第三十七話 奇跡の条件 - 無償の愛 -
「――馬鹿言ってんじゃねえ!」
冒険者ギルドのギルド長控室へと向かうケイティーの耳に、
かつてないほどの怒声が響き渡った。
(……なんでわたしが来た時に限って!……)
扉まで三メートル。
ケイティーの左肩には、
ギルド長へ渡す予定の、数枚の書類が入った鞄がかけられている。
(……緊急ではないし……)
引き返そうかと思ったその時、
「どうしても必要です!」
聞き覚えのある大きな声が響いた。
(……クロードさん!?……)
認識してしまったケイティーの足が――止まった。
近づくことも、遠ざかることもできない。
(……昨日と今日はお休みのはずなのに……)
疑問が頭を駆け巡る中、
二人の会話だけが続いていく。
聞き取れるのは、せいぜい一割程度。
「お前がそこまでやる必要はねえ!」
時折響く大声だけが、その情報を増やしていく。
「いいえ!もし乗り越えられたなら、希望になり得ます!」
なんのことを話しているのかはわからない。
けれど、それが彼の信念に関わることだとは理解できた。
(……あの人がこんな風に激しく言い合う時は、いつもそう……)
「なんでそんなに頑固なんだ、お前は!」
両手で机をたたく音が聞こえた。
同時に、
「くそっ!」
バルドゥスが叫んだ。
ケイティーにはそれが、
止められない自分への怒りに聞こえた。
それを最後に、声は聞こえなくなった。
だからケイティーはその場から離れ、
書類を同僚に託して、【S.O.M.P.O. ジャン】窓口へと戻っていった。
――六日後。
夕方の鉱山。
数多の洞窟の一つに、死を目前に迎えた男がいた。
(……なんだ……?)
肩を叩かれる感覚。
だが、男――ヒューリは動かない。
もう、なにもかもがどうでも良かった。
いや――
早く、楽になりたかった。
そんなヒューリの右手に、何かが握らされた。
(……パン、か……)
そういう指導をされているのだろう。
だが、それに付き合うつもりなどなかった。
無視して動かないでいると、腕に不快な感触が継続した。
(……なんだ?……むし…か?……)
(――虫!?)
その瞬間、ヒューリの脳裏に失った光がわずかに灯った。
「――アルシア、なのか?」
かすれた、声にもならないような声。
懇願にも近いその問いに、
答えはなかった。
代わりに、無言で上体を抱き起された。
そして、やはり無言でヒューリの右手を口元まで運び、
パンを食べさせようと何度も動かす。
わずかに灯った希望が、
確信のないままヒューリに“生”を選択させる。
一口。
辛うじて動いた口に何とか含む。
だが、弱った体と乾いた口でうまく飲み込めず、
すぐに咳き込んだ。
背中をさすられようやく咳が収まると、
今度は口元に木の感触。
それがジョッキで飲み物だとわかり、
体にしみこませるようにゆっくりと飲み込んでいく。
(……なんだ!?……)
その瞬間――
体に起こる、明らかな異変。
(……水じゃない……これは……)
鉛のように重かった体が、嘘のように軽くなる。
(……まさか、ポーションか?……)
それは、奴隷になど支給されるはずもないもの。
しかし、どんどんと広がる“生”がそれを確信させる。
だが――
ヒューリのその予想は外れていた。
(……なんだ!?……)
さらなる変化がヒューリを襲う。
(……日差しが、ここまで入ったのか?……)
明るさが感じられた。
ヒューリは盲目となったが、色や形がわからないだけで光は感じられる。
だから――
気付くのに時間がかかった。
それが……ポーションではないことに。
トントンッ
肩を叩く手。
その手が瞼の上に進み、やさしく瞼を開けろと迫る。
なにを馬鹿なと理性が叫び、だが――
体はなぜか、導かれるように従っていた。
久々に持ち上げた瞼が痙攣する。
同時に、白いもやのようなものや、光のしみのようなものが広がった。
すぐには輪郭がとれず、眩しさと同時に頭がくらつく。
だが徐々に、
暗い岩肌の輪郭と、人影のシルエットだけが浮かび上がってくる。
ヒューリはこの信じられない状況を、無言で受け入れる。
理由など、今のヒューリにはどうでもよかった。
確かめたいことは、ただ一つ。
「……アルシア……なのか?」
ヒューリの問いに、
やはり返事はない。
代わりに、シルエットだった影に輪郭が現れた。
その輪郭が徐々に形を鮮明にし、一人の女性の姿となった。
そして、ヒューリの視線が顔から少し下に移る。
「……その……喉の傷は……」
言って、声が震えた。
そして確信させる。
(……今度こそ……間違いない!)
わずかだった灯が――
爆発した。
「アルシア!」
小さな体で、アルシアの体を抱きしめた。
両の手は背中で合わさることはなく、
挟み込むように力を入れた。
そして小さなこどものように名前を連呼し、
嗚咽が続いた。
そんなヒューリをやさしく包み込み、
女性――アルシアは、我が子を抱くように微笑んだ。
――ほんの、数分。
だが、
時の感覚がなくなるほどの、感情の爆発。
それは、ヒューリの人生で最高に幸せな時間だった。
コツ……コツ……
そこに響く――
終わりの始まり。
だんだんと大きくなるその足音に、
アルシアが顔を上げる。
全てを受け入れた表情で足音の主を見ると、
アルシアはヒューリの肩を二度、やさしく叩いた。
そして、足音の主に向かって右手で指さす。
「……保険屋……」
逆光で完全には見えないが、
輪郭と雰囲気がそう告げる。
だから、
ヒューリは再び頭を地面につけた。
「……」
その様子を、
保険屋と呼ばれた男――クロードが、無言で見つめる。
そして、数秒の後に言葉を紡ぐ。
「……あなたに礼をされる覚えはありません」
「これは……わたしとアルシアとの取引です」
真実を告げた。
「……取引?」
ヒューリの小さなつぶやきに、
しかし、答える者はいなかった。
意味がわからずゆっくりと顔を上げるが、
アルシアは困った顔のまま微笑むのみ。
ヒューリが再度口を開くよりも早く、
「あなた方二人は、今日からわたしの所有奴隷となりました」
「これより【オーダリー】のギルド治療院へ向かいます。来なさい」
クロードが告げる。
アルシアは表情を変えず立ち上がり、ヒューリの手を引いた。
なにもわからないままのヒューリが後に続き、
アルシアはその手を、時間を惜しむようにいつまでも離さなかった。
――ギルド治療院に着く頃には、
もう真夜中と言っていい時間になっていた。
「――それでは、よろしくお願いします」
クロードが頭を下げると、
「この二人を預かればいいんじゃな?」
ハーサムがいつもの調子で答えた。
クロードは頷き、
二人をレオンがいたあの個室へと案内する。
「アルシア」
クロードの声に、アルシアが顔を向ける。
「――七日後です」
感情のこもらないその言葉に、
アルシアが無言で頷いた。
その意味を知らぬまま、
ヒューリは至福の時を過ごす事となった。
食事の時間には、体調に合わせた食事が治療院から運ばれ、
治療師たちの治療も受けられる。
空いた時間には、アルシアと静かな時を過ごし、
筆談で他愛もない話しをする。
そんな日々が七日続き――
唐突に、終わりを告げる。
コツ……コツ……コツ……
響く足音。
治療師たちのそれとは違う、
硬く、一定のリズムで近づく音。
その音に気付いたアルシアが、
一瞬体を硬直させる。
それでもすぐに、
近くにいたヒューリを優しく抱きしめ、にこやかに笑った。
出せない声で「ボ ウ ヤ」と口を開き――
ヒューリの頭に、最初で最後の口づけをした。
「……アルシア?」
あまりに唐突なその行動に、
ヒューリの中の何かがざわつく。
そして、そんな二人の前に、
クロードが姿を現した。
「……約束の時です」
たった一言。
アルシアは立ち上がり、クロードの後を追う。
もう――
アルシアがヒューリの手を引くことはなかった。
「アルシア!」
後を追おうとするヒューリを、
アルシアの手が止める。
その目が寂しさを、
口元は愛情を、
手は、別れを告げた。
だが、
「――かまいません」
「来たいなら、止めはしません」
アルシアの拒絶を、クロードは許さなかった。
困惑するアルシアを無視し、
クロードは進む。
着いた場所は、
ギルド訓練場の一角。
【弓使い】専用の訓練場。
幅は三人通れるかどうかの狭さだが、
奥行きは百メートルほどある。
その最奥まで進むと、
「――アルシア」
クロードが声をかけた。
「決意は……変わりませんか?」
その問いに、
アルシアは静かに頷く。
「そうですか……」
確認し、ヒューリを見る。
「ヒューリ、こちらに」
そう言うとヒューリを移動させ、
的を支える木柱に鎖をつなぎ、ヒューリの右足首へと拘束具を取り付ける。
「……何の真似だ……保険屋?」
意図がわからず問うが、
「あなたに質問する権利などありません」
冷たくあしらった。
そして今度はアルシアに対して命令をする。
「そこで膝立ちになりなさい」
言われてすぐに、
アルシアが従う。
倒れないよう紐で体を木柱につなぎ止めると、
クロードは歩いて距離をとる。
そこは、ヒューリには届かない場所。
予定の位置にたどり着くと、
クロードの耳に、複数の声が届き始めた。
「……来たようですね」
そこにいたのは、クロードの関係者ばかり。
バルドゥス・ハーサム・レオン・エリナ・ケイティーの五名。
最初は何も知らずに訪れた五名が、
近づくにつれて異様なその状況に気が付く。
「ヒューリ!」
レオンが無意識に手を伸ばしエリナを庇う。
が、すぐに拘束されていることに気づく。
バルドゥスは何も言わず、ハーサムは渋い顔をした。
「クロードさん、これは!?」
近づこうとするエリナを、
クロードが右手で制す。
「これ以上は危ないので近づかないでください」
有無を言わさぬ、鋭い視線。
あまりの迫力に、
全員の動きが止まった。
「――ハーサム」
「あなたはそちらに腰かけてください」
声をかけ、クロードと他の四人の中間あたりの壁際にある椅子を指さす。
(……なにが……はじまるの……)
ケイティーの心がざわついた。
あの時の、あの目が脳裏に浮かぶ。
その沈黙を――
クロードが破った。
「あそこにいる女性は、アルシア」
「わたしは、彼女と約束を交わしました」
ゆっくりとした声が、
静寂の空間に響く。
「事故で喉に木片が刺さった彼女に、わたしはハイポーションを差し出しました」
その告白に、一瞬のざわめき。
「彼女は犯罪奴隷でしたが、その行いは決して悪ではなく、その人柄も素晴らしく救う価値のある人物だと思ったからです」
クロードの言葉に、再び静寂が広がった。
「しかし……彼女はそれを拒みました」
「――拒んだ!?」
レオンが叫んだ。
拒む理由など、考えられなかった。
「わたしも、驚きました……」
肯定し、クロードは続ける。
「代わりに、彼女は血文字で四文字の言葉を書き、気を失いました」
息をのみ、その言葉を待つ。
「その言葉は……」
「 “ ボ ウ ヤ ヘ ” ――です」
瞬間、全員の視線がヒューリに集まる。
そして気付く、その目が開いていることに。
「……わたしは悩み、彼女にはミドルポーションを使用しました」
「その結果命は助かりましたが……彼女は声を失いました」
今度は視線が、アルシアの喉に移る。
「その後容体の安定した彼女と筆談で会話を重ね、ある約束を交わしました」
クロードはそこまで言うと、ヒューリを見据えた。
「わたしは、ヒューリを許してはいけないと思っています」
「彼の犯した罪は、あまりにも重い」
心からの言葉。
「確かに彼は同情すべき過去を持ちます」
「けれどあなた方の家族が何の罪もなく殺され、それを許せますか?」
一拍。
「わたしは――許せません!」
言葉が、ヒューリを射抜く。
「……それでもヒューリに光を与えるというならば、闇も受け入れるべきです」
「……闇だと?」
バルドゥスが問う。
「ええ、闇です」
「彼が背負うべき、殺された者たちの痛みと恐怖、そして――絶望」
そこまで言うと、
クロードは足元にある弓に矢をつがえ――
アルシアを狙う。
「何の真似だ!」
バルドゥスの叫びを、
「動かないでください!!」
クロードの声がかき消す。
「手元が狂います」
その言葉に、
それでも駆け寄ろうとしたケイティーをバルドゥスが止める。
それを確認し、言葉を続ける。
「彼女の提案はこうです」
全員が耳を傾ける。
「わたしが全ての闇を受け入れる」
「代わりに、ヒューリにハイポーションを使ってくれというものです」
聞いていたヒューリの目に、涙が浮かぶ。
関係のないはずのエリナやケイティーも涙を浮かべた。
けれど、
「バルドゥス!」
「ヒューリに殺された女性の数は!」
クロードの問いに、
「……四名だ」
小さく答える。
「アルシア、聞いてのとおりです」
「四射――覚悟はいいですね?」
その言葉に、
アルシアは目を閉じ、震える息をひとつ吐く。
そしてすべてを受け入れ、静かに頷いた。
弓を引く手に力をこめ、
狙うクロードの目に――影が動いた。
「アルシアは関係ない」
両手を広げ、アルシアの前に立ちはだかるヒューリ。
その後ろで、
出せない声でアルシアが叫ぶ。
「どかないならば、射るまでです」
「わたしはどちらが痛みと恐怖を受け入れ、どちらが絶望を受け入れても構いません」
その言葉に、
ヒューリは無言で目を閉じた。
(……そうか、これを引き出すために演技をしてたんだ……)
その姿に、ケイティーの心に安堵が浮かぶ。
ヒューリの改心具合を確かめるために演技をしていたのだと。
他のメンバーも同様に考えた。
ほっと胸をなでおろすケイティーの目に、
しかし、信じられない映像が映し出される。
クロードの右手の指が開き――
弓が揺れた。
「ぐぅっ――!」
響く、うめき声。
左脇付近に矢が刺さり、片膝をつくヒューリの姿。
一瞬思考が停止し、
遅れてそれは、爆発した。
「いやぁぁぁあああ――!」
ケイティーが絶叫し、両手で頭を押さえかがみこむ。
エリナも信じられない表情で口元を押さえ、レオンが体を支えた。
アルシアもヒューリの元へ駆け寄ろうとするが、
戒めがそれを許さない。
「――立ちなさい」
「立たなくても、わたしは射ます」
言って本当に弓を構える。
その姿を見たヒューリが
脂汗を流しながら立ち上がる。
「だめっ!!」
耐え切れずに、ケイティーが駆け寄る。
今度は、誰も止めなかった。
その姿を見たクロードが、
ほんの一瞬だけ笑みを浮かべ、弓を捨てると両手を前に差し出した。
その瞬間――
クロードとケイティーの間の空間に……歪みが生じた。
「えっ!?」
あきらかな異変に足を止めると、
ギルド長が隣に追いつき、呆然とした表情を見せていた。
「まさか……」
そう言ってバルドゥスが両手を差し出す。
そこに――
あきらかに透明な何かがあった。
「クロード!」
その透明の壁を両手で叩いて叫ぶバルドゥスに、
クロードが答える。
「――言ったはずです」
「もう、遠慮はしないと」
そう言って、落とした弓を拾う。
「レオン!」
バルドゥスが破壊を命じ、
クロードの用意した超硬質のナックルでレオンが殴った。
キィン――!
甲高い音が響くが、
それでも、透明なその壁が消えることはなかった。
「なんなんだ、これは!?」
鉄さえも傷つけるナックルが弾き返される。
何度試みても同じ。
その間にも、クロードは矢をつがえ狙いを定める。
「……覚悟はいいですか?」
背後の喧騒を無視しヒューリに問う。
言葉の代わりに、瞳を閉じ体を硬直させた。
「……行きます」
言葉と同時に、二射目が放たれる。
「――ぐぁっ!」
今度は、左足の太もも付近に矢が刺さった。
言葉にならない乱れた呼吸で、崩れ落ちそうな体を必死に支える。
「もうやめて!!」
ケイティーが必死に叫ぶ。
見えない壁を、無理とわかってなお叩いた。
「ハーサムのじいさん!止めろ!」
唯一見えない壁の内側にいるハーサムに、
レオンが声をかける。
「……無茶を言うな……」
困った顔のハーサムがつぶやく。
ハーサムはおろか、たとえ全員でかかっても止めることなど不可能。
言ったレオン自身もわかっていた。
「次です」
震える体を必死に動かし、ヒューリが再び目をつぶる。
瞬間、三射目が放たれた。
「――!」
今度は、悲鳴すら上がらなかった。
右足の太もも付近に刺さった矢が、ヒューリの立つ力を奪い去る。
もはや、意識ももうろうとし、
なぜ立とうとしていたのかさえも思い出せない。
「最後は彼女の右肩を狙います」
「ここまで耐えたあなたに敬意を表して、彼女を射った後はすぐにミドルポーションを使って治療することをお約束します」
一拍置き、
「次もしあなたが受ければ、本当に死ぬかもしれません」
「……そもそも、その脚ではもう立てないでしょうが」
言って弓を構える。
「――お願い、クロードさん!!」
大粒の涙を流しながら、ケイティーがいまだ壁を叩き懇願する。
その姿を一瞬だけ確認するが、
クロードは弓を引いた。
ほぼ同時に、顔を上げることもできないヒューリが立ち上がる。
「……死にますよ」
言いながら、アルシアの右肩に狙いをつける。
その途中にあるのは、ヒューリの右肩。
必死に何かを叫ぼうとするアルシアに、
ヒューリは最後の力で顔を真横に向け、言葉を紡ぐ。
「アルシア……最後に……俺を人間にしてくれて……ありがとう……」
言い終え、笑顔を作ったヒューリに、
最後の矢が――放たれた。
悲鳴にならない悲鳴が涙に変わった。
崩れ落ちるヒューリはもう、動かなかった。
「ハーサム!」
その瞬間に、クロードが叫ぶ。
「確認を!」
衝撃を受け誰も動けない状況の中、ハーサムがその声に困惑しながらも確認をする。
「……呼吸も脈もない……死んどるよ……」
その言葉に崩れ落ちるアルシア。
ケイティーもエリナも崩れ落ちた。
ただ、クロードだけが何かを急ぐ。
「バルドゥス!聞きましたね!」
「ヒューリは死にました!」
クロードの声に、
「だからどうした!この大馬鹿野郎!!」
非難に、
しかしクロードは笑みを浮かべた。
上着に用意されたポーションを取り出し、
矢を抜くと同時に傷を癒す。
残る三か所も同様に治療して上着を脱ぎ棄てると、
ヒューリの上に馬乗りになり、胸に両手を当てた。
そして、その胸を何度も押し始める。
「なにをやっているんだ……?」
レオンがつぶやく。
その表情から、死者を冒涜している訳ではないのはわかる。
だが、目的がわからない。
「……まさか……」
ハーサムの経験が、ある予測を立てた。
呆然と眺める者たちと違い、あきらかな意思をもってその行為を見つめる。
「……気付いたようですね」
「鼓動と同じ速さです。この速さと、押し込む深さを覚えてください」
言いながら続け、崩れたままのアルシアを見る。
「アルシア!」
「ヒューリを助けたいなら、力を貸してください!」
言って、ハーサムにアルシアの戒めを解かせる。
助けるという言葉が、アルシアを現実に引き戻した。
「クロード……これは、心臓を無理やり動かしているんじゃな?」
ハーサムの問いに、クロードが頷く。
「ヒューリの心臓は、痛みのショックで一時的に動きを忘れてしまった状態です」
「こうやって外部から動かすことで、思い出す可能性があります」
ほんのわずかな可能性が、アルシアの心に灯りをともした。
「アルシア……手を握るでも、どんなことでもいい」
「ヒューリに、生きる希望を」
クロードの言葉に導かれるように、
アルシアは両手でヒューリの右手を握る。
目をつぶり、心から願う。
「ヒューリ!戻りなさい!」
一定の間隔で胸を押しながら、クロードが叫ぶ。
が、ヒューリは動かない。
その様子に、アルシアの心に灯ったはずのそれが消えかかる。
その現実に逆らおうと、
必死に叫ぶが、声は出ない。
それでも、
アルシアは感情を爆発させ、さらに涙と共に言葉を紡ぐ。
―― ぼうや! 戻っておいで!! ――
失われたはずの声が、願いとなってヒューリに刺さる。
「……馬鹿な……」
驚愕の顔でアルシアを見るハーサム。
対照的に、笑みを浮かべるクロード。
奇跡なら――つい最近見せてもらった。
「さあっ!戻りなさい、ヒューリ!」
クロードの叫びに、アルシアの二度目の奇跡が追いかける。
「――ぼうや!!」
アルシアの叫び。
その瞬間――
クロードの手に、違和感が生じた。
押し返すような感触。
同時に、ほんの一瞬、唇がぴくりと震えた。
「……まさか……」
ハーサムが息をのんで見守り、
同じく気付いたアルシアが、その手にさらなる力をこめた。
「――ぼうや!戻っておいで!」
自分が声を出していることすら忘れ、アルシアは叫ぶ。
そして――
ひゅう、と細い空気の音が喉を抜けた。
遅れて――
苦しげな咳がこみ上げた。
「……ハーサム、これを……」
いまだ呆然とするハーサムに、クロードはミドルポーションを渡す。
「……一度止まった心臓が動くとはのう……」
受け取ったハーサムはつぶやき、なんとも言えない表情をする。
それは、いままで救えなかった者たちへの後悔。
「今は、助けられる者たちをお願いします」
察したクロードが声をかけると、
その言葉に頷き、ハーサムはヒューリにミドルポーションを飲ませた。
その様子を確認し終えると、クロードはバルドゥスたちの元へ行き、見えない壁を取り払った。
「クロード……てめえ」
一歩前に出るバルドゥス。
その怒りを受け入れようと佇むクロードの眼前に、
ケイティーが割り込み、
パチン!
涙ながらにクロードの頬を叩いた。
驚くバルドゥスと、無言のケイティーの涙が、
クロードの心を揺らす。
その瞬間、異常なまでの精神力で耐えてきたクロードの息が乱れ、
限界を迎えた体がその場に崩れる。
「クロードさん!?」
驚き駆け寄るエリナ。
そのエリナに、レオンが声をかけた。
「……多分、左肩の近くに怪我がある」
「えっ!?」
言われてとまどうエリナの代わりに、
ケイティーが動いた。
シャツのボタンを外すと、あて布が包帯で固定されていた。
「ハーサム!そっちが終わったらこっちも頼む!」
バルドゥスが声をかけると、
「すぐ行くわい!」
アルシアに後を任せ、ハーサムがやってきた。
包帯を外し、あて布をはがすと
「なっ!?」
矢じりが刺さったままの状態で体内に残っていた。
「……この馬鹿が!」
バルドゥスが舌打ちし、
「ハーサム!こいつの持ってるポーションを使って構わん!」
治療を指示する。
が、意識を取り戻したクロードがそれを止める。
「……一般治療を、お願いします……」
その目が、それ以外の答えを許さない。
「――ったく!」
苛立ったバルドゥスが再度舌打ちし、
「怪我人二人、治療院にぶち込んどけ!」
「話は回復してからだ!」
その言葉に満足そうに笑みを浮かべ、
クロードは意識を手放した。
帳面の裏表紙に刻まれた名が、小さな奇跡を灯し出す。
――S.O.M.P.O. ジャン
剣と魔法の世界に、命の価値を問い続ける男。
その願いは時に人を傷つけ、
それでもなお――
誰かを生かそうと、足掻き続ける。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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※毎週水曜日21:00更新予定です。




