なんだよ、まさかって」


ひとり理解できていないリーリスが声を上げる。


顔を見合わせるふたりに、一層の不安を掻き立てられ立ち尽くしていると、クロードが悲しそうな瞳で真実を告げる。


「おそらく、メルと言う娘を主に虐待しているのは、母親のナンシーの方です」


「母親!?」


信じられないと目で訴えるリーリスに、


「痣の大きさや深さが違いすぎる……おそらく、間違いないじゃろう」


ハーサムが目を伏せた。


「そんな……」


絶句するリーリスに、


「わたしはこれからナンシーと話をしてきます。あなたはここで待っていてください」


これからの話は、リーリスには残酷すぎる。


そう判断しクロードは告げるが、


「嫌だ!わたしも立ち会う!」


どうしても理由が知りたかった。


ふたたびクロードとハーサムが顔を見合わせるが、リーリスの意思の強さを知っているだけに、クロードが折れる。


「おそらく、残酷な現実しか待っていません……」

「――それでも、聞きますか……?」


返事はなかった。

それでも、リーリスは首を縦に振った。


「……そうですか」


一言。


「では、行きましょう……」


別室で休息をとるナンシーとメルの元へ向かうと、ちょうど食事を終えた後のようだった。


「少し、よろしいですか?」


「……はい……」


変わらず視線を合わせないナンシーに、


「率直に伺います。メルに“しつけ”をしたのはあなたですね?」


クロードの言葉に一瞬体を強張らせるも、“その言葉”に救いを求め、ナンシーが答えを返す。


「――そうです、“しつけ”です!」


そう言いながら、叱られた子供のように肩を震わせた。


「だって……言われたことができないから、仕方なかったんです!」


不自然な笑みを浮かべ答えるナンシーに、クロードの表情は陰りを増し、リーリスは激高した。


「“しつけ”ってなんだよ!こんな小さい子を殴っていいわけないだろ!」


いまにも殴り掛かりそうな勢いに、ナンシーが怯え、頭を抱える。


そして――


「――なっ……!」


リーリスの動きが止まった。


その前に、小さな身体が立ちはだかっていた。


メルだった。


虐待され、一番憎んでいてもいいはずの母親を守るように、

両手を広げ、リーリスを睨みつけている。


「……なんで……」


それ以上の言葉が出ず、リーリスは立ち尽くした。


その光景を見て、クロードはメルの前に片膝をつくと、笑顔で話しかける。


「大丈夫です。お母さんを叩いたりしませんよ。少しだけ、話をさせてください」


その言葉に手を下げるが、それでもメルは、母親の元から離れない。


その姿に憐れみを感じながらも、クロードは言葉を続ける。


「あなたが夫から虐待を受けていたことはわかりました。あなたを責めるつもりはありません」


その言葉に、わずかにナンシーの緊張が解ける。


「でも、あなたが夫に恐怖を感じていたように……いえ、それ以上の恐怖と孤独をメルが感じていることを、わかってあげてください」


それは、説得と言うよりも願いだった。


頷くナンシーに、


「必要ならば、あなたに仕事を斡旋することもできます。どうすればメルと幸せに暮らせるか、よく考えてみてください」


クロードはそれだけ言うと、リーリスを連れハーサムに後を託した。


【S.O.M.P.O. ジャン】控室に戻り、クロードとふたりになったリーリスは、


「……どうしてメルは、母親を庇うんだ……」


納得できず、その言葉を口にする。


「……優しかった頃の、母親の思い出があるからですよ」


クロードは答え、さらに続ける。


「もしもマールがあなたに暴力を振るったとして、あなたはマールを憎めますか?」


クロードのその言葉に、リーリスは目を吊り上げ、


「マールはそんなことはしない!」


大声で叫んだ。


「……そうですね。マールはそんなことはしません」


そんなリーリスに、クロードは優しい口調で答える。


「――けれど、人間は弱い生き物です。虐待を受ければ、ナンシーのように心を壊してしまうこともあります」


リーリスはその言葉を黙って聞いている。


「そして心の壊れたナンシーは、その捌け口をより弱い者に求めました」


一番近くにいて、

一番弱く、

そして誰も止めない。


その相手が、メルだった。


「じゃあメルは……どうすればいいんだ!」


リーリスのその叫びに、クロードは答えを持っていない。


「どうにもできません……だからメルは、いつか優しい母親に戻ってくれると信じることで、自分を保っているのだと思います」


それが、母親を庇うメルの姿の答え。

クロードはそう推測した。


「そんな……」


何もできないことに無力を感じ、リーリスが涙を流した。


「……わたしたちにできることは、そう多くありません。ですが……できることはやってみましょう」


立ち上がり、クロードは事情をマールに伝えるとリーリスを任せ、バルドゥスの元を訪れた。


「……来たか」


お互いにやりきれない思いを抱え、情報を交換する。


「……そうか……母親はもう壊れていたか……」


歴戦の強者がため息をついた。


力をつけても、権力を得ても、人の心はどうにもならない。


「状況を考えるに、男と別れ、自活の道を歩む他ないように思います」


クロードの言葉にバルドゥスは、それは規格外のこの男ですら同じなのだと、力なく同意した。


「――後は俺が対処する。ご苦労だったな……」


バルドゥスの言葉に一礼し、クロードは部屋を後にすると、その顛末をリーリスに伝えた。


「……そうか。あの男と別れてふたりで暮らすのか……」


その方が良いとリーリスも思った。


「ええ……おそらくそうなると思います」


一抹の不安はあるものの、現状他に解決策が見当たらなかった。


「仕事に就くまでの間は、職業あっせん施設の空き部屋をあてがうそうです。時々、一緒に様子を見に行きましょう」


精一杯の関わりに力ない笑顔を作ると、リーリスも小さく頷いた。




――その三日後。


事態は大きく急変する。


「クロード!」


血相を変えたバルドゥスの叫びに嫌な予感を覚え立ち上がると、


「――力を貸せ!」


一瞬視線をリーリスに向け、言葉を選んだバルドゥスに、


「わかりました!」


続いて駆け出した。


「一体何が……」


立ち上がってつぶやいたエリナの後ろを、


「リーリス!?」


勘の良いリーリスが走り抜けた。


クロードの背中を追うと、そこは治療院だった。


「来たか、クロード!」


ハーサムが最後の望みに声を上げた。


「症状は!?」


簡潔に問い、


「外傷はまったくないが、ろれつがだんだん回らなくなり、今はもう意識がない」


ハーサムも必要なことだけ告げた。


「わしは……頭の中を疑っておる」


ハーサムの予想に、


「……おそらく、脳内で出血を起こしています」


クロードが力なく同意した。


同時に、メルの近くに座り込むナンシーに確認をする。


「メルの頭を……壁か床に叩きつけましたか?」


静かに――

湧き出る怒りを可能な限り抑え、静かに問う。


「だって……仕方がないのよ……これは……“しつけ”なんだから!」


取り乱すナンシーを見て同意と捉え、クロードが確信する。


「間違いありませんね……このままだと、メルは助かりません」


そのつぶやきに、


「そんな――!?」


後方で聞いていたリーリスが叫んだ。


気づいてはいたが、リーリスを帰す余裕もない状況。


クロードは言葉を続ける。


「命を繋ぎとめることを考えるなら、最低でもミドルポーションが必要です」


その言葉に、ハーサムは首を横に振る。


「……それはできん。明らかに治療院の役割を超える」


治療院は無償での治療は行わない。

使うとしても、回収可能性のあるポーションまで。


それが、公平を保つための絶対原則。


「あの母親に払わせればいいじゃないか!」


リーリスの言葉に、


「彼女自身が“病人”です。支払える見込みのない者のために、治療院は動けません」


ハーサムに代わり、クロードが答えた。


「なら――あたしが払う!」


その決意に、クロードの心が揺れる。


「……もしそれで命を繋いだとしても……メルが幸せかどうかわかりませんよ」


むしろこのまま――

心から溢れそうなその次の言葉を、必死に飲み込む。


「それでも!」


一拍。


「あたしは……あの子を助けたい……」


涙を流しながらまっすぐに見るリーリスに、クロードの心が決まる。


「……わかりました」


一言。


ミドルポーションを取り出し、メルに飲ませる。


ゆっくりと、染み込ませるように、ゆっくりと……。


「助かる保証はありませんが、少なくとも脳内の傷は塞がると思います」


クロードの言葉に、


「傷が塞がっても助からない可能性があるのか?」


バルドゥスが疑問を口にする。


「はい」


小さく答え、続ける。


「脳は非常にやわらかく繊細です。あふれ出た血液が脳を圧迫して傷つけているならば、呼吸困難や記憶障害が出てもおかしくありません」


説明し、顔を伏せる。


「後は……ポーションの力を信じ、無事を祈るほかありません」


メルを見つめるクロードの顔が、無力を嘆く。


「そうか……いや、良くやってくれた」


クロードに言葉をかけ、同時にリーリスを見る。


「……メルが助かったなら、力になってやってくれ」


小さな肩に手を置き、バルドゥスは願いを込めた。


リーリスは頷き、時間の許す限りメルを見守った。




――さらに三日後。


メルが目覚めたとの知らせを受けて、クロードとリーリスが駆けつけた。


「メル!」


ベッドの上で上半身を起こしているメルを見て、

リーリスが涙を浮かべてメルを抱きしめた。


「……どうしたの?つよいおねえちゃん」


メルのつぶやきに、


「そう言えば名前を教えていなかったね。わたしはリーリスだよ」


リーリスが笑顔で名乗る。


「リーリス?……じゃあ“リーねえちゃん”だ!」


すると、メルが初めてリーリスに向けて笑顔を返した。


「“リーねえちゃん”か、いいな、それ!」


その笑顔が嬉しくて、リーリスが声を上げる。


すっかり安心したリーリスだが、

ハーサムが沈んだ表情を浮かべていることに、クロードが気づく。


「……何かありましたか?」


その問いに、ハーサムは直接答えず、別の話を切り出した。


「さっきまでバルドゥスが来ておってな。男の方は【オーダリー】を出ることになった」


そして続ける。


「母親の方は治療を続けながら仕事に就くことになるが、メルは孤児院に預けるそうじゃ」


その言葉を聞き、リーリスに安堵が浮かぶ。

その方がメルに危険が及ばない。


ただ、母親を慕うメルの気持ちだけが心配だった。


「大丈夫……治療が終わればきっと、お母さんとまた一緒にいられるようになるよ」


リーリスの言葉に、


「おかあさん?」


メルが不思議そうな顔をする。


「わたしにおかあさんなんていないよ?」


すました顔でリーリスに告げた。


「……えっ……」


メルの言葉の意味がわからず、リーリスが言葉を失う。


代わりに、クロードの表情が一段曇った。


「おかあさん、だよ……?」


何とか絞り出したリーリスの問いに、


「うん。おかあさんなんていないよ?だって、おとうさんといっしょにきたんだもん」


まっすぐな瞳で、抑揚もなく答える。


立ち尽くすリーリスに代わり、クロードがメルに声をかける。


「孤児院はおともだちがたくさんいる場所です。“リーねえちゃん”もいたところですよ」


「そうなんだ!たのしみ!」


無垢なその笑顔に内心を隠し、クロードは笑みを浮かべる。


そして立ち尽くすリーリスを連れ、【S.O.M.P.O. ジャン】控室へと戻る。


「……どういうことなんだ……?」


リーリスの疑問に、


「……考えられることは二つです」


クロードが推論を語る。


「脳内で出血した血液の影響で記憶を失ったか、メルが自分を守るために、記憶を無意識に改変したかです」


一拍置き。


「そしておそらく、答えは後者です。優しい母親に殺されかけたことを、メルの心が拒否し、最初からいなかったことにしたのでしょう」


「そんな……」


あまりの答えに、リーリスを支えていた何かが崩れ去る。


「……わたしがメルを助けたのは、余計なことだったのかな……」


虐待されてなお両手を広げ、母親を守ったメルの姿が忘れられない。


「いえ、そんなことはありませんよ」


落ち込むリーリスに、クロードが断言する。


「わたしも迷いましたが、いまはあなたが正しかったと確信しています」


その笑顔が、リーリスの崩れた何かを、少しずつ立て直していく。


「どうして?」


その答えを求め、クロードの顔を見上げる。


「あなたも見てきたはずです。あなたの仲間たちが起こす奇跡を」


そう言われ、レオンたちの顔を思い出す。


「あの少女が、メルが、母親のことを一生思い出さないと思いますか?」


その言葉に、リーリスは首を横に振る。


あれだけ母親を思っていたメルが、永遠に思い出さないとは思えない。いや、思いたくない。


「時間はかかるでしょう……数年……いえ、数十年かもしれません」

「それでもきっと、彼女はいつかあなたに感謝する日が来ます。必ず――」


その言葉に、


「――そうだね。うん、きっとそうだ……」


自分に言い聞かせ、リーリスは無理やり笑顔を作る。


「わたしたちにできることは、メルを見守り続けること。そして――」


一拍。


「これ以上、メルと同じ思いをする人間を少しでも減らすことです」


クロードの言葉に、


「……できるの?そんなこと……」


リーリスが答えを求める。


「はい」


簡潔に答え、続ける。


「元々の問題は、貧困が大きく影響します。今回もナンシーが生活に困り、あの男を頼ってしまったために起きたことが原因です」


「……そうか、もしメルの本当のお父さんが保険に入っていれば、お金に困らずに、落ち着いて仕事を探せたかもしれないんだ……」


リーリスの言葉に頷き続ける。


「わたしたちの仕事は、そうやって不幸を減らす仕事です。時間はかかりますが、必ず誰かを救えます」


保険の意味をあらためて感じ、リーリスの崩れた土台が完全に、いや、さらに補強されて大きくなった。


「――わたし、受付に行ってくる!」


「ええ、お願いします」


目に輝きの戻ったリーリスを送り、クロードはようやく本当の笑みを浮かべる。


そして願う。


ナンシーとメルの心が癒されることを。




――十年後のとある場所。


リーリスは食事処でメルを見かける。


小さなテーブルのその向かいには、ナンシーの姿。


「今日が約束の日なんだね」


隣のテーブルに座り声をかけると、嬉しそうにメルが「うん」と返事をし、

ナンシーが小さく頭を下げた。


「まだおかあさんが心配して一緒には暮らせないけど、月に一度、一緒にお食事する約束してるの!」


母親の記憶を取り戻して一年。メルとナンシーのささやかな幸せの時間。


「そうか!良かったな!」


とびきりの笑顔で答えると、リーリスは注文を告げる。


時々聞こえる幸せそうな会話に、リーリスが心の中でつぶやく。


(……ああ。あんたにも聞かせてやりたいよ、クロード……)


(……あんたの言ったとおりだった……)


(……メルを助けて、本当に良かった!……)


その日、リーリスは普段飲まない酒を飲んだ。


めったに飲まないその酒は、少し苦いのに、なぜか幸せな味がした。




帳面の裏表紙に刻まれた名が、苦い思いを打ち消した。


――S.O.M.P.O. ジャン


剣と魔法の世界に、無力を嘆く、力ある者たち。


人の心は容易く壊れる。


それでも人は、誰かの手と小さな支えによって、前を向いて歩いていく。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


少しでも面白いと感じていただけたら、

評価やブックマークをいただけると励みになります。


※毎週水曜日21:00更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。