22. お祝いのペンダントと、絶望の抱擁
地下室にカタリと席を立つ音がやけに大きく響く。
手の中の小箱を、カサリと大きな手が攫っていった。
固まる私の背後で、ざらりと衣擦れの音。
耳がいやに敏感だ。
「少し、触れるね」
潜められた低く耳に心地よい声。――それはいつもだったらのこと。
(む、無理無理無理……!)
耳の産毛がざわりと立つ気配がした。全身が心臓になったみたいに鼓動する。
もう、馬鹿みたいに、固まることしかできない。
熱い指先が首筋に触れる。背中に流した長い髪を片側に寄せるようにすうっと撫でられた。
「――っ」
ビクリと跳ねた肩。咄嗟に唇を噛んだ。
目なんて絶対に開けていられない。
肌に触れた鎖はひんやりとしていた。思わず身震いする。
「冷たかった?」
――お願いだから近くでしゃべらないで!
吐息がさわりと肌を撫でる距離なんて耐えられない。
カチリと小さな音を立てて金具がとまり、大きな手が動作をやめた。
(やっと終わった……)
肩の力を抜きたい。ガチガチの肩こりになりそうだ。
なのに、後ろの彼は動かない。
熱い指先が、私の体温でぬるくなった鎖を数度撫でて、離れた。ふっと、ささめく吐息が笑う。
(もう、もういいから、離れてほしい……!)
閉じた目で彼が横に移動したことがわかる。
し、視線を感じる……。
「ねえ、目を開けて」
制御を失った身体は、彼の声にだけ反応する。ゆるゆると瞼を持ち上げると、視界いっぱいにとろけるような微笑。
「君に青はよく似合うね」
うっそりとした囁きだ。
「わ――――! もう駄目、無理です! は、は、離れて……!」
ガタガタ椅子が音を立てる。ぶるぶる震える膝で、脱兎のごとく後ずさった。ガツンと背中が壁にあたり、へなへなと座り込んだ。
――言うが早いか、自分から離れている。
手を顔で覆った。人前に出せるものじゃないと断言できる。
「ありがとうございます! 大切にします!」
どこからどうみてもやけっばちだ。
「あははっ」
心底おかしそうな笑いをやめてくれませんかね!?
そんな笑うの初めてじゃないですか?
……後生なので、私が平常心で眺められるときに見せてください。
「褒章授与の夜会のとき、着けてきてくれると嬉しいな」
そういえば、そんなものもあるって通達されていた。
コクコクと壊れた人形のように頷く。
指の隙間から、長い脚が悠然と動いたのが見えた。
二歩? 三歩? あっという間に傍らに近づいてきた長い脚が憎い。
肩にぱさりと軽い上着が掛けられる。……これは、あの時した、ルシアン様の香りだ。おひさまのような、安心する香り。
上着が体温で温められているせいで、まるで抱きしめられ……、ぎゃーーーーやめやめ!
「さっき、震えていたから」
「いや鈍感ですか!?」
あ、ついに声に出してしまった。
寒くて震えたんじゃなさすぎるんですけど!? 耐性ゼロの乙女をもっと慮ってください!!
「どうかな?」
……意味深すぎて、本当に勘弁してください。
◆◆◆
地下室の扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
さて、やっと一人です。
名残惜しいのだけど、心臓の負荷的に助かったような微妙な心持ち。
あのあと、ルシアン様は手を引いて私を椅子に座らせると、自分も着席して何事もなかったかのように本を開いた。
私は本の中身が頭を素通りして、何度も同じところを読んだり、ペンダントに指を滑らせたりと忙しなかったのに。
――今になって、あの余裕さが憎らしくなってきた。
花も恥じらう乙女に何をしてくれるんだ。彼は、私に触れて何も思わないのだろうか……?
まあ、エスコートしなれているだろうし、そんなものなのかもしれない。
頭を振ると、上着から彼の匂いが香った。
(くうううぅ)
逃れたいのに脱ごうと思えない自分は、欲に忠実すぎるのでは?
だってむしろ腕を通そうとしているし。
わ、手の先で袖が余る。
肩の位置が二の腕にあって、上半身がすっぽりと覆われる。
(大きいな……)
本人はいないのに心臓は忙しない。
――やめよう。ルシアン様もこんな変態的に使われたと知ったら気分が悪いだろうし。
袖を捲って、鞄から手鏡を取り出した。
鏡に映る私は、いつもの焦げ茶色の髪、琥珀色の瞳。
……確かに青のペンダントは色の相性がいい。
(青……。ルシアン様の瞳の色)
鏡の中の自分が笑っている。
……気色悪っ!
慌てて鏡を伏せた。
「ふふっ」
上がる頬を突っ伏して押さえる。
「何、書こうかな……」
せっかくだから、自分で考えた魔法陣を転写したい。守護結界は光魔石じゃないと意味ないし……。
今考えている陣にしよう!
まだ効率がいい陣とは呼べないから完成形とは言えないけれど、正しく効果は発揮するもの。
いいものができたら都度書き換えればいい!
今はこの高揚感を形に残したい!
そうと決まればさっそく作業しなくっちゃ。
新しい羊皮紙を引っ張り出し、頭に焼き付いているあの複雑な陣を丁寧に描き取り始めた。
◆◆◆
今日もまた王宮文科省へ向かって、王宮の廊下を歩いている。あの通達の件で、手続きが増えてなんだかんだ毎週王宮に来ていた。
(これは、手間ね……。いつまで続くことやら)
じろじろと目線を感じて、うっとおしい。
私はこれから、これまで以上にこの目線やプレッシャーに打ち勝っていかないといけない。
(やってやるわ)
胸元のペンダントが、じんわりあったまる気がした。
これがあれば大丈夫。
ちなみに魔石には、魔法陣を転写済みだ。仕事を終えてからの時間を、一週間ほど寝る間も惜しんで作業につぎ込んだので、我ながらいい出来である。
ふふふーん。
おっと、油断すると王宮でステップでも踏んでしまいそうだ。
浮き立つ足取りで、中庭に面する回廊に差し掛かった、その時だった。
「見ろよ、オフィーリア様とルシアン様がまた一緒におられる」
外を眺めながら向かいを歩いてくる貴族の声に、思わずぴたりと足を止めた。
話題の名前に心臓を冷たい指でなぞられるような、とても不快な感覚が走った。
「本当だ。護衛騎士に任命されてからというもの、一緒にいる機会が増えたな」
(護衛騎士……?)
これまで騎士にそんな役職はなかったはずだ。一体どういうこと……?
「まあ、なんて仲睦まじいのでしょう。幼馴染で美男美女……。オフィーリア様との婚約の噂もあるそうよ」
――聞いてはいけない。
頭の片隅にある冷静な意識が激しく警標を鳴らすのに、耳が無駄に鮮明に話を拾ってしまう。
やめればいいのに、首が二人のいるらしいほうを向いていく。
向けた視線の先、騎士服を纏った大きな背中が覆いかぶさるように小柄な肢体を抱きしめた。
(……え……)
ざああっと周囲の音が掻き消える。どくりどくり、と心臓が嫌な音を立てているのだけが聞こえてくる。
どこか現実感のないまま、華奢な白い指先が、彼の背にそっと添えられたのを、ただ見ていた。




