第四十六話 影の襲撃者 - 悪夢と救い -
草原で弓の練習をするクレイン。
狙うのは、五十メートル先の山鳥。
教えられた通りに足を開き獲物を見据える。
心を落ち着かせるために深呼吸をし、まだ弓を構えない。
一段高い崖の上。
辛うじて姿を確認できるほど遠い場所から、
オーリはそんなクレインを見つめていた。
その視線の端に、
濃い影を作る木々の下で佇む、人型の影が動いた。
(……なんだ、あいつは?……)
ゆっくりと、だがよどみない静かな動き。
その動きが、クレインと繋がった。
(……まさか……)
山鳥を狙うクレインの、さらに後方に位置する人型の影。
山鳥を狙うには、あまりに遠い位置。
――だが、人を狙うには十分すぎる距離。
「逃げろ、クレイン!」
オーリが力の限り叫ぶ。
だが、あまりの遠さにその声は届かない。
代わりに、人型の影が笑ったように見えた。
「――逃げろぉぉおお!!」
オーリの叫びに呼応するように、クレインの弓から矢が放たれる。
そして、
その矢が山鳥に命中すると同時に――
音もなく……崩れ落ちるクレイン。
その首に――刺さる、一本の矢。
その光景を見たオーリがその場で力なく膝をつく。
ほぼ同時に、人型の影が振り向き、オーリに向かい歩みを進める。
少しずつ日差しに近づき、薄くなる影。
とうとう、影が日差しの中へ一歩踏み出す。
そこにあったのは、
醜悪な笑みを浮かべた男の顔だった。
「おまえは――!」
見間違えるはずがない。
血に濡れ、
狂ったように笑っていた、
あの男。
そしてオーリの喉から、絶望の叫びが漏れた。
――ヒューリ!!
「――はっ!……」
大量の汗と共に上半身を起こし、オーリは両手を眺める。
「……大丈夫かい……ぼうや?」
隣で眠るアルシアが、心配そうに声をかける。
「はっ……はは……」
自虐的な笑みを漏らし、震える手をいつまでも見つめる。
そんなオーリを、アルシアは無言で抱きしめた。
(……ああ……)
その温かさが、震えるオーリの呼吸を整える。
数十秒のその幸せが、オーリに生きる理由を思い出させた。
「……すまない……もう、大丈夫だ……」
オーリのつぶやきに、アルシアが抱擁を解く。
「これが……保険屋の言っていた“罰”か……」
大切なものができた喜びと、引き換えに知る、自らの罪。
「確かに……きついな」
そして突き刺さる、罪悪感と恐怖。
その様子を見ていたアルシアが声をかける。
「オーリ。ギルドの近くに蒸し湯というのがあるらしいじゃないか」
「汗もかいたことだし、気晴らしに行っておいでよ」
優しく微笑み、銀貨を渡す。
「……いや……」
遠慮するオーリに、それでもアルシアは無理やり握らせる。
その笑顔に負け、
「……すまない」
礼を言い、オーリはひとり蒸し湯に向かう。
初めて入った蒸し湯は、なかなかに刺激的な体験だった。
「ぼうず、苦しかったら無理するんじゃねえぞ」
隣に座った男に声を掛けられ、
「へいきだよ、ありがとう」
説明する気力もなく、こどものふりをしてごまかした。
だが、にこやかだった男の顔が一変する。
「――って、おまえ、なんだその傷!?」
指摘され、自身の体を見る。
傷のことなど、気にする余裕もなかった。
「それは矢傷か!?」
問われ、答えに困っていると、
「三か所も……大変だったな、ぼうず」
野盗にでも襲われたと勘違いしたのか、男の声が沈む。
が、オーリはその言葉にふと気づく。
(……三か所?……)
自身の体を確認すると、確かに三か所だった。
最初に受けたはずの、左胸付近の傷がない。
その様子に何かを思い出させたと勘違いしたのか、
男は一度出ていくと、その手にジョッキに入った果実水を二つ持ち込み、
「――飲め、ぼうず……負けるなよ」
一つをオーリに手渡し、自身のジョッキを傾けた。
「……ありがとう」
その心遣いに感謝し礼を言うと、
「おう……何か困ったことがあればギルドに来い」
「俺はCランク冒険者のオルテスだ」
ニッと笑った。
「……わかった。ぼくはオーリ。本当にありがとう」
笑顔で返すと、オルテスは自身の果実水を飲み干し出ていった。
知らない男との他愛のない会話。
それだけのことが、不思議と胸を軽くした。
(……来て……良かったな……)
思わぬ出会いに感謝し、同じくらいアルシアにも感謝した。
孤児院に帰りオルテスとの出会いをアルシアに話すと、
オーリは左胸の傷が無いことについて尋ねてみた。
もしかしたら、あまりの痛みに記憶がおかしいのかと思ったからだ。
「いや、間違いなく四か所だったよ」
忘れるはずもない記憶。
が、ふと気づく。
「そう言えば……あの時“彼”も倒れてた」
「彼?」
アルシアの言葉を反芻し、それがクロードだと知る。
「……なぜ保険屋が……」
答えの出ない問いに、オーリが頭を悩ませる。
その様子を見たアルシアが、答えを求めギルドへと足を運んだ。
「あれ、アルシアさん」
その姿を見たケイティ―が手を振る。
あの時の顔ぶれの中で、一番聞きやすいケイティ―に気づいてもらい胸をなでおろすと、
「そろそろお昼休みなので、少し待っててもらえますか?」
ケイティ―のその言葉に、
「すまないね。待たせてもらうよ」
感謝し、窓際でその時を待った。
「――お待たせしました!」
元気なケイティ―の声に安堵しながら、
アルシアは早速ケイティ―に尋ねた。
「左胸の傷ですか……」
その傷が無いことを聞き、ケイティ―はハッと思い出す。
「――そうだ。クロードさんの矢尻が埋め込まれていた傷の位置だ……」
そのつぶやきに、
「なんだって!?矢尻が埋め込まれてた!?」
あまりのことに驚き声を上げると、対照的にケイティ―は真顔になった。
「……もしかしたらクロードさん、最初からその傷を引き受けるつもりだったんじゃないでしょうか?」
しずかにつぶやき、
「だからその位置だけミドルポーションを使って、他は普通のポーションにしたんだと思います」
アルシアを見る。
「……なんでそう思うんだい?」
その問いに、
「……クロードさん、自分のその傷にポーションを使わなかったんです」
ケイティ―が少し悲しそうに答えた。
「気を失う寸前に……“一般治療をお願いします”って、ポーションを拒否したんです」
最後まで伝えたケイティ―の目に涙が浮かぶ。
「そうかい……そうだったんだね」
あの日のことを思い出し、涙を浮かべたケイティ―を抱きしめ、
アルシアは感謝の言葉を伝えた。
「お役に立てて何よりです!」
少しして元気を取り戻したケイティ―。
あの日のアルシアの姿と覚悟は、
ケイティ―の心に強く残っていた。
だから、少しでも役に立てたことが本当に嬉しかった。
「今度わたしも、孤児院に顔をだしますね!」
手を振るケイティ―に笑顔を返し、アルシアは孤児院へと戻っていった。
その出来事をオーリに伝えると、
「俺の傷を保険屋が……」
思いもしない事実に、オーリの胸が熱くなる。
それほどの覚悟で新しい名を用意してくれていたことに、心から感謝した。
そしてその夜――
オーリは再び夢を見る。
両足をだらりと伸ばし、動かずに座る体。
獲物を狙うクレインに、やはり背後から弓を構える影。
(……だめだ、動け!……)
念じると、傷の無い左腕だけが何故か動いた。
弓を持ち、影を狙う。
だが、矢を番えることができない。
(……あきらめてたまるか!……)
そう念じると、そこに笑顔のアルシアが現れ、矢を持ち、弦を引いた。
(……よし、放ってくれ!……)
願うと、その矢が影を射抜く。
だが、倒れない。
影がその標的をアルシアに変える。
(……やらせない!……)
左腕でアルシアを自身の後方に隠し、身を盾とした。
その時、影のさらに向こうで何かが動いた。
(……クレイン!……)
それは、弓を構え影を狙うクレインの姿。
影よりも早くクレインの弓から矢が放たれ、影が今度こそ消滅した。
(……ああ……俺はこんなにも多くの人間に支えてもらっているのか……)
その事実に気がつき、オーリは悪夢の中に安らぎを見つけた。
(……これからも悪夢は見続けるだろう……)
それは、きっと正しい未来。
(……それでも、俺は生きていける……)
胸はいまも痛む。
後悔もある。
それでも――
あの日のように、ただ壊れるだけでは終わらない。
帳面の裏表紙に刻まれた名が、影の束縛を解き放つ。
――S.O.M.P.O. ジャン
剣と魔法の世界に、思いやりと感謝の心。
差し伸べられた手は傷を消せずとも、
その痛みと共に、確かに生きていく力を与えてくれた。
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