18. 気づけば告白していました!?
眼下に南の森の木々が見えてくると、ブラン様は高度を下げて速度をゆったりしたものに戻した。
ルシアン様はパチンと指を鳴らして空気の膜を消す。途端にふわっと風が吹き抜けて、身体が浮くような感覚がした。
「あの先、木々がひらけてところに湖があるよ」
身体の横を通り越して、彼の長い人差し指が進行方向を指差す。
あのですね、風の音がするとはいえ、耳元でささやかないでください。気遣いが変な方向に言っていますよ、鈍感さん。
……私の耳、まさか赤くなってないよね?
「よく見ていて」
指差す方向を見ていないことがバレている。……この方、鈍感なのか敏感なのかよくわかりませんね。
ブラン様が進む先をまっすぐに見ていると、木々を抜けた先、湖が顔を出した。
「――わあ!」
――青い。
朝の光を受けて真っ青に澄む、見事なサファイアブルーだ。
(だから、ラクリマ湖……!)
日中は灰色でどうして『女神の涙』なんて、大層な名前がついているのかと疑問だったが、こういうことだったのね。
「ルシアン様、ルシアン様っ! 凄く綺麗ですね! 私、こんな綺麗な湖初めてみました! 色が変わる湖なのですか? どんな仕組みでしょう……? 湖畔に降りて見てみたいです。 ブラン様にお願いして頂いてもいいですか?」
「落ち着いて。今、降りるから」
「はいっ!」
ブラン様は音もなく降り立った。地上から見ても真っ青だ。ルシアン様のエスコートを受けて地面に足をつけると、お礼もそこそこに湖畔へ駆け出す。
しゃがみ込んで、両手で水を掬ってみた。
「透明……!」
バシャバシャと何度か掬ったあと、指先を湖につけて鑑定をかけた。
「うーん、一般的な湖と比べて魔力の濃度がかなり濃い?」
魔力は目には見えないけれど、自然に干渉することは稀にある。これもその一つなのだろうか。
また、くすり、と空気を揺らす笑い声。
ルシアン様はいつの間にか隣に来て、座り込んだ。
「そうみたいだね。そのおかげで、太陽の角度によって色が違って見えるらしい」
ほお。なるほどなるほど。
魔力が太陽光の反射の仕方を変えるのね。
「魔力は見えないのに、ここにあるんですね! 不思議! 神秘だわ」
(わー!)
飽きもせず、青い湖を眺めては、透明な水をすくい取って遊ぶ。あんなに青いのに、本当は色がついてないってなんか変。……飲んだら味、するのかしら?
気になるけどやめて私、発想が子どもと同じよ。
――隣から、とうとう堪えきれなかったような、くすくす笑いがする。
(私ったら本当に子ども!!)
連れてきてくれたルシアン様そっちのけにして楽しんじゃって、本当にもう!
もしかしたらここに来て初めてちゃんとルシアン様を見る。
「すみません、私、夢中になってしまって」
「ううん、いいよ。楽しんでもらえたみたいでよかった。気分転換になればと思ったんだよね」
こちらを優しく見つめる青い瞳。その澄んだ深い青は、眼前に広がる湖と同じだ。
彼の瞳が『海のように青い』と称されているのは知っていたけど、海を知らない私は、『海ってそんなにいいものかな』とずっと思っていた。
けれど、この湖の青のように美しいと称えるなら、納得できる。
「……そんなにじっと見つめてどうしたの?」
見つめてる? 違うわ、目が離せないだけ。
「瞳が……、きれいだなって」
「……そうかな?」
青の瞳は瞼に薄く覆われて、彼の指先が涙袋を撫でる。眉尻を下げて、照れたような顔。
――その顔、見たことがある。
茜さす図書室で、卒業のとき……。あれも困ったのではなくて、照れていたの?
節くれだった長い指先は惑って、肩に乗った毛玉のブラン様へ移る。
その指先や掌には、硬い豆があることを知っていた。魔法剣で戦う騎士の鍛錬の跡、勤勉にペンを握る努力の跡。
森の賢者と呼ばれるシロフクロウを、指先で柔らかく撫でている。
それが、本の文字を辿り、静かにページをめくる姿と重なった。
学生時代、雲の上の遠い存在である彼の、本を大切に扱うところだけは、素直に好きだなと思っていた。
「こら、恥ずかしいから、もう見たらだめ」
彼は時折する困ったような顔より、数段わかりやすく相貌を崩した。湖のように濃くきらきらと光る青い瞳はとろりと細まり、上品な薄い唇が耐えられないとばかりに柔らかく弧を描く。
(ふにゃっとした顔だな)
そんな無防備で等身大の青年ような顔、初めて見た。いつも穏やかで、同い年とは思えないほど大人びてて、立派な人だったから。
身分差とか、自分のちっぽけなコンプレックスとか、彼を遠い遠い人だと思ったりとか、それこそ不毛だったのではないかな。
きっともっとシンプルでいいんだ。シンプルに抱えて、大事に愛すのよ。そうして何十年後かにこの恋を思い返したときの景色が、今日この日ならとっても素敵な幕引きなんじゃないかな。
そうだ。私は、彼の、努力家で、誰よりも頼もしくて、私を認めてくれて、本を大切に扱うところがとても、とても……
「――好き」
(あ、れ……?)
あれ!? 待って待って待って!?
今、声に出てた!?
ううん、まだ希望を捨ててはいけない、もしかしたら聞こえてないかもしれな……
あっ! めっちゃこっち見てる!
さっきまで毛玉だったブラン様までまん丸な目で見てる! お二人とも目が零れ落ちそう、しまって、しまって!
四つの目の圧に耐えられなくて、視線を顔ごと湖に戻す。
心臓がドクドクドクドク忙しない。血が逆流して、頬どころか眼球も頭のてっぺんまでも熱い。耳をドクドクとか、ごうごうとか、心音か血の音が騒がしくして、周りの音が遠い。
あー、湖綺麗だなあ、心癒されるなあ。まるでルシアン様の瞳……、げほげほ、その例えは状況を変えないから意味がない。
あ゙ーーーー! 私盛大にやらかしてる!
ど、どどど、どうする!?
……ご、誤魔化してみる?
それともなかったフリ?
あーーー、誰か正解を教えて!!
「ねえ、こっちを向いて」
無理ですけど!?
鬼ですか!?
「ねえ」
頬に硬い指先がぽつりと触れる。なんだろう、震えているような……?
一点の温もりに促されて、そろりと彼を見る。
普段の麗らかな微笑はどこへやら、表情をごっそりと落とした、呆然としたような相貌だ。
「僕も……、好きだよ」
――――――――――――なんて???
途端、ブラン様がギャーギャーとけたたましく鳴いた。フクロウってホーって鳴くんじゃないんですね?
というか、激しい……っ、うるさ!
「――うん、わかった」
え? 何が?
ルシアン様は、片耳を押さえている。
ブラン様の鳴き声に驚いた様子はなく、眉を寄せた厳しい顔だ。
「これから向かう。準備しておいて、テオドール」
……なるほど、騎士間の通信魔法ですね?
「本当に申し訳ないのだけれど、急な呼び出しだ。今すぐ戻るよ。ブランに乗ってくれる?」
それは緊急事態だ。慌てて立ち上がると、言われるがままにブラン様に乗りこみ、飛び立った。
――ブラン様、行きの速度が最速ではなかったのですね?
シロフクロウは一体時速何キロ出るのでしょうか。
ルシアン様は、後ろで何やら忙しく指示を飛ばしていた。仕事のできる人感が凄い。
降り立ったのは、王宮の裏、騎士の隊舎の脇だった。
彼は何度も謝って私を研究所へ送り出すと、ほとんど駆け足で去っていった。
いつもの、私の研究室。
今日思ったのは、シンプルに行こうってことだったよね?
そうね、確かに一元管理の術式について、あれもこれもと欲張って、たくさん機能を盛り込もうとしていた。
これは取捨選択が必要だ。整理しがいがある。
私は、新しい羊皮紙を取り出し、ペンを握る。
さてと。………………
――――好き!? 好きって言った??
私の今の状況こそ、整理が必要である。
しばらく頭を抱えたまま、羊皮紙にペン先がつくことはなかった。




